ライク ア 雑草
上京して約1年。年始以来、半年ぶりの帰省だった。
実家には祖父母と母の3人が暮らしている。
祖父は以前から病気をしている。その辺の詳しい状況については、以下に書いてある。
(ちなみに、この祖父日記という試みはぴったり3日坊主で終わった。半年後に上京することを考えると、かけがえない日々の記録をちゃんと続ければよかったと思うが、後悔先に立たず。)
調子は、この1年で調子が徐々に悪くなっていると聞いていた。
私が帰省した日の前後は特にひどくて、介助無しではトイレにも一人で行けない時すらあるという。
久しぶりに会った祖父は、記憶の中よりも随分細くやつれていた。元来の祖父は、服のサイズはXXL、味の濃いものを好んで食べる、どちらかといえば肥満体と呼ばれる人だった。
ふっくらとして四角形だった顔は特に変化が大きく、肉厚な瞼に覆われて小さく見えていた瞳は、今はくりっと丸く飛び出しているように見えた。
祖父の身体がゆっくりと死に向かっているのはたしかに間違いないだろう。けれど、椅子に腰掛けるその姿と、ハリのある声は昔と同様にどっしりした存在感があって、まだ祖父の魂は萎れてはいないように見えた。
あと2年という余命宣告を受け、早数年。宣告の日はとうに過ぎているというのに。
良い意味で、しぶとい人だと思った。祖父のいない場でこっそりと祖母にそう伝えると、祖母は「そうだね」と目の端にほんの少しだけ涙を浮かべて笑っていた。
「元気にやりなさい。おれも元気にやるから」と祖父がハリを失っていない声で言った。私はうんと頷いた。
付け加えられた「今は元気じゃないけどね」という言葉に、これは祖父なりの自虐ギャグだったのかもしれないと思ったが、咄嗟にツッコミを入れることはできなかった。「大丈夫だよ」と、私は呑気に返した。
祖父に会えるのはこれが最後かもしれないと母から聞かされていたから、それとなく気の利いたことを言ったほうがいいかなとも考えていたが、実際に祖父と言葉を交わしてみると、何も特別なことなんてしたくなくなってしまった。
結局私は、また次があると本当に信じて、感傷的なことはひとつも話さずに、あっけらかんとして、「またね」と言って別れた。
最期を少しも匂わせずに接することが、痩せこけながらも、まだここにしゃんと魂を置いている祖父に対しての、私が今考えうる最大限のリスペクトだった。
祖父も最期を匂わせるようなことは話さなかった。別れ際に言われた「いつでも帰ってきなさい」という言葉に、祖父のすこし不器用な、それでいて真っ直ぐな愛を感じて目頭が熱くなった。
もしこれが本当に最後だったら、私はやっぱり後悔するだろう。もっと気の利いたことを言って、これまでの感謝を真摯に伝えれば良かったと思うだろう。
けれども、多分どうしたって後悔するのだ。この日の別れは、今の私にとって、最大限の祈りでもあった。それはたしかな真実だ。
年末の帰省で、祖父にはきっとまた会えるだろう。今はただそれを信じて、その時に何を言うべきなのか、じっくり考えたい。
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