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日記 2024.7.26(金) さみしさや苦しさとの関わりについて。

安心ぐっすり8時間睡眠。4時にスッキリ目覚める。いまの時期、家の中にいて涼しいのは朝6時くらいまでかな。扇風機がなくても過ごせる時もある。朝、ゴミを出しに外に出たら外はもっと気持ちがよかった。4時に起きて朝の散歩ができるようになってみたい。

6時に起き上がって朝の準備。顔を洗って米ぬか酵素液をコットンにとって顔にすべらせる。気持ちがいいなぁ。お母さんのドクダミ化粧水も好きだし酵素液も大好き。お化粧もほとんどしなくなってから、わたしはますます素直になり始めている気がする。ナチュラルコスメを使いたいと最初に思った時、赤ちゃんに安心して思いっきり触れたいと思った。いまはそこからさらにもう一歩、自分自身にも気持ちよく暮らしてもらいたいと思っている。顔にのせているものがやさしくてシンプルだとやっぱり気持ちは軽くなる。お風呂上がりの肌の気持ちよさをいつも身にまとっているみたいな気分で過ごすことができる。

玄米を炊く。今日は小豆を入れて、お塩の代わりに梅干しを入れて炊いてみる。さてどうなるか楽しい実験。
お弁当を作る。いわしの土佐煮が今日のおかずの主役。ザワークラウト、紅しょうが、黄色いトマト、アボカドのしょうゆ漬け。玄米は炊きたてを入れる。梅干し入りの玄米、梅干しがほろほろにやわらかくなってなんとも美味しそう。というか食べたらすごく美味しかった。果肉は崩して玄米に混ぜてもいいかもしれない。贅沢かもしれないけれど、時々梅干しを入れて炊いてみようと思った。

空のタンブラーを持って少し早めに家を出る。スタバでアイスコーヒーを買った。飲み物はまだまだあたたかいものでいける。もしかするとこの夏はずっと冷たい飲み物を持ち歩くことはないかもしれない。夏の銭湯も気持ちがいいように、真夏のあつあつの飲み物が体を通ると気持ちがいい。わたしがいつも飲んでいるのは野草と番茶のミックスだから余計に美味しいのかもしれない。冷たい飲み物は暑い日に外をで歩いた時、家に帰ってきたあとのしゅわしゅわ梅ジュース、お風呂上がりのあとに飲むお水が気持ちいい。あたたかい飲み物だと水分をがぶがぶ摂ることもないのでむくみなどもない。去年までキンキンに冷えた飲み物をいつもいつも欲していたわたしはどこへやら。

本日の授業中は、やってみたかったことに時間を費やしてみた。なんにも知らなかったところからだんだんと知っていき、ぼんやりしていたところから少しずつ自分の表現をしようとするようになってきた。できることは多いけれど、そのどれを選択するかが大事かもしれない。

授業を終えて今日もほぼまっすぐ家に帰ってきた。土日を控えて金曜日の夕方以降のはしゃぎ過ぎを抑えておく。興奮しないでいつも通り早く眠ろう。
ナスとピーマン、長ねぎ、豆腐、お揚げのお味噌汁。実山椒のしょうゆ漬けを使い切って冷や奴、玄米を少し、いわしの土佐煮の残りを食べる。家に帰るとすぐにお腹が空くのでうっかりゆっくりしていると時間はすぐに過ぎてしまって夕飯作りが面倒になってくる。ここが一日で一番の踏ん張りどころ。お弁当容器や夕飯の片付けまで一気に終わらせられるとよし、今日もよくやったねとわたしに言ってあげる。

お風呂上がりにゴミ出しに出た。遠くから風に乗って雨のにおいがする。雨がやってくる気配なのだろうかと思っていたら、横になったあとにぽつぽつと雨が降り出した。予報をみると今夜は雨。明日も雨の心配がある。ということは明日は洗濯はやめにしてゆっくり休みにしよう。ギリシャ風ワンピースをつくるのと、リュックの肩紐のお直し、ワンピースとスカートのアレンジがしてみたい。日曜日は家で過ごすことにして明日は出かけようかなと考えながら目を閉じた。

わたしはさみしさや苦しさを抱えたまま生きていくことにどこかずっと疑問を抱いているようなところがある。さみしさや苦しさからはほんとうの意味で抜け出せないのだろうか。さみしさや苦しさはいつもそばにあって、それが普通。受け入れ共存していくことができたらそれでいい、というふうにはわたしはどうしても思うことができない。わたしがそれでは納得してくれないのだ。
わたしはさみしさや苦しさの中でいつも考え、実践し続けたい。時々逃げたり距離を置いたりしながらそのさみしさの根本に切り込み続けたい。無職でこれから先の目処も立たず、貯金を切り崩しながら生きるなかでも毎日を楽しく生きようとするわたしがいるのを見逃したくない。抱きしめてきちんと向き合って愛してあげたい。
考え実践し続けることこそがわたしが喜びの中でしあわせになる唯一の道なのではないかと思う。

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