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気になる口癖

 22時過ぎ。
 追われるような日々に疲れが溜まっていた。漸く訪れた一人の時間だが何もする気になれない。惰性でウィスキーを用意し、目的もなくスマホを眺めていた。普段はあまり見ないSNSを開くと、もしかして友達かも、とサジェストされた一覧に名字だけ変わった懐かしい名前があった。
 最後に連絡があったのはどれくらい前だったか。

『妊娠したし、結婚するわ』
『まじか。おめでとう』
『ありがとうなー』

何年も会っていなかったのに、突然に、そして実に簡素に。彼女らしいと言えば、らしい。


 彼女とは友人の紹介で知り合った。酒とカラオケが好きだった。勿体ぶってはっきりしない自分に、サバサバとツッコミを入れてよく笑う。小さくて可愛らしいのに気が強くて姉御肌。彼女と過ごす時間はとても心地よく、出会ってからお互いに心惹かれ合うまでは本当に一瞬だった。当時、付き合っているのかどうか、という関係の女性がいたが、好きな人が出来たからもう会えないと伝えたところ、そうやと思ってたよ、と短い返事だけがあった。
 彼女とは既に、何度もキスをしていた。
 身体の関係もあった。
 あった、が、最後の一線は超えていなかった。
 それは、酔った彼女の口癖に拠るところが大きい。

「あんな、うち思うねん。一番好きな人とはな、絶対幸せになられへんのよ。だから恋愛はな、2番目に好きな人とした方がえぇと思うねん」

 彼女には出会った当初から、好きな人がいた。だが、相手には恋人がいたし、別れる気はないと宣言されていた。彼女は所謂、浮気相手だったのだ。それもとびきり都合の良い。
 それは底なし沼のようだった。都合良く呼び出されて、都合良く帰らされて。しんどいし、もう会いたくないねんけどな、と自嘲気味に笑う彼女を何度抱きしめたことか。藻掻いて、喘いで、溺れるほど飲んで、酩酊した視界の中、何度求め合ったことか。
 自分ならそんな気持ちにさせない。君を必ず幸せにしてみせる。
 何度そう、言葉にしようと思ったことか。
 だが、できなかった。

 あの口癖だ。
 嫌になるほど聞いた。
 その言葉は、最後の一歩を躊躇させた。
 そして彼女自身も、それだけはダメ、と虚ろに拒み続けた。
 もっと近づきたかった。なのにお互いの心が、身体が邪魔をした。

 彼女にとって、彼が一番。
 自分は二番目。
 そういうことなのだろう。
 だがあの頃の自分にそれを受け入れる度量はなかった。
 恋愛には、純粋率が必要だと信じていたから。


 ウィスキーを舌の上で転がす。
 細胞を焦がすこの感覚は、記憶の中の、彼女とのキスに似ている。
 今思えば、あの口癖で彼女は自分を守っていたのだと思う。私はこんな女なのだ、仕方ないのだと。そして言の葉に載せることで、それでもいい、と水底から掬い上げてくれる人を待っていたのだと思う。

 今ならば、もっと違う愛し方がある。
 純粋なだけでは、永遠は誓えないのだから。


 そろそろ良い時間だ。
 グラスを片付け、歯を磨く。
 音を立てないように、寝室のドアを開け、妻と子どもたちの穏やかな寝息を暫し聞く。



 彼女にも、自分にも、今は帰る場所がある。
 一番も二番もない、帰る場所。


 沢山の後悔と、寂しさと、温もりと、幸せと




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