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坂本龍一「async」を体験しに日帰り京都旅行。「AMBIENT KYOTO」のアンビエントってなんだっけ?

こんにちは、人間のニンゲンです。今回は文学ではなく、完全に音楽の話です。


「AMBIENT KYOTO」に行ってきました。

僕は東京在住なのですが、この展示のために久々に新幹線に乗り京都まで日帰りで行ってきました。せっかくなので東福寺の染まりはじめの紅葉や、ばかでかい涅槃図なんかも見てきました。

紅葉の名所、東福寺。まだ時期が早く染まりはじめだったがこれはこれで乙。晴れてたらもっと鮮やかだったかも。
これ見ました。とにかくでかい。法堂内は暗く、線や色の濃淡があまりはっりと見えなかったのですが、そのためにお釈迦様の袈裟の赤が映えてました。

で、本題の「AMBIENT KYOTO」がどんなイベントかというと、アンビエントミュージックと視覚芸術を組み合わせた展示です。故・坂本龍一やCornelius、Buffalo Daughter、山本精一の楽曲に併せて、映像や照明の作品が作成・展示されています。

アンビエントミュージックというのは、誤解余地満載なのを承知で言うと、シンセサイザーが ”ふうぉーん” って感じで鳴ってる音楽です。”ふうぉーん”と鳴っていないものもあります。ですが、”ふうぉーん”と鳴ってれば大体アンビエントミュージックです。
リラクゼーション系の施設やインスタレーション系の展示、空間作りにこだわりのあるお店なんかでBGMになっていることもあります。
耳に注意して街を歩くと意外と遭遇する機会も多いかもしれません。

ただ、このアンビエントというジャンルは、名は体を表すというか、困るくらい曖昧で、非常に雰囲気的に定義された領域です。
実際にはエレクトロニカ、ポストロック、ポストクラシカル、ハウス、hiphop、ノイズ、その他あらゆる実験音楽の要素を含む概念です。
なので「え、あのアーティストの音楽ってアンビエントだったの?」ということもけっこうあると思います。坂本龍一も、アンビエント作家としては一般には認識されていないんじゃないでしょうか。
アンビエントというのはそういう意味でちょっと過剰に広範なジャンルなんですね。考え方によっては、もっと範囲を狭める定義の仕方もあると思います。

今回行ってきた「AMBIENT KYOTO」は、そんなアンビエントミュージックに焦点を当てた、なかなか珍しい展示です。

京都新聞ビル会場。地下鉄烏丸線 丸太町駅の階段を上がるとすぐ横に入り口がありました。

■ 坂本龍一(京都新聞ビル地下1階)

坂本龍一の「async」というアルバムを初めて聴いたとき、その完成度の高さに脳みそをぶち抜かれました。今でも作業するときなんかは高頻度でかけています。流石は坂本龍一というべき美しい主題と、胸がざわつくような不穏なトラックたち。アルバムを通じて快と不快を絶妙なバランスで交互浴させられます。

あとひとつ付け加えたいのは、「async」のニューヨークライブ映像がNetflixに上がっているので興味ある方はぜひ観て欲しい。
ライブ中、坂本龍一がピアノから立ち上がると、2m四方くらいのガラス板に鉄琴用のバチをこすりつけはじめるんです。何を言ってるかわからないかもしれないんですが、本当です。それによって弾性のある、引っかかるようなノイズ音が作られます。全身を使ってダイナミックに、かつ繊細にバチをガラスにこすり続けます。噛みしめるような顔です。魂こもってるのがわかります。ああ、行くとこまで行ってんだなあという感嘆の念が得られますよ。

で、今年の「AMBIENT KYOTO」の目玉は、この「async」を使った展示というではないですか。
つまり僕はアンビエントというより「async」のために京都に行ったというのが本当のところです。

京都新聞ビル地下1階会場。内装されていない、剥き出しの鉄骨やパイプ。廃墟然としたこの空間で「async」のフルアルバムが流れる。
「async」のCDジャケットと同じテイストの映像が、会場の巨大スクリーンに映される。
同上。

写真からわかると思うのですが、京都新聞ビルの地下はコンクリート剥き出しの、廃墟然とした、かなり独特な空間でした。たまらない人にはたまらないと思います。
広さは学校の体育館くらいで、光源は正面の壁に備え付けられていたスクリーンの光のみ。そんな寒々しい空間で「async」のフルアルバムが延々と流れつづけます。スピーカーは会場のどこにいてもあまり差のない音で聴けるように配置されており、来場者は部屋中央のベンチに座ったり、壁にもたれたりして各々鑑賞していました。

この展示は、不安になります。退廃的な部屋の造り、暗さと、「async」が持つ不穏な音が、神経に「ここは安全ではない」と言わせます。僕は普段そんなによくないスピーカーで音楽を聴いているわけですが、会場の立体的な音響で聴くと、ここから逃げ出したいと思う直前のラインの不快感になるように音が計算されていることが感覚的にわかります。改めて坂本龍一は凄い。あるいはこの展示設計の凄さなのかもしれませんが。
高谷史郎さんによる映像は写真や動画を使ったシンプルなものでしたが、空間内の光量と色彩の変化を狙って作成されているのだろうと思いました。

