日記 2024.5.5(日) やさしさのおかげ。
永遠に続きそうな静けさが広がる。なぜか遠くからカエルの鳴き声が聞こえてきたような気がする。昨日お母さんと電話している時に後ろにカエルの鳴き声が聞こえたからかもしれない。5月の実家の空気を思い出した。わたしは音とにおいの記憶は目で見た記憶よりもずっと確かに残り続ける。忘れていたことでも思い出す。
今日は元住人のお誕生日ということでゆうちゃんと3人で日本橋方面へ出かけることになっている。今朝もやたらと眠たい朝だったけれど、いつも通りに起きて顔を洗って着替えて朝ごはんにポタージュとバナナを食べた。
昨日の夜は久しぶりにポタージュを作ったのだった。チンゲンサイとさつまいものポタージュ。美味しくできた。お味噌汁も好きだけれどポタージュも大好き。とにかくわたしはスープが好きらしい。食べ終わってすぐにまたポタージュが食べたくなった。
今日も昨日と同じで最高気温は30度くらいになりそう。出かける前に洗濯しておく。少しずつ実家に帰る準備もしていく。洋服もかなり少なくなっているので着回しも上手くできるようになってきた。上着はナイロンの上着が一枚あればいいだろう。実家は山の中なので朝晩はまだ寒いと思うから薄手のニットを追加で持って帰ることにした。
窓を全開、カーテンも全開に開けて過ごす朝。出かける日はやっぱり気持ちが外に向く。カーテンを全開開けられる日と開けられない日とある。自分の中の微妙な気持ちの変化をカーテンから感じ取る。気持ちよさそうに風にそよぐ洗濯物が鯉のぼりに見えてきた。そうだ今日はこどもの日だった。弟夫婦に赤ちゃんが産まれ、今年からこどもの日がなんだか特別に感じられるようになってきた。
お昼前に家を出て元住人と合流するために彼の家へ向かう。帽子をかぶらなかったので日差しが真上からささってすぐにクラクラしてきた。頭痛がしそう。あわてて日傘をさして歩く。今日は暑い。
街は静かでも電車は混雑している。ゆうちゃんとは日本橋で合流した。お腹が空いたのでひとまずお昼ご飯を食べることにする。事前に何か調べたりすることはしない元住人とわたしとは違い、ゆうちゃんは色々と調べてきてくれていたので回ってみる。有名らしいところはどこも行列ができている。鉄板焼きのお店を見つけて入ってみたら目の前でじゅうじゅうとお肉を焼いているのをみることができて面白かった。小学生の時の家族旅行を思い出した。
日本橋は今日もせかせかしていなくて、どこかのんびりとしたところがあって、どーんと構えてやさしかった。道は広く清潔で、行き交う人もまたやさしい。どのお店も誰にでもやさしいく区別しない、気取らない、日本橋はそんな街だと感じる。だからずっといても、何度行っても居心地がいいのだ。ここにいてもいい、そう言われているような気がして安心する。わたしのお手本になる街は日本橋のような気がした。
夕方テラスに座っておしゃべり。ちょっと熱い話になりながら暗くなるまでしゃべり続けた。日本橋のやさしさの余韻を感じながら東京駅まで歩き、駅でまたもう少ししゃべってから帰った。今日は10時間もの間よくしゃべって歩いて満足するまで遊んだ。またね、と別れてわたしも家に帰る。やさしさの余韻はいつまでも消えない。
人との関わりの中でうまれた怒りのエネルギーをそのまま怒りとして外に発散するということはわたしにはできない。湧き上がる怒りは利用するけれど、わたしの中でやさしさのエネルギーに変換して発散していかなければやっぱり意味がないと感じる。怒りを怒りで返すとあとで自分がつらいのだ。怒りが込み上げてくる時はいつも、わたしにやさしくしてくれた人のことを思い出す。わたしは怒りのエネルギーだけで生きてこられたわけではない。人のやさしさに助けられてここまで生き延びてこられたのだ。
わたしたちひとりひとりが、自分の中にしっかりとした安心をあらかじめ持てるようになれば、やさしさを分け合い助け合うことを広げていけるはずだと改めて感じた一日だった。
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