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日記 2024.4.12(金) おせっかいを手放す。


ブランクーシ展の心地よさが続いている。こんなことはほんとうに久しぶりかもしれない。わたしの感覚は渇いてしまったのかと思っていたけれどそうではなかった。心を動かされるものに出会っていなかっただけだということが分かった。やっぱり外に出かけることの効果はあるなと感じる。自分をもっと知るために外に出かける、いまはそんな気持ちでいる。
朝晩の肌寒さにまだ毛布は手放せない。体が疲れているからなのか今日は目覚めてもなかなか起き上がることができない。布団の中が安心する。

わたしは元々おせっかいでしつこい性格。いいな、素敵だなと思うことは人にも試してもらいたいと思う気持ちが強くあった。喜びやかなしみも大好きな人と共感し合いたい。これまでのわたしはそういったことを人に押し付けるようなことが多々あったと思う。人は人、とは思っていなかった。わたしが楽しいと思う時におんなじ気持ちで楽しんで欲しいと思っていた。しかし人をコントロールすることなんてできないのだからうまくいくはずもなく、わたしは人と共感し合えないことにさみしさを感じて人となるべく距離を取るようになっていった。

起き上がって顔を洗う。レーザー治療のかさぶたが今朝顔を洗うとぽろぽろと一斉に取れた。意地悪ばあさんメイクからわたしの顔に戻る。おだやかな顔をしているようにみえる。よかった。
今日はお昼ごろから職業訓練の見学会へ行く。それまではすこしのんびりと過ごしたいと思いながら台所に立つとどんどん手が動く。布団も干しておこうと天気予報を見ると降水確率は10%で雨は降らなさそうだった。

今日のお味噌汁は玉ねぎとひらたけ、干し大根の皮、干し椎茸、干しえのき。干し野菜優勢になってきた。そろそろ野菜をどさっと買い足さねば。12時過ぎには家を出るからと思っているとあっという間にいい時間になる。起き上がるのが遅いと時間に追われることになる。
お味噌汁にはザワークラウトを汁ごとたっぷり入れた。自然な酸味のお味噌汁。酢の刺激とは全然違う心地よさがある。これでラッサムスープみたいにできないのかな、とひらめいた。今度やってみる。ごはんには梅干し、海苔と黒ごまをたっぷりかけて食べる。梅干しも残り少なくなってきてさみしい。そろそろお母さんに定期便を頼もう。

わたしは自分に興味がある人に興味を持つことができない。これまでお付き合いをした人も長く続いた人はみんなわたしにそんなに興味がない人たちだった。遠距離で毎週のように浮気をする人、自分自身のことでいつも悩んでいる人、自分以外の人にほとんど興味がない人。わたしは自分に興味がない人に興味を持たせようとすることが楽しくて面白いことだったので、彼らの話や悩みを聞いたり一緒に過ごした時間のすべてが楽しくてすごくしあわせだった。おせっかいを焼ける場所をみつけるとうれしい。水を得た魚のようにどんどん動いていけた。いずれも最後はお別れしているのだからいい関係ではなかったということは明白だ。

お昼過ぎに出かけようと準備をしていると外から音がする。雨だった。あわてて布団を部屋の中にしまう。出かける前でよかった。
見学会は専門学校の教室のようなところで行われた。講師の先生の話し方がさっぱりと親しみのある雰囲気ですてきだった。他のところと比べたりすべきなのかもしれないけれど、直感でここに応募してみようと思った。
帰りは歩いて帰ってみることにする。3駅分あるから結構な距離だけれど歩きたい。雨はやんでいた。途中郵便局を見つけてまいちゃんのプレゼントを発送する。お誕生日の日に日付指定できた。お誕生日の日の当日の朝、まいちゃんからプレゼントが届いたことが嬉しかったからその気持ちを返してみたい。
自転車で移動しなくなってから行かなくなってしまった自然食品の店に寄る。野菜が安い。嬉しくなってにんじん、大根、最後の菜の花、さつまいも、ねぎ、にらともりもり買った。980円。ここまでで半分くらい帰ってきたかな。荷物が重いので両肩に振り分けて持つ。

わたしの家族はみんな両親も弟もほとんどわたしにも興味がないのでほんとうに助かっている。頻繁に連絡してくるような人はいない。
みんなそれぞれバラバラ。家族というよりも個人活動家の集まりというようなものなのだろうか。血はつながっていると思うけれどなんとなくちゃんと他人同士という雰囲気も持っている。それでも時々電話したりするといつでもたくさん話をする。会ったり声を聞くと安心するし、いざという時は助け合う。不思議な関係だなと思う。
むかしは友だちと比べて全然違う家族のカタチにさみしいと思っていたのだけれど、そもそもそれは人と比べていたからというだけだったのかもしれない。共働きでほとんど家にいなかった両親からは成績や学校のこと、好きなことをやること、しつこく何かを言われたことがないしそれが何よりもうれしかった。他人のような関係でいてくれたことにいまは感謝しているし、働いて私たちの生活を維持してくれていたことだけで十分ではないかと思えるようになった。

おせっかいを手放す見本は家族との関係の中にあったのかもしれない。わたしは家族には一層強くこうあるべきというのを押し付けてきたのだけれど、なんの効果もないことにようやく気づいてやめた。それよりもわたしがいま無職でもしあわせな暮らしをしているということを見せたい、そんなふうに思うようになった。完成した絵を送り、つくって美味しかった料理の話をしたり、試してみたことを見せていく。

無職になってわたしは気づいた。喜びやかなしみは自分自身と分かち合うものだということ。時々それが誰かとぴたりと合わさるときはそれは嬉しいことだけれど、分かり合えない方が自然なのだと思えるようになってきた。自然な流れに逆らおうとするから無理が出てきて自分もつらくなる。最後はお別れすることにもなる。無職の旅は、自分のおせっかいさを手放す旅でもあるなと感じている。

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