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日記 2024.7.13(土) 静かな三連休のはじまりの日。

7時に起床。天気が良さそうなので洗濯機を二回まわす。玄米を炊く。玄米はもうなくなってしまった。ここのところ実家からの荷物が続いたので玄米だけを送ってもらうのもあれだし、ひとまずどこかで買ってこよう。
玄米と小豆と一緒に大豆も水で戻しておいた。味噌を仕込んだ残りの青大豆。玄米を炊いたあとの土鍋で茹でる。

お化粧をしておく。髪型が整っているのであまりメイクもしなくなった。どんどん減っていくメイク道具が気持ちいい。傷んだところのない髪の毛はくしを通さなくてもするする指が通る。これまで毛染めでどれだけ髪は傷んでいたのだろうと思う。白髪がしっかりと生えてくるまでの間は気持ちよく過ごさせてあげたい。元気いっぱいの髪の毛を見るとわたしも元気になる。

朝からお父さんから電話。メッセージが既読になっていなかったので何かあったなとは思っていたけれど、熱中症で寝込んでいたらしい。お父さんはここ数年ですっかりクーラー生活になってしまった。ちょっとしたことですぐに暑いというし、汗をかくのも嫌がる。熱中症の原因はわかっているのかと聞くと、炎天下の元で作業してしまったと言っていた。寝込んで不安になるお父さんは暇なのでお母さんのことが気になるらしく、もの忘れがひどいから病院へ行ったほうがいいのではないかと言う。お父さんはとにかく大袈裟で不安症でものごとをわるい方へわるい方へと考えるのがクセだ。これはわたしはしっかりと引き継いだ部分なのでよく分かっている。自分のことよりも人のことが気になっているお父さんに、人は変えられない、それよりも自分をもっともっととことん大事にしてみようと呼びかけてみる。わたし自身、自分を置き去りにしてまで人に向けていた目線を自分に向け、やっと少しずつ変わることができていると感じる。自分のやってきたことを伝えていく。わたしにはそれしかできない。いつかお父さんが自分で気づくまで、粘り強く伝え続けていく。
お母さんにも連絡しておく。熱中症で寝込んでお父さんがネガティヴ妄想モードになっているとメッセージを送っておいた。家族との関係も完全にわたしとは別な人間の話と思えるようになってきてから随分と楽になった。ほどよい距離感で関わり続ける。
人をコントロールすることはできない。察してあげるのはいつも自分の声だけだ。

さて、今日の最高気温は31度。なかなか過ごしやすい天気が続いている。クーラーもいらない。扇風機も止めても大丈夫なくらい。気持ちがいいので自然と雑巾を持ち、床を拭いていく。一週間分のほこりがつるんとなくなると気分がすごく晴れる。お父さんも心の中を掃除するように部屋をすっきりと掃除したほうがいいかもしれない。手放すものはしっかりと手放して身軽になると最高に気持ちがいい。

青大豆が茹で上がった。時間をはかり忘れたけれど大体一時間くらい茹でただろうか。茹でたての大豆の美味しさが一番のお楽しみ。少しかためで火を止めて、塩をふって食べてみる。枝豆のような青っぽい風味もあって美味しい。この青大豆はこだわりの八百屋さんで買ったもの。

お弁当を作って図書館へ行こうか迷いながら過ごしているうちにあっという間に11時。お昼ご飯を作ろう。昆布、干し椎茸、なめこ、大根、わかめ、モロッコインゲンのお味噌汁。ミニトマトとバジルを紅しょうがを漬けていた梅酢で酢の物みたいにしてみる。めちゃくちゃ美味しい。お味噌汁にもバジルを入れる。バジルの風味がお味噌汁全体にほんのり広がってこれほんとうに美味しかった。バジルはお母さんが送ってくれた実家の畑で採れたもの。お母さんがお味噌汁に入れたらめちゃくちゃ美味しかったと教えてくれていたのだ。お味噌汁にバジルかぁとあんまり気乗りしていなかったのだけれどやってみると美味しくて驚いた。お母さんにメッセージを入れておく。

洗い物を終えてお腹いっぱい、さあお昼寝の時間。待っていましたと言わんばかりにまぶたがとろりとおちてきた。扇風機の風を浴びて、外の葉っぱの揺れる音を聞く。静かな三連休の正午。背中には汗をかいている。汗をかくことを気持ちがいいと感じるようになってきたのは畑のおかげ。

1時間眠ったらすっきりした。寝息なのかいびきなのか聞こえてきていた。起き上がってやっぱり出かけることにする。気持ちのいい下着の調査と新しい財布を買いに吉祥寺へ行く。

三連休初日、駅までの道のりは人はまばらで静かだった。遠くに出かけている人も多いのだろう。打って変わって吉祥寺は週末のあのにぎやかさがあった。なるべく人のいない道を通ってもなかなか目的地に着かない。
調べてあった店へ行きさくっと財布を買った。荷物を少なくしたいと思った頃から大好きだった長財布をやめ、持っていた小さなポーチを財布代わりに使い始めた。すごく使いやすくて重宝したけれどいい財布があれば変えたいとは思っていた。
財布、といっても売る側としてはポーチ、とのことだった。でも中にカード入れもちゃんとあって、これは財布として使えるとすぐに思った。わたしは今までで一番小さな財布を手に入れた。リングがついているのでカラビナに引っ掛けられるところも惹かれたポイントだった。

いくつかの店で下着の調査をしてコロコロテープの替えを買い井の頭公園へ。蚊がいるので水辺のベンチは空いていた。露出した肌にハッカスプレーをふりかけて読書。タンブラーにはさっき買ったアイスコーヒー180円(レギュラー200円がタンブラー持参で20円引き)と、ポテトチップスとビスケット。最高の読書タイム。藤本和子さんの『塩を食う女たち』を読み始める。わたしはいつも、目的があって本を読む。知りたいこと、調べたいことがあるから、文体の勉強がしたいから、目的のために本を読む。だから小説はあんまり読まないのだろう。ただ本を読むということがわたしはできない。

ユザワヤで生地を見てから電車に乗って帰る。最寄駅のホームでチャッ、チャッ、とスティックの音がした。以前働いていたお店のお客さんだった。久しぶりにお見かけして声をかける。改札へ向かいたいとのことだったので一緒にいきましょうということになった。覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、わたしは存じ上げていることを伝えてみた。こんなこと自ら言うなんて珍しいのだけれど、なんとなく感覚が近いと勝手に感じて親近感を抱いていたそのお客さんのことをわたしはすてきだなと思っていた。懐かしい話などしながら階段を降りて改札へ。また声かけてくださいと言っていただき別れた。

帰りながらわたしはなんだか嬉しくなってしまった。声をかけたいと思う人にちゃんと声をかけられたこと、わずかな時間楽しく話ができたことが嬉しかった。実践することの意味を改めて感じた瞬間だった。スティックで地面を探り立ち止まる女性を、近くで見守りながら声をかけられずにいた女子高生の姿にかつての自分を重ねた。わたしは今日そこから一歩進むことができたのだ。自分が動けば必ずそこには変化がある。なにかが小さく変わり始めるのを感じる出来事だった。

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