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「それ以上、白くなってどうする」に反論したい。2

前回の続き。

前回、自分自身の「退職祝い」に7000円するSABONの泥(パック)を購入したわたし。帰宅して早速、泥を自分の顔に塗ってみた。

ギフトでラッピングされているわけでもないのに、キラキラと光る箱。箱から出すと、ガラスでできた容器はずっしりと重く、細かな細工がされていた。「この箱と容器だけで1500円くらいするんじゃないか…?」そんな気がした。さすが高級品である。

蓋を開けると、そこには胡麻プリンのような濃い灰色の泥が入っていた。匂いは墨のような、SABONのボディスクラブによくある甘ったるい匂いとは、全くの別物だった。

お店のスタッフから教わった通り、先に洗顔をしてからタオルで水気を拭き取り、そして、適量の泥を手に取り顔全体に伸ばしていく。浴室の鏡を見ると、そこには顔だけが真っ黒な見たこともない自分が全裸で立っていた…!

↑浴室で泥パックをした時のわたしのイメージ。

顔だけ真っ黒な自分の姿が、滑稽なのである。いいや、でもこの姿はわたししか知らないのだから、何も恐れることはない。10分後、わたしは生まれ変わっているのだから。

10分後、軽くお湯ですすぎ、顔全体を残った泥でやさしく擦り、最後にお湯で泥を全て洗い流した。すると、数時間前にSABONの店頭で試したのと同様に、今度は手の甲ではなく、自分の顔がワントーン明るく、ふわりとツヤめいていた。

多少、顔色がくすんでいたとはいえ、アルビノだから一般の人よりは元から白かった。けれど、泥を塗る前と後では明らかに白さが変わっていた。白くなったのはもちろんなのだけれど、それよりも「透明度!!!!」を実感した。とても感動したし、同じ皮膚のはずなのに、この変わりようが正直信じられなかった。たかが泥、されど泥。SABONに完敗の瞬間だった。

後日、退職した報告も兼ねて地元の中学の同級生のBちゃんと「いつもの」サイゼリアで飲んだ(わたしたちにとっては、サイゼは酒場)。

そこで、数日前に自分自身に退職祝いでSABONの泥パックを購入したことと、それを使用した感想を話した。すると、同級生Bちゃんは言った。

「それ以上、白くなってどうする」

確かに。確かに言いたいことはわかる。けれど、ただただ色が白いだけではいけないことを、顔に泥を塗ってみてわかったのだよ(この表現も如何なものかと思う)。

そこからわたしは、Bちゃんに泥の素晴らしさをサイゼのコスパの良いワインを飲みながらプレゼンした。第三者的には、白いと思っていても、本人的にはくすんでやや黒っぽくなることを話した。ちゃんと毛穴もあるし、体調が優れない時には肌がゴワゴワする。そのへんはみんなと変わりないのだ。

「7000円の泥」と聞くと、買った当人でさえとんでもないようなものを買ってしまったような気がする。泥はなくても生きていけるけれど、あった方が、生活を豊かにしてくれる。気軽に買えるものではないので、ケチ臭く少しずつ使っているけれど、特に、何かあるときの前日に必ず使うようにしている。すると、顔色が明るくなった分、心も少しだけ明るくなるから。誰かのためではなく、自分のためにやっていることだ。

美容を突き詰め出したらきっときりがない。本気できれいになりたいなら、Bちゃんと夜中までサイゼリヤにいることをやめた方が、お互いのお肌のためにはいいと思う。けれど、Bちゃんと語りあかす時間を潰してまで美容に対してストイックにはなれない。怠惰かもしれない。けれど、わたしにとってはそれでいいのだ。

これ以上、肌の色が白くなる必要はない。けれど、わたしだって「透明度」はあった方がいい。やはり、なりたい自分になることは嬉しいことだと思った。今月も、大事な予定が何日か入っている。予定の前日には、顔に泥を塗ろう。そして、鏡の前で、わたしの顔を撫でるんだ。

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