「正気じゃいられない」2022/07/05の日記

そういう日もある。僕の場合は日とかじゃなくて、時の場合が適切かもしれない。正気じゃないというか、意味の無いことしか言いたくない時がある。

意味のある会話ばかりだと疲れるからな。究極鳴き声でいいかも知れない。良くないか。

ここ3年くらい、平日の会話量が激減し、僕が得意としていた当意即妙な返答が出来なくなっている。最低限の返事、とりあえず会話を続けるためだけの会話。これに終始している。超つまんね〜〜〜!他の会社はどうなんだろう。こんなに会話少ないんだろうか。頼む!そうであってくれ…

1ヶ月くらい連続で人と話す機会を与えてくれれば、復活する気はしてる。リハビリさせて欲しい。このままでは、自分の感情が何なのかさえ分からなくなってしまうぞ。

働いてる時に、これは本当の自分ではないなという気持ちを常に抱えている。本来の自分はもっと気遣いが出来て、明るく話せる人間なんだと。
だから、自己イメージの自分と現状に苦しむことがよくあった。

ただまあ、よく良く考えれば「自分」なんてものは社会の場面場面によって多面的な顔を持つものなんだと思う。だから、当意即妙な会話ができる自分も職場ではカスのコミュ障になってしまう自分も自分には変わらない。だから「本当の自分」なんてものは有るようで無い。そこに拘りすぎるのは却って不健康である。

そうは言っても「自分にとっていちばん快適な自分」はある訳だから、それをなるべく保てるようにしていきたいよな。

……

あーあ、また悪文書いてしまった。脳内源泉かけ流し文章。こういうのを自己セラピー文章と呼んでいます。僕は。

ちょっと話し違うけど、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが記した「自省録」
今では歴史的な名作とされているが、彼の内面をそのまま書き写したもので、他人に見せることは全く考えてなかったらしい(しかも、死ぬ時に処分を依頼していたとか)黒歴史ノートを2000年間読まれるのまじで可哀想だと思う。

それゆえ、全体の構成はぐちゃぐちゃだし重複する内容がよく出てくるが、一方では哲人皇帝の内面を伺える名著になっている。哲学者として生きたい自意識と皇帝の職務に忙殺される現実。

僕も全部しっかり読んだわけじゃないんだが、共感できるところは多いし、マルクスですらそうなら僕もそうなっても仕方ないなと思える。

ダウナーでまとまりのない自己満足な日記になってしまったが、そういう日もあるってことで。

今日の一句
ああマルクス  アウレリウス  アントニヌス
自由律俳句

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