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日記 2024.4.25(木) 自分を好きになっていく。

素直にまっすぐ自分と向き合うようになって11ヶ月が経とうとしている。少しずつ自分が見えてきて、ことばにして説明できるようになってきた。自分にぴったり合うことばをみつけ始めている感覚がある。ことばは人に何かを伝えるためにあるのではなく、自分自身を知るためにある、そんな気がしている。

わたしはこれまで自分のことが好きだとは思ったことがなかった。がちゃがちゃした声も、ほくろやしみがある顔も、鼻も、歯も、身長の低さも、好きになれたことがない。泣き虫でマイナス思考、飽きっぽくなにをやっても続かない、魅力なんてどこにも見つけられなかった。
それなのにどういうわけか、近ごろ自分のことが好きだと思えるようになってきている。これがわたしだと人にもはっきりと伝えることができるようになってきた。心のつかえが取れたように、いま心は穏やかだ。

こんな気持ちになることができているのは絵を描いて、日記を書いて自分のために料理をするという好きなことを毎日継続していることの影響が大きいと思う。無職のわたしは毎日たっぷり時間があるのだから、好きなことをぜんぶやろうと決めた。

わたしは家事がしたかった。絵が描きたかった。文章も書いてみたかった。ピアノも弾いてみたいし、畑もやってみたい。せっかく持っているiPadを使ってデザインもやってみたい。憧れだった梅仕事も、味噌づくりもやってみたい。
やってみたいことはたくさん浮かんでくるけれどどれもいつかは、という程度。本当に好きなこと、一番好きなことっていうのはなかった。経験したことがないのだから当たり前なのだけれど。どれもいつかはやってみたいというくらいなのでいざ始めようとしても面倒くさい。面倒くさいことはやりたくない。やりたくないことはやらなくていい。やる気はやりたくないことをするためにだけあるのだと考え、自然と気が向くのを待った。

嫌なことは全部しないで、苦手な早起きもしないで寝たいだけ眠る。寝たい時間に眠って行きたいところへ行ってみる。気ままに気楽に過ごしてみてそれなりに楽しかったけれど、それもいつしか満足してしまって退屈に感じるようになってきた。そのうち働いている時と同じような得体の知れない不安が襲いかかってきた。

退屈な毎日のスケジュールを埋めるために重い腰を上げてなにかひとつやってみることにした。まずは実家に帰ってお母さんとお父さんの力を借りながらできることからやってみよう。わたしの場合はひとりでいるとだらけてしまうので実家に帰って過ごした方が自然と動くことができるかもしれないと感じた。
実家に帰ったのはちょうど梅仕事の季節だった。実家には梅の木がたくさんあって、梅仕事の道具もそろっている。面倒くさいとやらない理由を成立させることのほうが困難だった。昨年は梅の当たり年で梅がたくさんの実をつけた。お母さんとお父さんと3人で数日かけて梅を収穫した。たっぷりの梅を前に早く漬けてみたい、そんな気持ちが湧き上がってくるのを感じた。大きなざるやボウル、塩もぜんぶ実家にはそろっていたので思った時にはすぐに作業に取り掛かることができた。
お金を一切かけることなく梅仕事が進んでいくので飽きても大丈夫と思うことができてすごく気持ちが楽なまま始めることができた。
最初はお金をかけずにやってみる。大して好きじゃないかもしれなければすぐにやめることができる道を作っておく。これは大事なことだったかもしれないと思う。

梅仕事は思いの外わたしを熱中させてくれた。採れたてのつやつやの梅を前にしてわたしは愛おしいと思うようになっていった。天気のいい日は外に材料を持ち出し作業をする。水に浸かる梅は太陽に照らされてきらきらと輝く。鳥の鳴き声、静かな自然の音。気持ちが良過ぎて涙が出そうになってきた。時々近所の方が来てわたしの梅仕事を見てアドバイスをくれる。もう何年も梅仕事をやってきた方の話はすごく心強い。どんどん質問も出てきていろんなことを聞いてみた。つくることがやっぱりわたしは好きなんだ、そう思えるようになってきていた。

毎日実家の家事をしながら梅仕事が一旦落ち着いて、今度はシルバーを使ってリングを作ってみることにした。シルバー細工はたくさんの道具が必要なのだが、いつかやりたいと道具をいくつか買い揃えていたのだった。足りない道具はお父さんの工具から借りたりしながらやってみる。こういう作業が大好きのお父さんはすぐに興味を持って、2人でいろいろやってみた。お父さんは積極的にこんな形を作ってみたらどうかとデザインも出してくるくらい楽しんでくれたので、わたしも負けじと作ってみたいものを形にしていった。たくさんのリングが出来上がって、親戚のおばちゃんやお母さんにもプレゼントすることができた。自分が普段付けるにも十分な数ができた。シルバーアクセサリーは素材自体もすごく高く、いろんなものを作ろうとすると道具もたくさん必要になってくる。何十万とかけるまでやるにはきちんと商売として成立させる必要があると感じた。わたしは一番は自分のために作ってみたいという思いが強かったのでここで満足してしまった。

