人と人はわかりあえない

人と人はわかりあえない。


ワタシたちはわかりあえない。

わかりあえないからこそ与えられたものがある。


わかりあえないから面倒だと感じるのか、

わかりあえないからこそ楽しいと感じるのか、

それは人それぞれ。


ワタシはせっかくなので、楽しんでみるというスタイルで生きている。

パートナーと全てを完璧にわかりあいたい。とは思っていない。

今よりも1mmでもわかりあえるようになれば良いのではないか。というスタイル。(そもそも自分自身のことすら完璧にわかっていないのだから、完璧にわかりあえるなんて、到底無理な話。)


もしかしたら、わかりあえるようになりたいとも、思っていないのかもしれない。(そこまで深く考えたことが無かっただけかもしれない)


でも、相手のことを知ろうとしている。(自分のことを知ってほしいとは思っていない。)


長く一緒に暮らしていても、「へぇー、そういう考え方をするんだ」「そういう風に捉えるんだ」「確かにそういう考え方はなかった」「そう思っちゃうんだ」ということが多々ある。

その度に、「まだまだ知らないことたくさんあるんだなぁ」と感じている。決してネガティブではなく、ポジティブに捉えている。

それに加えて、今まで自分には無かった視点や考え方、捉え方が増えてくる。「そういう風に捉えたら楽だなぁ」や「そういう考え方をするのであれば、伝え方を改めたらいいかもしれない」など、自分自身の可能性も拡がってくる。


また、今まで自分の思い込みで相手を作り上げてしまっていたことにも気づく。

勝手に作り上げてしまっていたイメージ。それを壊すことで、また新たな相手がみえてくる。自分自身の相手への認識が変わるだけで、別人のように感じることがある。

自分の思い込みを外すという作業は、ワタシにとってとても重要で、それを一つずつ外していくこと、世界が拓けるような感じがする。いかに世界を、日常を思い込みで染め上げていたか痛感する。それに気づいていくことで、ワタシ自身が楽になり、生きやすくなってきた。


だから、ワタシにとって”相手を知る”ということは楽しい。

自分にとってプラスになるだけではなく、パートナーも快適な日常を過ごすことにもなり、結果としてパートナーシップも向上してくる。


相手を知るために必要なことは、たった一つ。

たった一つあれば、十分。


興味を持つこと。

もっと知りたいと思える人には興味が湧く。

どうでもいい人には、興味は湧かない。


相手に興味が湧いたら、どのような行動をとるだろうか?


ほとんどの人が経験したことがあるはず。

好きな人ができた時、アイドルでもいい、キャラクターでもいい。様々なアイテムなどなんでもいい。ものすごくハマったもの。好きになったもの。

そんな時どうしていただろう?


その人のことであったり、その物のことであったり、

”もっと知りたい”と思い、”もっと知ろう”としていたのではないだろうか?


つい長く一緒に暮らしていると、いつの間にか相手のことをわかった気になってしまい、わかりあえているような気になってしまう。相手の全てを知った気になってしまっている。

「あいつは〇〇だから」

そう決めつけ、思い込んでしまっていないだろうか?本当にそうなのか?

本当にわかりあえているのだろうか?

今一度、パートナーに興味を持ってみて欲しい。


どうして今その表情をしたのか?

どのような意図でその言葉を発したのか?

あえてそのような言い方をするのはなぜだろう?

なぜそのような行動をするのだろう?

今、なんで怒っているのだろう?

どうして疲れているのだろうか?


まずは自分にできることから始めてみる。

相手に興味を持つためには、相手をよく見ること、相手の話をよく聞くこと。

そして、気になったところをきいてみる。訊き方がとても大切。

相手に興味を持つと様々なことが変わる。

見かた、観かた、聞き方、聴き方、訊き方。

自分の態度。

相手の反応。


ワタシたちはわかりあえない。

わかりあえないけれども、

わかちあえる。

ワタシは、わかちあえる存在でありたい。






家族と楽しむために使わせていただきます。日常、非日常を味わうことで、ワタシの記事が作成されます!