社会科学系(1)--科学で倫理観が重要となる理由
ごあいさつ
おはこんばんちは、ニノ水です。
徐々に秋に近づいてきていますね。
秋といえば読書!
……というわけで、最近はScience Fictions あなたが知らない科学の真実(スチュアート・リッチー著 矢羽野 薫訳)を読んでいます。ダイヤモンド社の本です↓
この本とは話題が違いますが、今回は
科学で倫理観が重要となる理由
を考えていければな、と思います。
このポピュラーサイエンスの本の内容もいくつか引用していくので、興味があれば是非読んでみてください!
p.s. 引用、ほぼ孫引きです(汗)
可能であれば、一次情報も確認してくださいm (_ _; )m
記事の構成
この記事は、次の項目で成り立っています。
1. タイトルの意味
そんなん誰でも分かるわッ!
と侮るなかれ。
今回考えていくこと(タイトル)は、
「科学で倫理観が重要となる理由」
ですが、太字の部分の定義はあいまいです。
「科学」というだけでも、
科学ぅ? 何か計算するやつぅ!
というひともいれば、
と、Wikipediaの文を完全暗記する猛者もいるかもしれません。
(いたらすごいなぁ)
そのため、「科学」と「倫理観」という言葉を簡単に説明してから、本題に移ろうと思います。
具体的には、
科学はどのように扱われるべきか
倫理観をなくすとはどういうことか
の2点を説明します。
これで、
言葉の定義? しゃらくせぇ!
と思わずに済む……かも。
2. タイトル解説
倫理観が欠如したとき、科学はどうなってしまうのか?
という疑問を、本格的に解説します。
(注意)
ここに書かれていることは、言ってしまえば妄想です。
いや、そうはならんやろ!
という考えを持った方は、お気軽にコメントをお願いします。
(俺は露骨なコメ稼ぎおじさん……ウゥッ!)
3. 結論(まとめ)
最終的に、パラドックスが起きます(予言)
最後まで読んでのお楽しみ!
それではいってみよう、やってみよう、そうしよう!
いざ、本題へ
1. タイトルの意味
科学はどのように扱われるべきか
倫理観をなくすとはどういうことか
を、それぞれ説明していきます。
1. 科学はどのように扱われるべきか
本によると、社会学者のロバート・マートン氏が、「科学の4つの価値観」を唱えました。
これは「マートンの規範」とも呼ばれるようです。
その規範とは……
1. 普遍性 universalism
「科学の知識は誰が提案しても良いよ」
「好き嫌いで判断しちゃダメだよ」
とのこと。
2. 無私性 disinterestedness
「『富、名声、力。この世の全てを手に入れ』ようとして、科学を扱っちゃダメだよ」
ってことです。
3. 共有性 communalism
「科学知識はシェアしようね」
という取り決めです。
4. 組織的な懐疑主義 organized skepticism
「『太陽が地球を回る』って言われても、簡単に信じちゃダメだよ」
ってことです。
ここまで4つを見てきましたが、禁止事項が多いですね(汗)
また、「Science Fictions」の著者・リッチー氏は、上の4つに加えて……
再現性 reproducibility
を重視しています。これはWikipediaによると、
と説明されています。要するに、
「実験のやり方が分かれば、どんな人もその実験ができる」
ということです。
色々と科学の扱いについて書きましたが、今回は「再現性」に焦点を当てていきます。
ちなみに、基礎科学(注1)の分野で特に、「再現性」に注目することが多い印象です。
そのため、この分野にゆる〜く限定します。
(注1)社会で広くモノを普及させる科学を「応用科学」と呼ぶのに対し、研究室などの小規模で実験を行う分野は「基礎科学」と呼ばれることがあります。
一方が優れていて、一方が劣るということはありません。
2. 倫理観をなくすとはどういうことか
倫理観をなくせば、科学技術は発展する。
という文言を、見たことがありませんか?端的に言ってしまえば、この一文での「倫理観」のことです。
定義としては、Weblioにて
と書かれています。
倫理観=道徳心
という感覚で捉えてもらって大丈夫です!
では、この調子で次にいきましょう!
基礎科学にゆる〜く限定したので、研究室で出来そうな何かを探します。
で、ウェブで調べた結果……
なんと、厚労省が研究倫理について言及してました(汗)
厚生労働省「なぜ研究倫理が必要か?」:
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/04/dl/s0423-10c_0003.pdf
ただ、こちらのリンク先のスライドは、応用科学……社会に広く普及する分野でのお話です。
つまり、
研究室でできる域を超えてきた……ッ!
じゃあ、適当に例を挙げてみますか!
いや、でも流石にお国の出されてるものも多少は考慮して……
と、葛藤した結果。
今回は、
人体実験やヒトクローン
すなわち、
生命倫理に関係することを中心に考えます。
そこで、ここでは
生命倫理の道徳心をなくした状態を、
倫理観をなくす
と言うことにします。
2. タイトル解説
倫理観が欠如したとき、
科学はどうなってしまうのか?
という疑問を、より具体的にして
倫理観をなくせば、科学技術は発展する。
と改めて考えます。さっき出たやつですね。
でも、ぶっちゃけ
ちょっと漠然としすぎて分からんなぁ
って感じですよね。
それならこう考えてみましょう。
もっと具体例持ってこーい!
ということで、先ほどの具体例を二つ。
人体実験
ヒトクローン
について、お話しします。
(……あくまで思考実験ですよ?)
具体例①--人体実験
では、始めていきましょう。
まず、例えば、のお話です。今からちょっと、倫理観を失ってみてください。
は?
