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保健室はやさしい。

保健室はいつだってやさしい。

小学校の入学式の翌朝に、校門の溝に足を引っ掛けて転んだ日も、「お姉ちゃんはどうして白いの?」と低学年の子に純粋な疑問をぶつけられた時も、自分が何者かわからなくて、どうしていいのかわからなくて貯めに貯めてこぼれ落ちてしまった日も、何かが不安で眠れず、授業をサボって保健室のベッドで布団にくるまっているだけで安心が出来た日も。

いつだって保健室はやさしかった。

保健室はアジールだ。保健室にいれば絶対に大丈夫。

教室に居場所がなかったわけではない。ただ、ずっといるには息苦しかったのかもしれない。時々、息継ぎをするように保健室に行った。

保健室には、怪我をした人ももちろんそうだけれど、心が痛い人もいた。一見、どこが体調が悪いのかはわからない。けれど、心が痛い人は、わたしと同じように息継ぎをするように保健室に来ていたのだと思う。特別、何かを話すわけではないけれど、何となく、常連同士、互いに顔見知りになっていく。わたしたちは一定の距離を保って座っているのだけれど、わたしは他の常連がいてくれたことで、ホッとした気持ちになれた。わたしも他の常連の誰かにとっても、そうであったらいいなと思った。

中学時代の保健室の先生に会うことがあった。最後に会ってから10年以上が経っていた。わたしの小学校の時から、中学時代、中学を卒業してから今日に至るまでのことを一通り話した。

保健室の先生は、わたしが一番しんどかった時期を知っている。「これは聞いてもいいのかな…」と、少しためらいながらわたしが当時よく話していたことについて聞いてきた。ためらいながら聞いてくるところが、保健室の先生らしいと思った。「痛いけどごめんね」と、消毒液を含んだ脱脂綿で傷口を消毒するような、そういうやさしさがあった。

先生は、当時のわたしの印象を「(気持ちを)溜め込んで溜め込んで、ぽつりぽつりと泣いていたね」と話した。それを言われるまで、わたしは溜め込んだ気持ちを抱えて、保健室に泣きに行っていたことを忘れていた。そうか、わたしは泣いていたのか。そんなにつらかったことを、どうしてわたしは忘れてしまっていたんだろうと不思議で仕方ない。これからも、そのことを知らないままでも生きていくことは可能だったと思うけれど、ぽつりぽつりと保健室で泣いていた中学生のわたしはずっと保健室で亡霊のように誰にも気づかれないで一人泣いていたかもしれない。そう思うと、過去の自分に「忘れていてごめんね。もう大丈夫だよ」と言ってあげたくなった。

保健室はやさしい。

ひとりぼっちじゃなかったけれど、ひとりぼっちだったわたしにやさしく寄り添ってくれた保健室。大丈夫、もうひとりぼっちじゃないよ。

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