今度は絵を描いてみる。パステルとハガキサイズの紙はこれまた以前、パステルを描いてみたいと思った時に買っていたのだった。その時は2枚ほど描いてあまりにも描くことができなくてびっくりしたのだった。どこまでも伸びるパステルの粉をうまく紙に定着させる方法がわからないまま文房具入れに収めて眠らせていたパステル。これを取り出してまた描いてみることにした。最初にパステルを使って絵を描いてみたいと思った時、わたしには直感のようなものがあった。この画材はわたしに合っているかもしれない。なんとなくそう思っていたことを思い出した。失敗しながらでないと気づくことができないわたしはパステルの使い方の本なんてみないで感覚でやっていく。描いている人の姿だけは参考にしながら何度も何度も違う、違う、を繰り返していった。色を重ねるうちにパステルは紙にのらなくなってきた。それでもたたくようにして色を重ねていく。そのうちどうにか小さな一枚の絵を完成させることができた。お母さんと行った高知のモネの庭の風景を描いた。飽き性でなんにも完成させることができないと感じていた自分が、納得するまで完成させられたこと自体が嬉しかった。どうすればパステルを紙に定着させることができるのかをいろいろ試している時間が楽しかった。時間を忘れて夢中になっている自分がいた。やっぱりわたしはパステル画を描きたい、描いている時間が必要だと思えた。技術ではなく、描きたい気持ちを大事にしよう、そう思った。2023年7月12日、わたしはその日から毎日パステル画を描いている。

絵を描いていると、感覚の部分がどんどんと溢れてくるようになった。文章を書くのが苦手だったわたしだけれど、自分自身を知りたい気持ちが湧いてきて日記を書いてみることにした。絵を描いている時の気持ち、その日の自分の気持ちの変化を書きとめたい。絵を描くように日記を書いていこうと思った。最初のうちは短い文章しか書くことができなかったけれど、日記だからその日の自分の出来事を書いていけばいい。なんにも予定がないとネタがないので銭湯に行き始めたり、散歩に出たり、外へ出るきっかけにもなった。毎日絵を描くのは面倒くさいと思う日もあったけれど、日記を書くことは不思議とほとんど苦にならなかった。2023年9月から始めた日記。毎日休むことなくその日の出来事、考えたことを2,000字から4,000字書きなぐる生活はいまも続いている。

寺尾紗穂さんの曲が弾きたくてピアノを弾いたり、iPadを使ってデザインをしたりを継続していた時もあったけれど、今はやっていない。毎日のスケジュールも詰め込みすぎると楽しくなくなるので今は絵を描くことと日記を書くことに集中している。飽きてしまったこと、やめてしまったこともまた再開するかもしれないし、再開したいと思えばいつでもすぐにできる状態にしてある。一度継続できたことには何かきっと意味があるのだと思う。

素直に自分の好きなこと、やりたいこと、続けたいことに集中してきた11ヶ月だった。これからもわたしは何かをひたすら続けていくのだろう。絵を描くこと、日記を書くことはわたしの中に定着しつつある。家事もしっかり安定してきた。この三本柱がわたしに安心を与えてくれていることは明らかだと思う。

毎日毎日続けることだけをやってきたら、いつのまにか自分を説明できるようになってきた。わたしは完成させることを目的としていないことが分かり、過程を楽しむこと自体がやりたいことだったのだと気づくことができた。手を動かし継続することが考えることであり、自分のほんとうの気持ちを知っていくことができる唯一の手段なのではないかと思うようになってきた。

昨日、これまで描いたパステル画を全て取り出して描いた順に写真を撮ってみた。わたしのアーカイブ。だんだんうまく描けるようになっているわけではない絵たち。毎日毎日、ただ無能さを自覚するだけの継続の日々がみえてきた。雲を描こうとしたかったんだな、影を描きたかったんだな、うまく描こうと変なところに力が入っているな、お父さんお母さんに伝えたい気持ちがあったんだな。わたしから生まれたものには、わたしのその時の気持ちがぜんぶ詰まっている。自分が増えているみたいで愛おしくなってきた。

続けているといつのまにか悪意を持たず、まっすぐ素直に自分を見ることができるようになってきた。わたしは毎日、ただまっすぐその時の気持ちを吐き出し、だんだん自分を好きだといえるようになってきている。

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