って感じですよね(汗)
では、より詳しく書きます。
・ヒトを資源として考える。
・個人が誰であろうと無問題とする。
というヤバめな思想を持った科学者に、一時的になりきってみてください。
科学には「再現性」が必要です。
そのため、自分の研究のために、ヒトを何人かバッサバッサとピーー(規制音)するでしょう。
再三書きますが、科学は「再現性」命です。となると、欠かせないのは……
再現実験、です。
もちろん、自分の研究で、何度やっても同じ結果になるようにするのは重要です。
しかし、それと同じように、
誰がやっても同じ結果
にならなければなりません。
ここで、「Science Fictions」のリッチー氏に再登場していただきましょう。
リッチーさぁ〜ん!
……ハイ。彼も、執筆した本の第2章や3章にて、再現実験の重要性を説いています。
再現実験とは、ある人の論文を参照して、別の人が同じ手順で行う実験のことです。
では、先ほどの前提を思い出してみましょう。
あなたは今、いわゆるサイコ科学者です。
アブナイ実験もしますし、その結果を論文にもまとめます。
と、いうことは……?
「再現性」を重視したとき、
他の人もサイコ実験をする=正当
ということになります。ちょっと信じがたいですね……
次に、思い出していただきたい前提があります。
あなたには思想がありました。それは、
ヒトを資源として考える
というものです。
資源は有限です。無限だとすることはできません。
なぜなら、人体実験での被験者(犠牲者)は、研究費を使って集めるからです。
研究者は計画書を書いて、企業や資産家などから、研究費を手に入れます。
この資本主義社会では、この資金に限りがあるのです……
資金(オカネ)が有限であるということは、資源であるヒトも有限です。
自分の研究でも、他人の再現実験でも、それは変わりません。
しかし、実のところ「再現実験」は、リッチー氏によると成功率が低いとされています。
つまり、再現実験が失敗したとき、自分や他人の実験で散らされたヒトの犠牲は、
無駄無駄無駄無駄、無駄ァ!!
ということになります。
倫理観を無駄だと切り捨てた結果、別の無駄(犠牲)が生まれてしまうのです。
それ以前の問題もありますが(汗)
具体例②--ヒトクローン
人体実験の例では、ひたすら合理性を突き詰めてみました。
今回も倫理観が欠落した世界線なので、倫理学上の問題はとりあえず完全スルーします。
ヒトクローンの問題は、
道徳的には間違いなくアウト!
な人体実験よりも、圧倒的に議論されています。
比較的最近の例では(とはいえ、約10年前ですが)、京都大学の大学院で
「ヒトクローンはなぜだめなのでしょうか?」
という対話が展開されています。
ドンピシャですねぇ。
※「応用」とか「哲学」とかいう文字が見える、って? 一瞬それには目をつぶってください(土下座)
この対話で挙げられた問題点は
(倫理的観点を除外すると)、
安全性と生態系への悪影響
です。
安全性は、技術そのもののお話です。不備があると、多くの資源を犠牲にします。
生態系への悪影響は、ヒトが増えすぎることで、他の種(=動植物)に被害を及ぼす心配です。
この対話では、
どちらも技術によって、問題ないレベルにできるかもしれない
と言及されています。
しかし、資源が有限であることは大きな問題です。ヒトクローンの場合でも、資源=ヒト(または他の動植物)と見なせます。
人体実験の例でもお話ししたとおり、
壊したら元に戻らない分、失うものは大きいでしょう。
つまり、
現在の研究が将来の資源を減らす
かもしれません。
3. 結論(まとめ)
我々が辿ってきた道のりを、ザックリとおさらいしましょう。
まず、「科学をどのように扱うべきか」「倫理観をなくすとはどういうことか」を考えました。
科学は「マートンの規範」+再現性によって扱われ、今回は再現性に注目しました。
倫理観とは道徳心であり、生命倫理の道徳心をなくした状態は倫理観をなくすことでした。
次に、人体実験とヒトクローンについて、倫理観がなくなった世界線を設定しました。この世界では、
有限な資源を失う可能性が高い
という結論になりました。
このように、
倫理観をなくすと
より大きな犠牲が生まれうる
のです。この犠牲は、科学技術の進歩を妨げるかもしれません。
だから、科学では倫理観が大事なんですね!
科学にとって倫理観が大切な理由、解明できましたね。
皆さんが読んでくださったおかげです。
ありがとうございました!
余談
本編の流れでは書けなかった余談を集めました。よければ見てやってください。
別名は、秘技・長文オタク語り!
この記事を書き出したきっかけは、「倫理観がなければ、科学技術は発展する」と身内が言い出したからです。感情論を抜きにして、これが間違いだと言い張るにはどうすれば良いかを考えました。
「マートンの規範」4つ目にある、組織的な懐疑主義 organized skepticism は、リッチー氏の本ではイギリス英語表記で「organised scepticism」となっています。
記事全体で、できるだけ安易な表現で、かつ的確な表現をするのに苦労しました。至らない点もあるかと思います。
「ヒトクローンは応用科学では?」という疑問を振り切って書きました。対話は哲学に重点を置いていましたが、様々な意見が集まっていたので採用。
ヒトクローンについては、「自分の細胞核をES細胞に入れ込むことで子をなすために用いられる」という部分が、恥ずかしながら初見で、衝撃を受けました。新たな学びを得られて嬉しかったです。
ヒトクローンについては(2回目)、「試験管ベビーの方が良かったのでは」とも思います。しかし、これは「望まれない子の処遇」を巡る観点から、妊娠中絶の話題に飛びそうだったため断念。
何度考えてみても、様々な視点の「科学」があって、それを突き詰めるのが何よりも楽しい ということを伝えたかったのですが、いかがでしょうか?
使われなかったリンク集↓(使わなかった理由としては、主に情報が20年前で古かったことが挙げられます)
この蛇足も読んでくださった方々、本当にありがとうございました!!