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スイーツの役割

夏の暑い日、ジャガイモ畑の横を祖母と二人で歩いていた中学生の頃。突然、「ここらの畑はマッカーサーに取られた」と祖母が憤慨し始めた。農地改革だ。教科書でしか見た事の無い歴史が身内に起こっていて、今、私の横でリアルで怒っている。この出来事が私と太平洋戦争の一番の接点であり強烈に残っている記憶だ。
その祖母も20年程前に亡くなり、祖母だけでなく戦争の語り手は年々少なくなっている。そんな中、夏になると欠かさずに購入している漫画がある。魚乃目三太さんの「戦争めし」という漫画だ。

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「戦争めしは」タイトルの通り「戦争」×「めし」がテーマの短編物語集。毎年8月に新刊が発売され今年で6冊目となる。食という意外な視点で戦争を捉え新たな真実が見えて来る漫画で、作者の魚乃目さんはもちろん戦争を知らない。自ら戦争体験者などへ取材をし、驚きの事実やエピソードを漫画作品として発表している。登場人物はみな悲惨な体験をしているものの、前向きに明るく必死に生きている。「食べることは、生きること」「食の大切さ」を痛感する作品だ。
今まで食糧難とだけしか語られてこなかった(と、いうか自分でそこから先を調べなかった)太平洋戦争の新しい切り口。中でも「お菓子の船」と呼ばれていた艦艇のエピソードには戦時中とは思えないその甘い呼称に私は吃驚した。

単行本5巻にそのお菓子の船「給糧艦 間宮」が出て来る。間宮は停泊している艦艇に食料を供給する為の補給艦であり、艦内には最新式の巨大な冷蔵庫・冷凍庫設備の他、ラムネ工場、アイスクリーム製造機、菓子製造室も作られていた。菓子製造室の乗り組員は兵隊ではなく軍属(軍人ではなく軍隊に勤務するもの)で本物のお菓子職人を雇い入れていたそうだ。間宮が入港すると新鮮な食料や嗜好品が各艦に補給されるため非常に人気が高く、特に艦内で製造されている「間宮羊羹」はその美味しさ故に兵士が殺到したとか。
食糧難の戦時中、軍隊に優先的にお菓子が提供されていたのは、兵士に対して士気を鼓舞する物として必要であるとの考えからとのこと。スイーツがそのような役割を果たしていたなど今では想像もつかない事だ。(「この世界の片隅に」でも森永キャラメルが登場するが、周作さんは海軍軍法会議録事に従事していたので入手しやすかったのかもしれない。)

前述の通り、私の祖父母は農家を生業にしていたので酷く食料に困ったという話は母からも聞いた事が無い。そもそも祖父母は戦争の話をしたがらなかったということもある。農地改革以外では祖母の自慢の弟が戦地で亡くなった日に家を尋ねて来たという少しホラーな話だけだ。もっと話を聞いておけば、自分の子どもにも自分ごととして伝えられたのにと後悔している。

給糧艦 間宮は1944年12月に米軍潜水艦の魚雷を受け沈没。
終戦まであと8ヶ月の時だった。

明日、今年で75回目にあたる終戦記念日を迎える。
二度と同じ過ちを繰り返さないように、この世界から一日も早く紛争がなくなることを心から願う。

そして、私たちの提供する"夢みるパンケーキ"が戦争で兵士を鼓舞するための物ではなく、みんなが笑顔になれる、豊かな時間を彩る幸せなスイーツであり続けますように。

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