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日記 2024.9.12(木) やらなきゃいけないこととやりたいこと。

日中動き回っていたので昨日はぐっすりと深く眠ることができた気がする。3時ごろ一度起きたけれどまた目を閉じたらいつの間にか眠っていた。体が疲れていたのだろう。
8時前に起きて顔を洗う。お風呂の排水溝の奥の掃除を後回しにしていたので朝からやることにした。きれいになったらさっぱりして気持ちがいい。今日のお風呂は特別に気持ちがいいだろうな。

朝ごはんはライ麦パン、つぶして冷凍しておいたバナナ、豆乳。干し野菜もあるし根菜もたっぷり、食材が充実している。しばらく買い出しの必要はなさそうだ。今日は久しぶりに麻婆豆腐を作りたいので材料を確認しておく。と言っても豆腐と味噌、生姜があればなんとかできてしまう簡単な麻婆豆腐。今日はこれに発芽玄米酒粕と椎茸も加えてボリューム感のある麻婆豆腐を作ってみたいと思っている。

今月はちょっと贅沢なくらいにわたしを喜ばせようと思いながら動いているのでどんどんお金はでていく。自分のために使いたいと思うことはそんなにないから今月はしっかりと使ってみるのもいいかもしれない。実験したいこと、やってみたいこと、知りたいこと、行ってみたい場所を諦めないように必要なところにお金を使ってみたい。お金の使い方についてもしっかり考えるいい機会になりそうだ。

暑いとやっぱり呼吸が浅くなる。ゆっくり深呼吸を意識しながら動いていく。銀行へ行ってお水を買って帰ってこようと外へ出る。クレジットカードの引き落とし口座を変更しようとしてよく分からないことがあったので銀行で聞いてみることにした。すっきり分かってほっとする。わたしには銀行口座は三つも必要ないなと感じてひとつ解約してしまおうと考えている。学生の頃からなんとなく使っていた口座。銀行も駅からやや遠く、使い勝手も良くない。ずっと面倒くさくて放置していた作業をやってしまえばまたすっきりとするだろう。

産直市場へ。お昼前の産直市場はたくさんの人。商品もたっぷりあってわくわくする。午後にはいつも売り切れているようなものがある。元気な野菜を見るとやっぱり嬉しい。お水のほかに、椎茸、小松菜、ミニトマト、豆腐とお揚げも買った。

家に帰ってきたらちょうどお昼でお腹が空いてきた。買ってきた小松菜をフライパンで蒸し茹でする。この方法はどこでみたのだったかな。フライパンにうっすら水を入れて沸かし、小松菜を入れて蓋をして2分くらい蒸し茹でにする。蓋を開けた時の鮮やかな野菜のグリーンがなんとも言えない美しさだ。水にはさらさず適当な大きさに切って水分を絞る。美味しそう。冷凍庫からご飯を出して蒸しながら麻婆豆腐の準備もしていく。
しょうがと干し椎茸を戻しておいたものを細かく刻む。干し椎茸のもどし汁は明日のお味噌汁のお出汁に使おう。お味噌とみりんとお醤油、それからお塩を少し入れてタレを作っておく。準備はこれくらい。フライパンにごま油を敷いてしょうがを炒めていく。そこへ発芽玄米酒粕と椎茸を入れてサッと炒める。しょうがのいい香りとごま油の組み合わせが食欲を掻き立てる。お水を入れて沸騰したら弱火にして3分ほど煮たらタレを入れ、再び沸騰したら水切りしておいたお豆腐と万能ねぎをたっぷり入れ温める。水溶き片栗粉でとろみをつけたら完成。あっという間、簡単にできた。一味を入れたかったのだけれど入れ物の中で固まってしまって使えなかった。ちょっとピリ辛が美味しいと思うけれどまあいいか。

久しぶりに大皿を出してワンプレートみたいなお昼ご飯にしてみよう。蒸して温めたご飯、ぬか漬けのにんじんとセロリ、らっきょう、小松菜、麻婆豆腐をよそってすてきなお昼ご飯ができた。

