私の恩師はリータ・スキーター
※教授に迷惑がかかるといけないので少しフェイクを含みますが、同じゼミの方が見たら気づくくらいにはそのまま書いています。
先日、私が学生時代に書いた論文を公開したところ、ツイッターで拡散されて2000リツイート(3700いいね)をいただいた。
これは大学で書いた論文なので、当然教授の検閲が入っている。この論文が完成し日の目を見たのは、当時のゼミの教授の多大なご協力・ご尽力のおかげである。
今回この論文がそこそこウケたのがきっかけで思いだしたので、少し語ろうと思う。
大学では必須単位である「ゼミ」に入る。自分が教えを乞いたい教授を選び、そこで1年間学ぶのだ。
その教授のゼミに入ったのは大学2年生の時だった。
エミール・ゾラの『居酒屋』など人間の悲哀を書いた作品を得意とする方だったので、興味がわいて選んだのだ。
その教授がハイヒールの音をひびかせながら教室に入ってきた時は、正直なところ「失敗したかな」というのが第一印象だった。
50代半ばの女性で少しやせており、身長はやや高く160を越えている。ウェーブがかった髪を青みがかった白髪染めで染めており、化粧っけが強く白かった。ヒモつきの金縁眼鏡をかけており、服は原色に近い。全体的にカラフルだ。
(リータ・スキーターみたいだ)
失敗したかな、と思った原因はそれだった。『ハリーポッター』シリーズに登場する、捏造ゴシップ記事を得意とする嫌味な記者にそっくりだったのだ。
このままだと失礼になるのですぐに補足すると、授業は分かりやすく面白かった。『居酒屋』のような難解で悲劇的な話を、簡単な表現で説明し学生にも考えさせるのが得意な方だった。
リータ・スキーター教授の授業は分かりやすくためになったので、私は3,4年も同じゼミに所属した。
大学で仕事とはかけ離れた学問を学んでいた私だったが、やがて就活戦争にまきこまれることになった。バブル崩壊時に生まれてゆとり世代と馬鹿にされ、リーマンショックによる就職氷河期の真っ只中に就活させられる、生まれてからプラスのイベントが発生したことのない大学生たちが一斉に職を探し始める。
ゾンビパンデミックかな?
私は人より本が好きな極度の人見知りであり、文学部で小説や詩の考察しかしてこなかった人間なので、就活ではやや不利だった。
就活のためにできる限り大学の授業をサボり、ダブルブッキングを気にせず会社の面接を入れまくり、様々な理由で優先度が低いと判断した会社はドタキャンだろうが構わず切っていた(これ、学生も会社も大学も得していなくて最高ですね)。
上手くしゃべるために嫌いな酒を飲んでテンションを上げて面接にのぞんだこともある(気持ち悪くなって逆効果だった)。
とはいえ、300社にエントリーして100社の説明会に参加し、80社のエントリーシート(または履歴書)を書き、45社と面接したので、さすがに内定を獲得することができた。私が特別多く動いたわけではない。たぶん、これが当時の平凡な大学の文学部の平均値だと勝手に思っている。
しかし、ここで最悪の問題が発生した。
就活を最優先にしていたため、卒業論文のテーマの提出を忘れていたのだ。締め切りは2日すぎていた。
提出しないと卒業論文が評価されない。卒業論文が評価されないと留年する。留年したら内定が取り消される。
極度の人見知りの文学部が留年したら、来年の就活は遠回しにいうと絶望的、はっきりいうと終わりである。
次の日の朝、さっそく大学の卒業論文担当の人(教授の助手)に相談に行った。
案の定「受け取れませんしこちらではどうしようもできません」と突っぱねられた。
頭がぼうっとして立っていられなくなり、卒業論文のテーマが書かれた用紙を持ったままイスに腰かけ、用紙をテーブルにおいた。お尻が冷たくなり、用紙がずぶぬれになる。
「あ、そこのテーブルは水をこぼしてそのままにしてあるので気をつけてください」
↑これ、実話なのに未だに自分でも信じられない。何でこぼした水をそのままにしてんねん(あと、何でピンポイントでそこに座んねん)。
ずぶぬれになった用紙を見ていると、神様に「お前に人並みの人生はふさわしくないよ」と社会のレールからつまみ上げられ、投げ出されたような気がした。
