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新潟時代12.東京の上場企業に異動

 当社は好調なコーティング事業に土地の賃貸益が加わり、まさに絶好調。5年連続で売上高利益率10%以上を確保し、親会社(大手鉄鋼J社)グループでは、技術力で好業績を確保している会社として知られ、J社の社長、幹部が次々と来訪する。応対が大変だが、J社からの出向社員が高く評価されて処遇があがり、会社全体の雰囲気も明るい。
 
 2006~2008年にかけて、個人的に色々あった。監視人殿は体調不良を訴えることが多く、目の渇きが酷くなり、改めて検査を受けてシェーグレン症候群と診断された。自己免疫疾患の難病で病気が進むと、色々出てきて大変らしい。最初はショックだったようだが、無理をしなければ、普通に過ごせる。(幸い、その後も大過なく、現在に至っている)
 
 2007年夏に母が85歳でなくなり、翌2008年4月に父が93歳で亡くなった。その間、新幹線の回数券で何度も新潟から横浜に出かけて些か疲れたが、会社の業績が好調だったことが救いだった。ところが、父が亡くなって3カ月後、突然J社の社長から、話があるので、来てほしいと呼び出された。
 
 何事か見当つかず、多少の不安もあったが、意外にも、東京の上場企業T社の社長をして欲しいとの打診だった。打診とは言え、親会社の社長が言うのだから、異動の内示だ。T社は水道管製造大手の名門企業で、J社が株式の30%を保有し、代々の社長を出しているが、この数年、業績が低迷している。2年前には赤字をごまかす粉飾決算(まがい)をして、立て直しのために社長を変えたが、その新社長が真面目過ぎて重圧に耐えられず、出社出来ない状態になっているとのこと。会社の立て直しが急務だが、○○さん(私のこと)なら、何とかしてくれるのではないか、と言うことらしい。
 
 J社の社長と面談後、その足で人事担当の役員に会うと、全てを承知していて、当社の次の社長を誰にするか相談して、新潟に戻った。
 
 私のT社、社長就任は10月だから二月程余裕がある。幸い当社は好調で、普段は私がいなくても問題ない。社員は新潟の会社が高く評価されたと喜んでくれる反面、次の社長は誰だろうとの心配もあったようだ。当社のNO2はT社の社長が不在だと知って、9月ころから、T社に出張してはどうかと言ってくれるので、提案に従って、社長就任前にT社の工場現場を歩き、先方の常務以下、主だった人と話しを重ねた。
 
 10月、新潟の会社で離任の挨拶をした。8年半の新潟の諸々を思い出し、社員の一人一人が目に浮かび、胸に迫るものがあったが、何とか無事にごまかして新潟を後にした。 


 ・・・・・新潟シリーズはこれにて幕を閉じます。

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