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白浪のあとはいつも輝いていた


3年経っても、私は誰にもなれないでいた。

朝5時前の薄暗い海岸で、スマホの画面でコンクリートを照らしながら、私は小さく息を漏らす。潮のにおいに釣られたように、ふらふらと防波堤の先端まで歩いて、危うく空を踏むところで腰を下ろした。特段おおきなため息をついて、画面は今度は私の顔を照らす。
それは某有名動画サイトだった。画面の中のキャラクター「朝慕ラケ」が、潮風に向かってどうでもいい喋りを展開する。

活動3年にして登録者数611人、VTuber「朝慕ラケ」、これが私だ。

美大に入ってやりたいこともないことに気付かされた頃、流行っていたものを小手先の絵でなんとか形作り試してみて、なんだかキラキラして見える赤い海に勢いよく飛び込んだ。それでも私は、やはりなんというか、絶望的に自分を売るのが下手だった。

初動のハッシュタグや流行りのゲームである程度の登録者数は増えたものの、だいたいの配信はよく見る名前が3,4人いるだけで、そのメンツは毎年入れ替わっていった。
なぜ3年も続けてきたのか、今はもうわからない。

そろそろ帰ろうと顔を上げたとき、ふと水面に何かを見つけた気がした。目を凝らすと、それが間違いではなかったとわかった。波の中に何かが揺れている。とても見覚えがある、毎日見ている。あれは人間の手だ。

朝の5時に海で泳ぐ非常識がすぐそこに溺れているという事実が、私をひどく揺さぶった。気づけば手にしていたスマホを放り、まだ薄暗い海に勢いよく飛び込んだ。

「またこれだ、お前の考えなしの決断はきっとうまくいかない。そのまま一緒に溺れるのが関の山だ。大人しく通報しておけばよかったんだ」
そんなことを思いながら、激しい水しぶきを立ててその「誰か」の元へと向かった。

手を見失った。沈んでいないかと水中で恐る恐る目を開けると、その「誰か」と目が合った。キョトンとしたその少女の顔は、まるで自分が溺れていることに気づいていないようで、その実彼女の姿は彼女が無事であることを証明していた。彼女の下半身は、およそ人とは思えない。

古今東西、あらゆる場所に伝えられる物語。おとぎ話の中の彼女がここにいた。
今日、私は人魚と出会った。


服を着たままで飛び込んだのは失敗だった。私はあの後、助けるはずだった相手に抱えられて岸へとたどり着けた。震える顎を動かしてなんとかありがとうと伝えると、彼女はにっこりと微笑んだ。言葉は通じるらしい。何を言えばいいか迷っていると、先に彼女が口を開いた。

「あの、私のこと、誰にも言わないでくれないかな……」

断れるはずがなかった。勝手に飛び込んで助けてもらった挙げ句、誰かにこの恐るべき神話生物の発見を言いふらす気もなかったので、ただ首を縦に振った。

彼女は満足げに笑うと、手を振って波とともに去っていった。私は力の入らない足でなんとか立ち上がって、スマホを拾う。コンクリートに叩きつけられたそれは対角線上に大きなヒビが入っていて、私の馬鹿らしい行動の結果をまじまじと見せつけているようだった。5時半を過ぎて、太陽はすでに顔を出していた。

家に帰って、海水でベタついた体をシャワーで洗い、朝食を食べて、大学に行く。死ぬかもしれなかったのに簡単に普段の生活に戻れていることが、なんだかおかしかった。講義は耳に入らなかったし、ずっと上の空だったけれど。

それから、人魚について調べた。難破や溺死にかかわるお話で語られ、慈悲深い。歌がうまくて人を魅了する。肉を食べれば不老不死。目撃例はマナティーと見間違えた説が濃厚らしいけど、あの子は多分マナティーではない。


目を開けて時間を確認すると、朝の4時だった。

ベランダからは、大きな月が見えた。パーカーを羽織って外に出た。10分も歩けば海に出る。半ば日課になっている早朝徘徊は、相当不審者だし危険だなと思いながらも、背徳感が私を部屋から引きずり出してくる。

いつもの防波堤に座って朝慕ラケの動画を再生する。水平線をぼっと眺めていると、海面に何かが文字通り顔を出した。昨日見た顔だから、驚きこそすれどまた動揺して飛び込むようなことはなかった。

