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日記 2024.5.26(日) その場しのぎにしない。

今日は天気も良さそう。まさにくんせい日和なのだけれど、台所は朝から大荒れの様子。

しぱしぱの目のまま台所へ走っていくとなにやら怪しい空気。詳しくはわからないけれど、わたしより先に起きていた二人の間でなにかあった模様。お父さんとお母さん、個別に話を聞いてみることにする。
朝からくんせい、午後からは2件の来客と予定の詰まっている本日。お父さんはすこしイライラしていたようで、お母さんのちょっとした言い方が気になってしまったようだった。朝からバタバタしたり予定が詰まっているとこういったことが起こりやすい我が家。前回弟の家にお邪魔する際にはお母さんがおんなじようにイライラしていたな。ちょっとパニックになるというか、スムーズに予定が行くかどうか不安があると周りにも強くあたってしまうようなところがある。わたしもそうだったからよく分かる。

微妙な空気を保ちながらも朝ごはんを早めに食べ、みんなでくんせいへと向かっていく。燻すのはお父さんの仕事なのでわたしは時々声をかけながら洗濯物を干したり野菜に水をあげたり、新たにじゃがいもとさつまいもを植える畑を耕したりしていく。
お母さんは午前中台所の片付けをすると言っていたけれど、外が楽しそうに盛り上がっているので集まってきて外での作業を始めた。お父さんがくんせいを取り出して見たりしているところにお母さんを呼んで仲直りのきっかけを探ったりしてみる。お互い別々の作業をしながらも、時々話をしたりして少しずつ元通りになっていく。

わたしは小さな頃からじいちゃんとばあちゃん、お父さんとお母さんの喧嘩の間に立ち、仲を取り持とうとするようなところがあった。あの頃はこれは自分の使命なのだと思ってやっていた。わたしのおせっかいの根源はここにある。おだやかな争いのない日々をいつもいつも思い描いていた。

火が強すぎたり、なかなか煙が出なかったりして順調ではなかった今回のくんせいの日。わたしは、気持ちがおだやかじゃないとくんせいもうまくいかないのかもねとお父さんに伝えてみる。お父さんはお母さんのいないところでまだぐちぐち言っていたけれど、時間が経つにつれて次第に冷静さを取り戻してきたようだった。

いろいろありながらも予定通り、むしろいつもよりも順調にくんせいは仕上がった。出来上がったくんせいはこんがりいい色、薫香もいい、美味しそう。午後から来る弟家族とお父さんのいとこのおじちゃんにもお裾分けを渡せるねと言い合う。

わたしはさつまいもも植え終わり午前中の作業はすべて完了。弟家族にあげる紫陽花の植え替えもみんなでする。プレートはお父さんが作ってくれた。朝からいろいろあってもなんだかんだいいチームプレーでできたのではないかな。

ほっとしながらお昼ごはんを食べていたら車の音がする。予定していた二件の来客とは別のお客さんだった。じいちゃんの甥っ子のおじちゃんとおばちゃん。ちょうどよかったので弟家族が来たら会ってもらおうということになった。

やって来た赤ちゃんをぐるり囲んでみんなでおしゃべり。ぱあっとみんな、笑顔が広がる。実家がこんなに賑やかになるなんて久しぶりじゃあないのかな。まだニヶ月ちょっとの赤ちゃんは少しだけ声を出したり、うつ伏せにさせられ首を持ち上げる練習をしたりしてわたしたちを思う存分に楽しませてくれる。終始和やかな時間。
おじちゃんとおばちゃんは帰られてその後またお父さんのいとこのおじちゃんがいらっしゃった。今日は朝から荷物が届いたり、お母さんの用事で来客があったり、隣の親友の家の94歳のおばあちゃんまでやって来てくれたりして本当に来客が多くてにぎやかだ。
弟家族が帰った後にも親戚のおじちゃんが柏餅を作って持って来てくださったりもして、今日は一体どうなってるんだとお父さんとお母さんと笑った。もしかすると赤ちゃんがみんなを集めてくれたのかも?

夕方16時半ごろみーんな帰って静かないつもの時間が戻ってくる。誰もいなくなった六畳と八畳の部屋がまだほっこりあたたかい雰囲気に包まれていた。たくさんの人に会って話をして、面白かった。

が、帰り際にみんなに渡したくんせいをめぐりまたもや喧嘩が勃発する。お父さんは四本あったくんせいを今日来てくださった方に全部あげてしまったのかと勘違いしたようだった。もちろんわたしたちが食べる一本は残してあるのだが、思い込んでいるお父さんに説明してもなかなかうまく伝わらない。

わたしも引き下がれずにいろいろ言ったあと、頭を冷やすためにお母さんと二人で野菜の買い出しに出た。車内でもわたしとお母さんはお父さんの振る舞いに納得できずにいろいろ意見を出してみたのだった。

こういった揉め事起きた時、お父さんは自分がわるいんですと思ってもいないことを言ってその場を早く終わらせようとするところがある。一方のお母さんはもうお父さんはこういう人だからとわたしは諦めていますと投げやりになる。二人とも根本的な解決まで踏み込まないでその場しのぎを続けるから毎回おんなじようなことで揉めてしまうのではないだろうか。わたしはいつだって根本的な解決しか求めない。

今日のわたしはあと一歩踏み込んだところまで突っ込んでみることにした。思ってもないのに自分が悪かったんですと謝ってきたお父さん。お母さんもいやいやわたしが確認しなかったのが悪かったんですとなってきたところでわたしが口を挟んだ。
相談しないでくんせいを渡した一件については謝りつつ、ただ、思い込みや疑いで判断せずにまず話を聞いてほしい、100パーセント自分が正しいなんてことはあり得ないし誤解の可能性もあるのだから。なんでもお互い様なのだから、人に意見を言うことなんて基本的にはいつだってできないのではないかなと伝えてみた。誰かひとりを悪者にしたら終わりというやり方にわたしはどうしても納得することができないのだ。

気持ちを素直に伝えられてわたしもすっきりした。小さな頃から喧嘩の多かった我が家の夫婦関係を取り持つために勝手にわたしが背負ってきたものを少し手放せたような気持ちになった。わたしが言いたいことはただ一つ、お父さんもお母さんも楽しく生きていける道に進んでほしいということだけ。

喧嘩でも議論でも、良い方向に向かうためのものならわたしは何度でも積極的にやっていきたいと思う。時間がかかってもいいから、しっかりと素直な気持ちをぶつけ合う。意地悪しないで素直になんでも言い合えれば必ず一番いい方法を見つけて進んでいけると思う。そのために、日頃から隠したり細かな確認を怠るようなことは意識してしないように気をつけていきたいなと思うのだ。

家族が変わるということはわたし自身が変わっていくということ。みんなでたくさん話をして意見をぶつけ合ったあとはビールのグラスを重ねながら「今日もお疲れさま、ごめんね」を言い合ったのだった。お父さんとお母さんの変わっていく姿を見ながら、自分自身の変化に気づいていく。

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