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日記 2024.7.23(火) ただ技術がなかっただけ。

目が覚めたのは5時だった。昨日の夜は歯磨き以外の任務をぜーんぶ終えてからiPad片手に絵を描いた。自由にやってみたいようにやってみる。絵を描きたいというわたしの気持ちは満たされた。たよりないかもしれないけれど、自由に楽しむわたしは楽しそう。

洗面台のエリアは朝は涼しいので気持ちよくお化粧したりできる。火を使い始めると一気に暑くなるから、まだ涼しいうちに着替えも済ませておくのが好きだ。昨日はやりたいことがあったりしてまっすぐ家に帰ってきたこともあって冷蔵庫の食材がちょっとさみしい。卵はあるから卵焼きはできるのと、紅しょうが、失敗ザワークラウト、お母さんの失敗らっきょう、梅干し、ごま塩、オクラを蒸して入れよう。なんとか入れられるものを絞り出してお弁当を完成させていく。

今日はやってみたいことがたくさんでいつもよりもさらに早く学校に着いた。準備に時間をかけ過ぎたり、デザインの細かいところにこだわり過ぎた結果、課題は提出時間に間に合わせられなかった。でもやりたいことがあって、それを形にでき始めた感覚があってうれしい。休憩時間も返上して、居残りまでしてしまって今日はぱんぱんに課題を楽しんだ。そうそう、楽しいならば気持ちよくいつまででもできるのだ。好きなことだけやって生きていく、そう決めたのだった。この楽しさを継続できるようになりたい。

しかし今日はよくやったのではないかと思う。十分に楽しんだらちゃんと休むことも忘れないでいたい。集中している時は気づかないけれどちゃんと体は疲れていると思うのだ。期限がある中での作業は特にストレスもある。息してたかな?今日は好きなもの食べたらいいよ、わたしにやさしく声をかけていく。

長ねぎとピーマン、パンなど買って帰宅。相変わらず部屋が暑い。クーラーをつけて買ってきたものを整理してひと息つこうと思ったけれどそのまま一気に夕飯を食べて片付けまでしてしまった。やること済ませて何にも気にせず休んだ方が気持ちがいいからとわたしがそうさせる。

世間はどうやら夏休みに入っているらしい。わたしはむかし、長期の休みをうまく使うことができないタイプだったので夏休みとか冬休みがやってくることがあまり楽しみではなかった。休みといっても宿題はあって、一ヶ月ある休みの中でどうやって宿題を終わらせていけばいいかよく分からなくてちょっと困っていた。小学校の頃は絵日記の宿題だけは大好きで力を入れてわくわく取り組んだけれど、よく分からない自由研究、なんの思い入れもないポスターや読書感想文の宿題はいつまで経ってもできないまま。夏休みの最終日になっても終わらせられずそのまま9月1日を迎えることはしばしばだった。言われたことはきっちりできるが、言われなければいつまで経ってもやらないのがわたしただった。

やりたくないことはやりたくない、と好き嫌いがはっきりしていたんだと思うのだが、期限に間に合わせてとりあえず終わらせるということがわたしにはできなかった。あの頃のわたしは時間を組み立てる技術がなかったのだ。どこから手をつけて、どうやって期限内に終わらせるか、自分で予定を組み立てていくことができなかった。

じいちゃんばあちゃんはいつも家にいるけれどもちろん勉強のことは教えてくれない。お父さんとお母さんは土日関係なく仕事でほとんど家にいることがなかったので、教えてもらう時間がなかった。わたしは自分をことばにすることが苦手だったので何がどう分からないのかさえ分からず本当に困っていた。あの頃のわたしにいまのわたしを会わせてあげたい。

段取りを覚えると段取りを組んでいくこと自体が楽しいことだということに気づく。わたしは宿題が苦手でもなく、宿題をやる順序の組み立てが苦手でもなく、ただ組み立て方の技術を教えてもらっていなかっただけだったのだ。そう、わたしはただ知らなかっただけ。

過去の自分のクセを思い返してみると面白い。わたしはどうして宿題ができなかったのか、夏休みと聞いてこんなことを思い出す自分はちょっと変なのかもしれないが、またひとつ自分を知ることができてわたしはうれしい。夏休みもわるくないかもしれない。

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