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芥川賞作品「バリ山行」

 今年の芥川賞のもう一つの受賞作は、松永K三蔵「バリ山行」。松永氏は1980年生まれ、2021年に「カメオ」で群像新人文学賞優秀作を受賞してデビューし、今も建築関係の会社で働きながら執筆活動をしている。
 
 受賞作の「バリ山行」は最近の芥川賞にしては珍しく、普通にあり得る状況設定で、主人公を始め、登場人物も普通の人たちだ。
主人公の「私」は転職活動を経て建物を修繕する兵庫県の会社に勤務している。会社の登山部で六甲山などの低い山を正常のルートで会社の仲間と楽しんで登っている。一方、先輩の妻鹿は、1人でバリ山行にのぞんでいる。「私」は、協調性がなくリストラ候補になっている妻鹿の破天荒な「バリ行」に惹かれて行く。
 
 受賞の対談で松永氏は以下のように述べている・・・・
 「ままならないものを書く」という思いは、私の出発点です。「ままならないもの」とは、はっきり言えば不条理です。それは、私たちが生きているこの世界に厳然と存在する。生きることは常に不条理に対して「なぜ?」と問いながらも、対峙し続ける人間の、強さであったり愚かしさであったり、また美しさや哀しさ・・・・。そんな姿を書きたい。私の根底には、そんな思いがあります。
 「純文学」を定義するのは難しいですが、私が定義するならば、人間や世界への問を持っているものです。そしてその方法は「何でもあり」。その中には実験的であったり、前衛的であったりする小説も含まれます。そしてもちろんオモロイ小説も。私はひらかれたオモロイ純文を書いていきたいと思っております。・・・私は40歳を超えてからデビューしたので、それなりに社会経験を積んでいるつもりです。・・・それを生かして、地に足の着いたリアリズム小説を書き続けていきたいですね。
 
 とすると、世の文学の大半が純文学と言えるのではないかと思うが、純文学作家と自認する人たちはそう思わないのかもしれないし、それが純文学たる所以のような気もする。
 
 我々は、この社会はなぜこうなのか、その社会に自分はなぜ生きているのか、生きることに意味があるのか、といったことを(意識しているかどうかは別としても)考えている。当方も、突き詰めればきりがないと分かりつつ、悶々と考え、時にそれらしい本を読み、一瞬理解した気がしたこともあったが、結局、未だに迷える子羊、どうやら人生はそんなものらしい。

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