MBAって本当に世の中の役に立ってるんですか?

先日「GAFAを辞めた話」というのを書いたが、いろいろ別の視点からも書いてみたいと思う。その一つはMBAだ。ひと昔に比べれば、今やMBAという単語自体は特別なものではなくなっているが、社内を見渡すとアメリカの有名大学のMBAホルダーはたくさんいた。彼・彼女らは、そのためにいろいろな努力をしたのだろうし、それは素晴らしいことであると思う。しかし今、改めて問いたい、MBAって本当に世の中の役に立ってるんですか?と。

MBA的方法論に対する違和感

MBAの功罪については、これまでもいろいろ語られて来ている。ヘンリー・ミンツバーグの「MBAが会社を滅ぼす」などはその典型だろう。それと重なる部分も多いだろうが、一応自分なりの視点で書いてみることにする。

例えば、年間の営業戦略を立てるとする。これまでの売上や各種KPIとなるような数字を算出し、昨年との比較や、同業他社との比較を行い、ここが弱かった、数字があまりよくなかった、なので今年はここに注力する、この問題を改善する、あるいはこの部分をさらに伸ばして市場シェアをもっと伸ばす、といった戦略に落とし込み、数値目標を立てて具体的なアクションを考えていく。まあ大まかに言ってこんな感じだろうか。

その中で1つ、自分は違和感を覚えたことがあった。戦略を考えるに当たって、いかに自分たちの数字を伸ばすか、もちろんこれは重要な点だ。しかしそれは一体「誰のためなのか」という視点が欠落していると感じることがあった。つまり、自分たちの利益拡大が、顧客やユーザーのために本当になっているのか?と。そしてそれは本当に世の中のためになっているのだろうか?様々な数値やKPIを設定するのはいいが、結局のところそれは自社の利益誘導のための単なる「数字遊び」に終始しており、本質的な価値を顧客やユーザーに提供してはいないのではないか?

GAFAも元々はスタートアップから始まった企業だ。最初は、様々なアイデアを出し合い、いかに世の中に新しいプロダクトを提供していくか、いかにしてイノベーションを生み出し、この世の中を変えていくか、そういった熱意のもとに成長していったのだろう。しかしGAFAは今や、全世界のビジネスの生殺与奪を握るプラットフォーマーである。GAFAの胸先三寸で、ビジネスモデルが大きく変えられてしまう。最近話題のフォートナイトをめぐるAppleとEpic Gamesの争いなどは、その際たるものだろう。その辺の駆け出しのスタートアップとは置かれているステージが違う、だからこそMBAのような経営管理手法が必要なのだ、という主張も理解はできる。

MBAはイノベーションを生み出せるものか?

しかし私は、それを持ってMBAの有用性を認めようとはそれほど思わない。いかにGAFAとはいえ、変化のスピードが加速する現代においては、いつどうなるかは誰にも分からない。特に、市場環境が急激に変化し、将来予測が難しい局面においては、MBA的な方法論は大して役に立たない。MBAというのは、つまるところはそれまでの結果を「数字」というものにして、こねくり回して戦略に落とし込む、というようなやり方であって、あくまでも過去の結果に基づいているに過ぎない。だから、1あるものを2や3、あるいは10や20にすることは得意だ。しかしそれは、あくまで社会や組織が成長局面にある場合には有効だが、グローバリズムと新自由主義によって拡大した格差の是正が求められる社会において、果たしてうまく機能するのだろうか?

またMBAの弱点として、0を1にする方法論に乏しい。つまりイノベーションを起こすことは得意ではない。思い出して欲しい、故スティーブ・ジョブズは「マーケティング」と「ブランド」という単語を非常に嫌っていた、というのは有名な話だ。最近よく話題に上る「デザイン思考」とは真逆の考え方と言えよう。「いかに世の中に本質的な価値を提供するか」が問題なのであって、それが出来なくなればGAFAであろうが滅びるしかない。

私は問いたい、この予測不可能な環境要因であるコロナの影響下で、MBA的方法論で業績を伸ばした例があれば教えて欲しい。もっと言えば、行き過ぎた格差を是正し、社会的弱者をきちんと包摂し、ポストコロナ、ポストグローバリズム、ポスト新自由主義の社会の実現に資するMBAがあれば、ぜひ教えていただきたい。私には、今のMBAというものは自社の利益拡大を図る手段としては意味のあるものなのかもしれないが、社会全体に対して資するものには思えない。異論・反論等あれば、コメントでぜひご教示頂きたいです。


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