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GAFAを辞めた話

以前、Googleに転職したという話がバズっていた気がする。日本企業とGAFAでは特に開発者に対する待遇が段違いであり、いかに日本企業の競争力が低くなっているか、という文脈で語られていた記憶がある。自分は先日までGAFAの1つで仕事をしていたので、そのことを書こうと思う。

巷で言われている通り職場環境は素晴らしかった。カフェテリアの食事は素晴らしいし、福利厚生も充実している。休日は当然ながらきちんと取るし、休む時は仕事からは積極的に離れるよう言われる。メールやチャットも送ってこない。子供のいる家庭では男女関係なく育休を取れる。仕事も日本企業でありがちな、業務効率と関係ない下らないことで上司に何か言われる、といったこともなく、マイクロマネジメントもされないし、自分のタスクをきちんと達成していれば、夕方5時くらいにさっさと家に帰っても、基本的に文句は言われない(これは業務内容やマネージャーの性格などにもよると思うが、自分の環境はたまたまそうだった)。コロナの状況になっても、リモートで全く問題なく仕事はできた。それでいて給料は高いのだから、そりゃ文句はない。

一緒に仕事をする人達も、基本的には能力の高い人が多い。中には、GAFAであるにもかかわらず英語があまり出来ない人もいたし、逆に英語が喋れるというだけで採用されたんじゃないの?というふうに思える人もいた。まあやるべきタスクをこなせればとりあえず問題はないが……。

だが、その中で自分には違和感を覚えることもあった。例えば「どちらにお住まいですか?」という話になって、どんな地名が出てくるかというと、広尾、麻布、六本木、白金、高輪、田町、品川……、日本で最も平均収入が高いと言われる東京都港区の地名がポンポン出てくる。自分も一応23区内在住だが、住んでいるのはもっと端の方だ。これほど港区在住の割合が高い集団には初めてお目にかかった。高い給料を貰ってる人が、そういう高級エリアに住むことを否定するつもりは全くない。金持ちが金を使わないと経済が回らない。

よく「ダイバーシティ&インクルージョン」というキーワードが話題に上る。多様な人種、国籍の人達が集まる多民族国家であることが、アメリカの競争力の源泉であり、シリコンバレーもまた同じということだと思う。アメリカの大学に「アファーマティブアクション」という、マイノリティに対する差別を積極的になくそうとする措置があるのもよく知られている(そのせいでマジョリティが機会を奪われ逆差別になってる、との批判も強いがここでは置いておく)。

確かに社内には様々な人種、国籍の人達がいて、部署にもよるが女性も当然たくさんいる。LGBTや身体障害者など、一般的に「マイノリティ」と呼ばれる人も一定数いた。それはいいのだが、「社会階層」という意味においては、ダイバーシティは相当低いのではないかと思う。給料が高いからそりゃ当然なのだが、そこには一種の大きな危うさも孕んでいると思う。それは「同質性」の高い集団であるということだ、それも非常に特殊な。高給を稼ぎ港区に住み、きれいなオフィスに美味しいカフェの食事、そんな環境での生活は、例えるならこの世の中のほんの僅かな上澄み、ごくごく上辺の澄んだきれいなところだけを見ているに過ぎない。

「同質性」の高さは、裏を返すと、環境の急激な変化に対しては脆い。同じような生活、同じような考え方の人間が集まると、「ゲームチェンジャー」によって市場環境が大きく変わってしまった場合に適応できなくなる。これは歴史を振り返れば当然の話で、6600万年前に巨大隕石の衝突で恐竜が絶滅し、小さいネズミのような種しかいなかった哺乳類が生き残ったという話は分かりやすい。あるいは人類登場後の、さまざまな国家の栄枯盛衰も同じ話だろう。GAFAとて例外ではないはずだ。