(……これは、まずいぞ)
留年や内定取り消しがまずいのではない。
就活でたまりにたまったフラストレーションと、不注意による留年と内定の取り消しの危機へのやり場のない怒り、将来への不安と恐怖がおさえきれなくなり、一瞬だけ自分を制御できなくなりそうになるのを感じたのだ。
逃げなければと思った。何からかは分からない。
私は大学の図書館の静かな一角へ逃げた。ここで落ちつくのを待たないと、大変なこと(「無敵の人」みたいなこと)をしてしまいそうな気がした。
少しすると落ちついてきたので、自分が何をすべきかが見えてきた。
私はリータ・スキーター教授へ事情を説明するメールを打った。
卒業論文のテーマ提出を忘れていたという報告とお詫び、助けてもらえないかというお願いだった。 あと、学生課など他の人へも相談するべきかという相談も書いた。
しばらくすると、リータ・スキーター教授から「この時間に空きができるので研究室に来なさい」という返信が来た。
私は鍵がかかったリータ・スキーター教授の研究室の横に座った。立っているのもしんどかった。幸い広大な大学の研究室エリアなので、廊下に座りうなだれる姿を見られることはほとんどなかった。
2時間ほど経っただろうか(何も考えないために無になっていたのでどれくらいそうしていたのかは覚えていない)、不意にカツカツというハイヒールの音が正面から聞こえた。
「先生」
私はあわてて立ち上がる。
「この度は大変――」
「お話は分かりましたが、」
リータ・スキーター教授は私の話をさえぎった。
「卒業させるかどうかはあたくしではなく大学の判断になるので、どうにかできるとお約束はできません。それと、」
リータ・スキーター教授は眉をひそめる。
「学生課に相談しても、彼らは何もできないと思いますよ」
その通りである。
「あと、他の人にも相談するべきかと書かれていましたが、まるであたくしが役に立たないと思われているのではないかと感じてしまいます。あの内容は失礼ではないでしょうか」
「……申し訳ありません」
「どうにかできるというお約束はできませんが、大学への調整はしましょう」
リータ・スキーター教授の口調が幾分やわらかくなった。
「にんふぇあさんはよく学ぶ真面目な学生です。救済されるべきだと思います。あたくしができる限りのことをするので、あなたは、そのままいつも通りの学生生活を送るようにするのです」
私は約束を守った。
学生課に逆ギレして怒鳴りこむこともしなかったし、就活がなくなったので講義にはすべて出た。
食欲がなくなってふとしたはずみにえずきがとまらなくなる以外は、ごく普通の学生生活を送った。
数か月後教授から、大学と調整ができた旨の連絡がきた。
次のゼミでお礼をいうと「卒業論文は厳しく見させてもらいます。今回の提出遅れも評価の一部ですので、あなたはマイナスからのスタートです。これはあたくしではなく大学の判断です」といわれた。悪い冗談なのか真実なのかは分からなかった。
そして完成したのが「アンパンマンに見る正義と悪」だ。
リータ・スキーター教授は「よく書けていますが」と前置きした上で「キリスト教とアンパンマンに関係がありそうなのは認めますが、結びつける根拠が弱くないでしょうか」とコメントした。
だが私の論文はゼミの優秀論文に選ばれた。
提出遅れも評価の一部、キリスト教と結びつける根拠が弱い、といいながらも、リータ・スキーター教授は私の論文を推してくれたのだ。
もしかしたら「人生いろいろ失敗もあるががんばれ」という応援の意味もこめられていたのかもしれない。
私がリータ・スキーター教授のゼミで学んだことは本当に役に立った。
小説を書いて受賞候補に選ばれたり、メディアから執筆依頼が来たりと今でも活用できている。
就職活動では貧弱な文学部だが、人生全体で見るとなかなか馬鹿にできない。
この場を借りて、改めてリータ・スキーター教授にお礼をいいたい。
今の私があるのはリータ・スキーター教授のおかげです。あの時は私を救っていただき、本当にありがとうございました(あと散々リータ・スキーターとかいってごめん)。
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