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日記 2024.4.11(木) 贈り物について。

昨日は集中して絵を描くことはできなかった。それでも今描いている絵の色や構図、雰囲気がほんとうに好きだ。もっと変わりたいと強く思った瞬間に撮った写真だったからかもしれない。多分この絵はわたし自身にとってすごく意味のある絵になるかもしれない。初めて額装してみたいという気持ちが湧いてきている。

昨日はたくさんの人と会ったり話したりしたけれど疲れてぐっと小さくなっていない。むしろやっぱり人と関わったりしゃべったりすることがわたしはほんとうは好きなのだなと、思えるようになってきた。人との距離感を保つことを意識できればいいのだと気づいてきている。

今日も外へ出て動く。しばらく台所にほっと座っていないけれど、動きながら思考は広がり続けている。出かけると家事が最小限になるけれど、安心がここにあるから少し触れるだけでもものすごくやさしさを感じることができる。今日はわたしの作ったお味噌汁が食べたい。素直に言ってみる。ここのところ食べ方が無茶になっているよと体が教えてくれている。ゆっくり噛んでゆっくり食べよう。そんな時間を取る必要がありそうだ。

今日は皮膚科にレーザー治療の経過をみてもらいに行った後、京橋、銀座方面へ行く。美術館へ行ってまいちゃんの贈り物を決めて帰ってきたい。今週はよく動いている。動けば見えてくるものがあることを実感しているから体がむくむくと動きたがっている。

大好きな家事にとりかかる。天気もいいから洗濯もしておこう。気持ちよく流れるように家事に触れていく。暴飲暴食が続いているので今日はただの番茶が飲みたいとたっぷり湯を沸かす。

動ける時にしっかり気持ちよく動いておこう。ぐっと小さくなりたい時に立ち止まれるように周りを整える。お昼ご飯のお味噌汁も用意しておく。切り昆布に鰹節、ザワークラウト、乳酸玉ねぎ、にんじんを使う。スーパーにも今週は行けていないのだけれど、保存食たちがわたしを助けてくれている。小松菜の菜の花、黄色い花が咲いてきれいだ。ある程度火が通ったお味噌汁にばさっと入れると菜の花畑みたいになった。台所で感じる自然でもわたしは元気になることができる。野菜からもらう元気は力強い。

お昼ご飯を食べて少しだけ目を閉じて休んでから出かけた。皮膚科へは経過を見せにいくだけなのですぐに終わった。銀座線で京橋へ。ブランクーシの展示を観に行く。アーティゾン美術館はものすごくきれいで高級感のある美術館だった。ブランクーシの作品を初めて観たのだけれど、どれもかわいくてきゅっとした。フォルムや線、面がどれも気持ちいい。木喰と円空の仏像に出会った時とおんなじような感覚になる。大好きかもしれない。
ブランクーシは自分の作った作品を自分でカメラに撮っていたようで写真もいくつか展示してありそれもすごく好きだった。わたしも立体物を作ってみたい、そんな気持ちにさせてくれるわくわくしかない展示だった。こんな気持ちになるのはほんとうに久しぶりで嬉しい。もう一度、いやもう何度か行きたいくらいだと思ったし、鳥をみるときにそう思うように、作品にさわってみたいと強く思った。それはかなわないのでずっしり重い図録を買った。

銀座へ移動しまいちゃんの贈り物を探す。いくつか細々したものはそろったのでメインになるようなものを探したかった。でもなんだかこれだというものに出会えずにどうしようかとうろうろしていると野田琺瑯の持ち手付きストッカーのことを思い出した。直火にかけられるのでちょっとした揚げ物用にしてそのまま油も保存できたり、お味噌汁を作ったり、味噌用タッパーになったりと用途がたくさんあって自分でも買おうかずっと悩んでいたものだった。贈り物って結局自分も欲しいものを選ぶとうまくいくような気がする。見栄を張らずに素直になると贈り物選びもぐんぐん楽しくなる。きっと気持ちも伝わると感じる。
銀座を後にして最寄駅のひとつ手前で降りて台所用品のお店に走った。丸と角、SとLで悩んだけれど、角型Lの冷蔵庫にも収まりの良いものを選んだ。元住人とスタッフの方にも意見を聞いてみながら最後は自分で決めた。喜んでもらえるといいですね、お会計の時にスタッフの方が声をかけてくださって嬉しかった。頭の中でスキップしながら家に帰る。

夕飯はお昼ご飯の残りのお味噌汁を温めて食べる。食べ過ぎから少しずつ日常に戻っていく。随分整ってきた。そういえば食べ過ぎたりしても腸からのお便りは安定するようになってきた。粗食の日々はほんとうに静かだ。静かに自分を見つめる。体の中を調節しながら心も整えていっているのだなと思う。

家にある包装紙で贈り物たちを包んでみる。いまあるもの大体がリサイクルというか誰かから贈り物をもらった時、ウェブストアで買い物をした時にとっておいた包装紙やひも類だ。贈り物はとにかく自分で包装するのが好き。大好きな作業は人には譲れない。テープ類を使わないでできる限り簡単に開けられて、自然に還るような気持ちのいい素材を使って包んでみたい。届いた贈り物の包装を解き、捨てる時に分別しなくてもいいように考えてみたりする。自分が贈り物をもらった時に感じたことを元にして包んでいく。さささという無漂白のさらしを買ったので今度からはこれが包装紙代わりになりそうだ。荷解きしたらさらしとして使ってもらえるかもしれないと思うと面白い。
あげた人がどう使うか、そのまま捨てられるかもしれないけれどそれはそれでいい。こだわりを持って包みたいというのはわたしだけの話だしそれで満足。自分がもらったらうれしくなる方法を考えて試すのがただ楽しいのだ。

弟夫婦の出産祝いのことも考えている。楽しく選んで楽しく包んでみたい。時間をかければかけた分だけ気持ちも伝わるのが贈り物なのではないかなと思う。出会ったら出会った時に買っておくのもひとつの手なのかもしれない。ぴったりの贈り物を見つけたのが旅先だったりするとそれはそれで楽しいし、自分がいつも使っているものを贈るのもいいかもしれない。
わたしの最終目標は、包装だけでなく自分の作ったものを贈り物にできるようになっていきたい。自分がもらっていちばん嬉しいものってやっぱり手を動かして作られたものだと感じる。見えない誰かじゃなくて、大好きな人が作ったものがわたしの空間や生活に加わるとほんとうに安心できるし嬉しい。そんな気持ちを持ってものづくりをしていきたいと思う。


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