ところで自分自身はどうなのかというと、九州のとある地方に生まれ、両親は共に高卒だったが、父親が頑張ってくれたおかげで、中学受験をして(この時点で既に恵まれてるという意見も理解している)全国的には知名度はないが地元ではそこそこの中高一貫校に入り、そして東京の偏差値の高い有名大学に入ることができた。なので両親にはとても感謝している。しかし大学で同級生と話をすると、世の中上には上がいるんだと思い知らされることは多く、学力はともかくとしても、親が医者やら大学教授やら、やれ社長の息子やら大地主の息子やら、高年収な家庭が普通に存在する(一方でお金がなく奨学金とバイトで何とか生活してる人もたくさん見てきた)。そしてこれが、大学以降の、それもGAFAみたいな集団になるとさらにその純度が増し、そもそも帰国子女であったりとか、留学経験あるのは当たり前、どう考えても親が金持ちでないと作れない経歴の人達の割合がさらに上がる。そして、そういう人達同士が結婚し、港区在住で世帯収入数千万円の家庭が出来上がる。ちなみに港区の2018年の合計特殊出生率は、中央区の1.42に次ぐ1.39で、つまりそれだけ経済力がなければ子供を産めない、という身も蓋もない事実にぶち当たるのである。

実際、日本全体で少子高齢化が進む中で、社内の結婚率は自分の周りでは体感で3分の2くらいだと思う(20代の若い人たちも含めて)。親世代から子世代へ社会階層が継承される、いわゆる格差の再生産がリアルに起こっている。そんな人間が集まる偏った環境で、一体どんな人間が育つのだろうか?親の年収が、子供の学力や大人になった後の年収にに大きな影響を与えるという事実に無自覚で、全てのものを「与えられた」にも関わらず、自分の力で何でもできる、という誤った全能感を持つ人間が出来上がる可能性は、確実に上がるのではなかろうか。

こういうことを言うと「貧乏人の嫉妬だろ、努力しなかった連中は自業自得だから文句言うな」なんていう意見も出てくるだろうが、そのような言説がこの社会の分断を招いているのは言を待たない。それは先述したように、生まれた家庭環境が与える影響が大きいからだ(別に後天的な努力を否定するわけではない、日本はまだ努力で逆転しやすい方の国だ)。生まれる家庭は選べない。ましてや現在のコロナの影響下において、我々は、ポストグローバリズム、ポスト新自由主義の社会のあり方について、否応なしに考えざるを得ない。世の中に貧乏人が増えて良いことは何もない。貧乏人であろうと一消費者であり、経済を回す一翼を担う。貧乏人が豊かになれば当然経済も上向く。日本のGDPで個人消費の割合はなんだかんだ言っても50%以上ある。アベノミクスではいくら富裕層が株価上昇で資産を増やしても、結局トリクルダウンは起こらなかった。貧乏人、社会的弱者を包摂できる社会の構築が必要とされている。

まあ色々書いてきたものの、職場環境としては素晴らしいというのは間違いない、ただし自分達の置かれている環境の特殊性、そして社会的立場を、常に謙虚に自覚しないと、世間のその他大多数とは感覚がズレた人間が出来上がってしまう可能性は十分にある。この現代社会において、生殺与奪を握るプラットフォーマーであるGAFAのような集団にいる限り、常にこれを頭のどこかに入れておく必要があると自分は思う。これは宿命だ。あるいは宿痾と言ってもいい。断っておきますが、別にGAFAの社員や港区民を批判するのが目的ではありません。人間としてどう生きるか、問題は生き方や品性・品格であり、自らへの戒めをすべきだと言いたいわけです。サイコパスな人ほどビジネスで成功しやすい、って話もあるけど、ポストグローバリズムの時代において果たしてそれはどうなのか?とも思うし。

次の仕事は現在絶賛求職中ですが、九州の家庭の事情により、家に帰らないといけないかもしれず、完全リモート可能な仕事でないと厳しいです。逆に言えばリモート可能であればどこの企業でもいいです。これ読んでご興味のある奇特な方がもしいたらぜひ(いないか)。

※個人特定を避けるため一部事実を変えて書いていますが、本稿の基本的主張には影響を与えません。

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