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偉人の自宅を見てみよう(クイズつき)

テレビで昔からあるコンテンツとして、芸能人のお宅訪問というものがある。

有名で個性的なあの人がどんな家に住んでいるのか見てみたい、そしてそこからプライベートを想像してみたい、というのは至極当然の考えだろう。

そしてそれは、芸能人だけでなく歴史上の偉人にもいえることではいだろうか。

明治時代以降の偉人であれば、生家や生涯をすごした家が現存しているケースも少なくない。

というわけで今回は、日本史に名を残す偉人たちの自宅を見学してみよう。

ただ、せっかくなのでクイズ形式にしてみたいと思う。これは誰の家か分かるだろうか。

これはとある偉人の生家だ。雨風をしのぐためか、ガソリンスタンドみたいな屋根が作られている。

この特徴的な保存の仕方から、見たことがある方であれば即答できたと思う。分からない方のためにヒントを書いていこう。

これは家の中。説明板に答えが書いてあるので雑に塗りつぶさせてもらった。この家の中に大事なヒントがあるのだが見つけられるだろうか。

おまけのヒント。この偉人のお母さんは、家の前の川で皿を洗っていた。その時おきた悲惨な事故が、その偉人の人生を大きく変えることになる。

……そろそろ答えを書きます。





答えは野口英世の生家だ。福島県・猪苗代にある。

彼は黄熱病・梅毒の研究で知られる。幼いころ、母が皿洗いをしている間に囲炉裏で左手に大火傷を負ってしまうが、手術で回復し感動したことにより医師を目指すことになる。

貧しい生まれと不幸な過去を背負いながらも外国で様々な研究を続ける母思いの研究者という一面と、酒と遊びが好きな浪費家という困った一面を合わせ持つ、非常に人間臭い人物だ。

野口英世生家に隣接する記念館では野口英雄ロボにも出会えるロボよ。

……

次の家を見てみよう。

これは誰の家か分かるだろうか。

家の中。ヒントらしいヒントがないーーと思ったら遺影があった。偉人の母が写っているので、伝記などを読んだことがある方ならここでピンとくる方もいるかもしれない。

最後のヒントとしては、日本で一番最初に日本で一番トップになった人物だ。もうこのヒントだけで分かるかもしれない。

そろそろ答えを書きます。





正解は伊藤博文だ。ここは伊藤博文が生まれてから14歳まですごした生家である。

伊藤博文は初代内閣総理大臣だ。

内閣総理大臣を日本のトップというのが正しい表現か、何を持ってトップと判断できるのかはここでは考えないものとする(ヤバめの方から「内閣総理大臣が日本のトップって誰が決めたんですか?」とコメントがつく可能性があるので先に予防線をはらせてください)。

現在の山口県・萩市に生まれ、松下村塾で学び、いろいろあって初代内閣総理大臣に就任した。とにかく功績や逸話が多いが、日本史でいうと韓国で安重根に暗殺される最期が有名だ。

初代内閣総理大臣の生家というある意味日本近代化のスタート地点的な場所だが、意外と質素な日本家屋なんだなという印象を受けた。

……

次の家を見てみよう。

これは誰の家か分かるだろうか。

今さらではあるが、偉人自体は特別な存在だとしても、住んでいる家にその偉人の個性が反映されているとは限らないので、これだけでは見たことがある方以外には分からない。

家の中。これもヒントがなく難しい。

これは大ヒント。偉人が長年利用した書斎だ。

壁が取り払われて中が丸見えになっている。掛け軸もヒントだ。この家を見たことがなくても、ものすごく日本史が好きな人なら掛け軸の文字から答えを出せるかもしれない。

ちなみに掛け軸には「県居大人之霊位」と書かれている。「大人」は先生の意味だ。つまり、亡くなった師匠の名が書かれた掛け軸ということになる。

書斎を持ち、偉大な師匠の名前を掛け軸にしているこの人物、一体誰だろうか。

そろそろ答え書きますね。





答えは本居宣長だ。江戸時代の医者・国学者であり、師匠は賀茂真淵である。

彼は賀茂真淵の書をきっかけに国学の研究を始め、文通で指導をしてもらうようになった。考え方の違いで賀茂真淵を怒らせてしまっても自分の主張を曲げない頑固な一面があり、手紙で苦言を呈されることもあったが文通は続き、師匠の死後も名前を掛け軸にしている。

ただ尊敬してへつらうのではなく、怒られても正面から自分の主張をぶつけ、死後もリスペクトを忘れないという熱い師弟愛を感じる。

……

今回は以上である。

教科書の文章や肖像画を見ているだけでは現実味のなかった偉人も、生家や旧宅を目のあたりにすると一気に身近に感じられたのではないだろうか。

観光という目線で見ると、安い入館料と少ない所要時間で気軽に見学できるので、ぜひ旅行プランにも優先的に組みこんでみてほしい。

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