■ Cornelius、Buffalo Daughter、山本精一(京都中央信用金庫 旧厚生センター)

Corneliusは、音楽で「飛ばす」ことをひたすら追求しているアーティストだと思います。いつかフェスでステージを観て、身体リズムへ的確に音と光を撃ち込まれ、しっかりトランス状態になりました。あれはまじでやばい。

そんなCorneliusをはじめ、Buffalo Daughter山本精一の音楽に合わせたインスタレーション、ビジュアルアートが展示されていたのが京都中央信用金庫 旧厚生センター会場です。

Corneliusの霧中夢の展示。手狭な部屋に霧が充満していて、音楽に合わせて照明が変化します。まじで何も見えない。この展示が消防法に許されてるのがすごい。
トイレの中ではCorneliusの新曲「LOO」が聴けます。イギリスで「トイレ」って意味ですね。
Buffalo Daughterの音楽に住吉清隆の映像が組み合わされた展示。暗い部屋に2つの大きなモニター。

そもそもアンビエントミュージックってなんなんだっけ……?

ということを考えさせられる、とても興味深い展示でした。

アンビエントミュージックは、おおもとをたどればエリック・サティまで起源を遡れるそうですが、そのジャンルが広く認識されたのは英国の(非)音楽家 ブライアン・イーノが1978年に発表した「Ambient: Music for Airports」の影響が大きいでしょう。

この、実験的でありつつも、背景に溶け込むような音楽性。リズムもなく、メロディーと呼べるものもあるのかないのか、ただ空気の中を漂う感じ。瞑想を呼び寄せる音楽。イーノ曰く、「アンビエント ミュージックは、特定のレベルを強制することなく、さまざまなレベルのリスニングの注意力に対応できなければならず、興味深いのと同じくらい、無視できるものでなければならない」。アンビエントの出発点はこういったものでした。

先程、アンビエントミュージックは広範な概念であると言いましたが、あえてイーノの定義に即してこの音楽性をもう一歩掘り下げてみたいです。
そこで見えてくるのは、アンビエントミュージックの再生は、アンビエントミュージックの実践なのではないかということです。

アンビエントの「展示」≠アンビエントの「実践」

イーノの言う、「さまざまなレベルのリスニングの注意力に対応」できるかどうか、というのは、音楽性もさることながら、かなりの部分その環境に依存します。
カフェや商業空間であれば、人は食事や買い物などの日常行為に集中するので、鳴っている音楽へ向く注意は低いはずです。僕なんかはよくあるのですが、ふとした瞬間にBGMが気になって、周囲のざわめきのなかから音に集中して音楽を取り出そうと試みたりします。それが興味深い音楽であれば、ひたすら耳に神経を集めるようになる。
作業中にアンビエントをかけるときも、最初は音楽が気になるのですが、次第に作業に集中していって、ある瞬間にまた音楽が自分の意識の表層に表れたりする。
こういう環境が「特定のレベルを強制することなく、さまざまなレベルのリスニングの注意力に対応」できるということだと考えられます。

しかし「展示」という形態において、注意のレベルを落として聴く環境を作るほうが、むしろ難しいのではないか。
とりわけ今回のような音楽が主となる催しであれば、自然、いかに音楽を聴かせるか、という空間設計になります。その設計は残念ながら功を奏し、訪れた人はみんな全力で音楽を聴きます。注意レベルを落とそうなんて微塵も思っちゃいません。一音も聴き漏らすまいとします。

つまり今回の展示のような「否が応でも高い注意力で音楽を聴かざるを得ない展示空間は、アンビエントミュージックの実践とは言えないのではないか」という疑問が生まれるわけです。
もしかしたらこの指摘はちょっと意地悪かもしれない。なぜなら「AMBIENT KYOTO」の「AMBIENT」は、純粋に音楽ジャンルの意味でのアンビエントミュージックを指している可能性が高いからです。
ただ、今回の内容であれば別に「ELECTRONICA」でも「EXPERIMENTAL」でもいいと思うんです。そこをあえて「AMBIENT」とするのであれば、音楽を再生する環境そのものに軸足を置いて設計したほうが、アンビエントミュージックの本来的な実践としての展示になったのではないかと思うのです。

なんなら、アンビエントの実践においては空間が主であり、音楽は従であるべきかもしれない。今回は音楽に合わせて視覚芸術をつけているのだから、主従はむしろあべこべです。
一介の客の勝手な意見ですが、「その空間で来場者になにをさせるのか」という視点を挿入することで、アンビエントミュージックの実践としてより面白い展示になるかもしれません。レストランやアスレチックにするとか。それこそ東福寺の法堂なんかすごくよさそう。
あとは、音楽のボリュームを聴こえるか聴こえないかの限界まで絞ってみるとか。場所によって聴こえ方を変えるとか。来場者の聴覚の注意をコントロールする展示設計は、方向性のひとつかなと思いました。


色々書きましたが、総じて、こういうことを考える機会をくれたという意味でもとても楽しめた展示でした。
なによりも「async」を良い音響で聴けたというのがよかった。
2022年から続いて2回目らしいんですが、来年もやるのかな?あったらまたチェックしたいところです。

それでは今回はここまで。
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