『共産主義革命論』第10章 労働運動から日本革命への道筋
第10章 労働運動から日本革命への道筋
・労働運動を盛り上げるための提案
では、どのように怠けていけばいいのでしょうか? 単に仕事をせず、生活保護を受給するような形の抗議活動もありえるかもしれませんが、それは労働者であることを捨て、社会との健全なつながりを失うことになりかねません。
結局、社会が無職にやさしいわけがなく、このような生活保護受給者が増えれば、それは単に労働者階級の社会保障や税負担の増加として跳ね返ってくるだけで、労働者階級全体の利益になりえないのです。
労働運動で最も重要なものはストライキでしょう。
近年、労働組合の組織率や運動自体が低調であり、ストライキや労働争議の件数が激減しています。
労働運動を盛り上げるといっても、いきなりストライキだといっても、あまりに現実味がないといえます。それ以前に、労働組合自体にそこまでいい印象を抱いていない人も多くいるかもしれません。
現状、日本の労働者たちに労働組合運動に参加してもらうどころか、労働組合に参加してもらうことすら困難な状況があります。そこで、まずは労働組合を介さない労働運動を提案します。
ソビエト連邦崩壊後、人々はたくさん働くこと、自分の能力を十分発揮することをよしとする能力主義を推し進めました。
しかし、能力主義はブルジョワジーの罠だったのです。
なぜなら、能力がある人が活躍するということは、より能力が劣る人が活躍できないということであり、能力がある人はその能力を最大限発揮するために長時間働くことが推奨されるのです。
これが何を生み出すかというと、有能な人ほどたくさん働き、働けない奴は価値を生み出せない無能だから低賃金で能力あるやつのために奉仕しろという考えが正当化されてしまうのです。さらに、能力ある人には当然の報酬が認められるべきだと、役員報酬や卓越した才能に多額の報酬が与えられるようになりました。
要するに、賃金というものが生活のために必要な金額ではなく、能力をどれだけ発揮したかに応じて受け取れるものだと誤解させられるようになったのです。
わたしの語る共産主義との違いを見てほしいのです。
わたしが目指す共産主義は
「1日4時間能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」
です。能力と必要には直接的な因果関係がありません。働くのは能力に応じますが、受け取るものは能力の発揮度合いとは無関係です。
確かに、能力に応じて受け取るという現代の能力主義社会はわかりやすく、筋が通っているように見えます。
しかし、それをやると先ほど説明したように、より能力の劣った人たちや、能力を発揮することを怠る人たちを低賃金でいい、働かずに成功者の養分になれとなりかねません。
能力主義がはやるいまだからこそ、怠ける権利を主張しなければならないのです。そして、怠ける権利を要求するためのもっともすぐれた方法こそが労働運動なのです。
・世界的に労働運動を衰退に向かわせた能力主義という洗脳
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