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喪中の手紙

 父逝去の翌年、2009年1月の日記です。
 
 昨年12月、喪中につき云々の葉書を300枚ほど出した。それに加えて、昨年年始に父宛に年賀状が10通ほど来ていたので、そちらへの挨拶状も、それなりの文面を作成して投函した。
 
 曰く・・・
 昨年8月に母が、今年4月に父が亡くなりました。
両名とも、生前の意思により、親族だけの密葬とし、
ご報告が遅れましたことを、お詫びいたします・・・
 
 その数日後、葉書を出した、1人から、丁寧な達筆の手紙が届いた。
以下、手紙の全文・・・
 
 ご尊父様ご他界の由、承り驚愕、且つ洵に
お名残惜しく心からお悔やみ申し上げます。
私は、ご尊父様が、〇〇〇工業ご在職中〇〇部
にて長期間ご指導御教示に預かりました。
 
 ご尊父様はお人柄が明るく爽やかでご親切であり、
社内で多くの人からご信頼を受けられ慕われて
おりました。私はご尊父様の配下で仕事の仕方
顧客や商社、社内の人との付き合い方、勉強の仕方
等ご教示戴いたのみならず、アフターファイブの過ごし方
特に麻雀について楽しみ方も習いました。
又、休日には同じ〇〇カントリーのメンバーでもあり、
かなり多くの日にお供させて戴きました。
 
 それらの楽しかった折々の事、ご尊父様のお嬉し
そうな御温顔が目の前に浮かびます。
お陰様で私もご尊父様よりずっと後に、
〇〇部長や〇社長など勤めさせて戴きました。
大学の後輩(私は昭和18年卒)でもあったせいか、
特にお親しくさせて戴いた様に思います。
ここ十年余お目に掛かる機会がございませんでしたが、
御訃報に接して洵に寂しく、深くご冥福をお祈り申し上げます。
 
以上・・・
 
 この手紙が来て更に数日後、宅急便にて、お線香が一箱届いた。18年卒だとのことだから、88歳くらいだろう。
 
 これと前後して、もうお一方から、同じような手紙がお香典とともに、届いた。こちらは80歳くらいのようだ。
 
以下・・・
 
 お手紙拝見し、沈痛な思いで再度読み返しました。
年に不足は有りませんが、両年に亘りご両親を亡くした
寂しさは言い尽くせぬ想いだったろうと推察致します。
 
 私は昭和二十六年八月長崎より本社に転勤し〇〇さんの
部下となり、以来公私に亘り色々とご指導ご鞭撻に
あづかり、約十二年間御つかえし部は分れても気分は
変わらず今日に至りました。
育ちの良さでしょう、人柄が大らかでウソをつけぬ正直な
御性格が大好きでした。
 
 二年前程連絡が出来なくなり病床に臥しているのではと
危惧していましたが不安が現実となり残念です。
本来はお伺いして仏前にお参りせねばならぬところですが
・・・以下略
 
 
 年末、横浜の自宅に戻り、両親の位牌に2通の手紙を供えて、ち~~~ん、南無南無。父にそれほどの徳があるとは思えないのだが、私よりはましだったらしい。私にはこういった手紙が来るとはありえない。

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