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【アンパンチは暴力?】アンパンマンの疑問にガチ勢が答えます

大学時代にアンパンマンに関する論文が優秀論文に選ばれた経験があるので、その経験を活かしてちまたでよく聞くアンパンマンの疑問に手短に答えたいと思います。

ちなみに論文はここで読めます。原稿用紙90枚ちょっとありますが、暇な方はどうぞ。

タイトルでガチ勢と書いている通り、当時は国立国会図書館で資料を収集するほど没頭していたのですが、現在はアンパンマン界隈から退いているので厳密には「元ガチ勢」です。

私が退いている間にやなせたかしの新たな証言が発掘されて解釈や考察が変わってたりする可能性もないとはいえませんが、その辺りはご了承お願いします。

それではさっそくありがちな疑問に答えていきます。

疑問:アンパンチは暴力か?
回答:はい、暴力です。


よく「アンパンマンって正義面しているけど結局暴力で解決しているよね」といわれるので、そこに突っこんでいきます。

まず、結論からいうとアンパンチは暴力です。

前提条件として、やなせたかしは「正義は曖昧なもの」と考えており、また曖昧な正義同士の暴力自体を否定はしていません。

その時、三越にストライキが起きた。
(中略)
 結局このストライキは権力側の勝利だったが、傷はしばらく残った。正義はやはりアイマイで、どちらが正しいとはいいきれなかった。
 ぼくは退社の決意をかためた。
(やなせたかし『私が正義について語るなら』 九四頁)
ばい菌が絶滅すると、人間も絶滅する。絶えず両方が拮抗して戦っているというのが健康なんです。何人かは負けて死んでいくけどそれも仕方ないんだよね。
(『私が正義に着いて語るなら』一五七頁)
誰だって戦争なんかしたくないですよ。兵隊にとられるから仕方なしにやっただけ。「中国の民衆が困っているから我々は助けなくてはいけない。これは正義の戦争だ」。そう教えられていたんですよ。ところが、戦争が終わると日本軍が中国民衆を苛めたとなった。そのとき、正義というのは、ある日を境に簡単に逆転してしまうことを痛切に知ったわけです。
(「「アンパンマン」の作者が今語る戦争の狂気」 『潮』十一月号第六〇九号 二一六頁)


正義は曖昧なものなので、お互いの正義が食い違って争い(暴力)が起こることを仕方のないことだとやなせたかしは語っています。

ただし、

でも、だからといって戦争をやるにしても、昔のようにチャンバラやって何人か死ぬという程度でやめておかないと、原爆を投下するようなことをしてはいけない。ああいうことをやると全滅します。完全にバランスが崩れてしまいます。
(『私が正義について語るなら』一五八頁)
光がなければ影もないし、影がなければ光もない
(『私が正義について語るなら』一五七頁)


と書いており、やりすぎはよくないとも考えているようです。

そのため、アンパンチ自体に殺傷能力はありません。むしろ、

得意技のアンパンチだって、敵のばいきんまんを殺すことはありません。ばいきんまんは死ぬのではなくて、自分の家に帰ってしまうだけですね。
(『私が正義に着いて語るなら』一五四頁)
アンパンマンは、ばいきんまんが死なないように殴っている。アンパンチは、相手をボカボカに殴るのも悪いので一発でポカーンとやってしまおう(『私が正義について語るなら』一五四頁~一五五頁)


とあるように、殺傷するための攻撃というよりは、アンパンマンにとっての「正義」を実行するために、その場から退場させるための手段として使っているようです。

ちなみに初期の絵本ではその辺りの設定が少しぶれているのか、ばいきんまんが洗浄されて白くなったり小さくなったりとオーバーキルされてしまったりすることもあります。

また、アニメに関しては

「テレビのアンパンマンと絵本のアンパンマンはちょっと違うみたい」小学校三年生の女の子は、少し照れながら言った。たずねると、バイキンマンのいたずらの質、それにばいきんまんに対するアンパンマンの行動に違いを感じるのだと言う。
 こちらとしても、気になっていたところだった。やなせ先生も気にしているところだ。テレビでは、ばいきんまんが町の人々に悪ふざけをして、アンパンマンにやっつけられるという構図が多い。それは分かりやすく、テレビ向きなのだと思う。絵本ではもう少し違う。
(横田清『こどもの図書館』vol46 no8の「アンパンマンの子どもたち」)

とあるように、子どもに分かりやすくする都合上、「アンパンマンがばいきんまんをなぐってやっつける」という構図が強調され、必要以上の暴力行為のように見えてしまっている部分もあるかもしれませんね。

アンパンチが暴力か否かの考察は以上になります。

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