発芽玄米酒粕を使った麻婆豆腐。

発芽玄米酒粕の麻婆豆腐は想像以上に美味しかった。お味噌も玄米味噌なので少し酸味があって酒粕の粒々と椎茸の食感、ふわりとお豆腐のやわらかさにしあわせな気持ちになった。美味しいな、これは定番になりそう。レシピを書き留めておこう。

まいちゃんが去年たくさん作った味噌たちはもう徐々に食べられるようになっているそうだ。生麹や麦麹、豆麹、いろんな麹で作ったまいちゃんのお味噌は楽しそう。毎日いろんな味噌で作るお味噌汁を味わうのは楽しそうだな。味噌作りは本当に楽しいから毎年続けたいよねとまいちゃんと話した。今年は大好きな麦味噌をぜひ作ってみたい。
お昼ご飯の後は20分ほど横になって眠った。生理二日目は特に穏やかに過ごしてみたい。

夕方お父さんから入院したと連絡があった。熱が出て白血球だか赤血球だかの数値が高かったので安定するまで様子を見るということらしいが、お父さんの入院癖にここのところ家族は度々振り回されている。お母さんもお母さんで心配性なところがあるから二人でいるとすぐに病院に行きたがる。これはいかがなものかと思ってしまうこともある。自分の声は、病院に行けば行くほど、薬に頼れば頼るほど聞こえにくくなってくることがあると思う。自分の声に耳を傾ける機会を失えばわたしがもっとさみしがる。いつも一緒、死ぬまで一緒のわたしの声は、わたしに気づいてほしいと思っている気がする。

お父さんに電話して話を聞いてみる。やっぱり元気だった。病院に行けたことでお父さんはもうほっとして元気になった様子だった。どうやって伝えようか、慎重にことばを選んでいく。ここは丁寧にやっていきたい。体が熱を出したということについて、原因を一緒に考えてみる。お父さんにはもう分かっているようだった。
お母さんが買って放置している大根を植えないといけないと思い、畑を耕そうとしたら機械が故障し、分解して直したりしていたら頑張り過ぎてしまったらしい。
やらなきゃいけないことは楽しいことなのか、楽しくないけどやらなきゃいけないと思って頑張り過ぎてなかったか、と自分と会話しながら思い返してもらう。さらに頑張り過ぎてしまったときにどんなふうに自分をケアしていくかについても一緒に考えてみる。軽くストレッチをしてみる、足湯を丁寧にする、びわの葉エキスを少し飲んでみたり、梅肉エキスを舐めてみたりする。頑張り過ぎてしまった自分に気づき、労い、自分をしっかりと褒めながら助ける方法をひとつずつ試していこうと伝える。

お父さんはわたしにあなたは強いね、と言うけれど全くそんなことない。わたしもお父さんと同じく弱くて心配性でネガティヴな考えが広がり不安でいっぱいになり押しつぶされそうになっているのだ。自分のさみしさに気づいた時、自分の中に安心を作っていくことでしかわたしを助けることはできないかもしれないと感じた。自分に大丈夫と言ってあげられる方法を試して実践する、その都度これをやっていくしかない。実践と失敗を繰り返し、わたしは自分を助ける方法を見つけつつある。

結局まだ、大根は植えられていないらしい。わたしは植えられなかったら買ったらいいのよ、大丈夫、と声をかける。やらなきゃいけないことを後回しにして、やりたいこと、楽しいこと、自分が喜ぶことを最優先にしてみるのはどうかとお父さんに伝え続けていく。

わたしたちはいつからやらなきゃいけないことを優先するようになったのだろう。やらなきゃいけないことってそんなにたくさんあるのだろうか。やらなきゃいけないことの中には本当はやらなくてもいいことも含まれていないだろうか。
それを見つけるために、自分がいま、この瞬間にやりたいこと、楽しくてつい手を動かしてしまうこと、行ってしまう場所に行くことを最優先にしてみたいと思う。自分が本当に喜ぶことは頭で考える前に体が教えてくれる。喜ぶ自分を見逃さないでいよう。やらなきゃいけないと思っていたことがやらなくてもいいことだと気づいたとき、肩の力が抜けてほっとするのを感じられるかもしれない。

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