彼女はこちらに近づいてきて、私におはよう!と声をかけてくる。面を食らったけれど、周りを確認してから小さくおはようと返した。ここが誰もこない寂れた埠頭で良かった。

「なにしてるの?また落ちないでよ?」と彼女は笑う。彼女からすれば、夜更けの海で溺れかけたのに、懲りずに次の日も来たやばい女に映っていると今になって気づいた。

「あ、えっと……あのいつもここ来てて、好きで……って感じで……すね……」

消え入るような私の声が聞こえなかったのか、それとも興味なかったのか、

「ふーん……で、それ何?」と、スマホを指さしてくる。

「あ、えっと動画……それより、本当に人魚なんだよね?」

リアルの誰にも活動について知らせていない私は、とっさに無理矢理な方向に話題を捻じ曲げてしまった。彼女はそんな私の焦りなど意も介さずに答えてくれた。

「そうだよ!ほらこれ、動くでしょ」と、尾ひれをバタバタと動かす。水が飛んで顔にかかったけど黙っておく。

昨日調べたことを思い出して、質問した。

「ねえ、人魚って歌で人を誘惑して船を沈めるって言い伝えがあるけど……本当?」

「え~どこ情報それ。私船沈めたこと無いし!でも歌は好きだよ」

「……人魚の肉は不老不死の妙薬……って話もあるんだけど」

「おじいちゃん怪我したときよく傷口舐めてたけど死んじゃったから多分それ間違いだよ」

「なんか違う気がするけど……とりあえず望み薄ってことで」

おとぎ話の情報とは、付かず離れずだった。彼女は話していれば、ただの爛漫な少女だった。

「あのさ……こんな事お願いするのもなんだけど、歌ってみてくれない?」

いいよ!と快諾した彼女は、私の好きな曲(昔歌ってみたを投稿したが、192再生だった)を聴かせると、歌詞もおぼろげなまま歌いだした。

私は凄腕のプロデューサーでもなんでも無いけれど、この歌がとんでもないということは肌で理解した。歌詞を思い出すことは早々に捨ててラの羅列になってしまったのに、その歌の爽やかな曲調と失恋の歌詞のギャップが、その歌い方のひとつひとつの所作から感じられる気がした。

太陽が昇る。水面は煌めいて、この海は彼女のためのステージになった。
彼女のブロンドの髪が輝いて見える頃には、歌は終わり、私は気がつけば拍手を贈っていた。そして、私はまた後先考えずに言ってしまったのだ。

「ねえ、VTuberしない!?」

確信があった。彼女の声は大勢に届く。


「念のため確認するけど、マナティーではないよね」
「えどういうこと?」




それからの3ヶ月は、激動の日々だった。彼女のモデルを用意するためキャラクターデザインをおこして、数年ぶりにLive2Dでアバターを作った。

朝慕ラケの何倍もの時間をかけて制作した。寝ている時間以外は殆ど作っていた。大学も何度かサボった。彼女には人魚であることがバレないように雑談する特訓と、私を「ラケ」と呼ぶ練習をしてもらっていた。

そしてある日、朝早くにブランケットで彼女の下半身をくるんでわたしの部屋に連れてきて、目の前に機種変前のヒビ割れたスマホを置いてトラッキング開始のボタンを押した。

「ここ見て、ちょっと笑ってみて」

彼女がニコっと笑うと、画面の中から満面の笑みが帰ってくる。彼女が驚くと、ちょっとマヌケな驚き顔に変わった。

そうして、「白浪アオ」は誕生した。

最初の配信は私の枠のゲストとして出てもらった。リアルの友達で、私が誘ってVTuberデビューした、そう言っておけば私の少ない視聴者は、私が誰と喋ろうが気にしなかったのは幸いだった。小さいコミュニティは民度が良いのだ。

そしてアオの歌は、絶賛だった。私の渾身のアバターが霞むくらいには。
その日のうちにアカウントを作って、それからは週3で私の家に来て歌配信をするようになった。
加えて定期的にミックスを外部に委託して歌ってみたを上げていった結果、彼女はみるみるうちに登録者数が増え、半年後には登録者数30000を突破していた。

いつの間にか投票で決めた「アオハ~」なんて南国チックな挨拶を取り入れて、それが妙に似合っていて、なんだか彼女が急に遠くなってしまった気がした。

たまに私の枠で雑談やゲーム配信をして、彼女のあまりにも初心者すぎるゲームの腕を見せていったから、私はそのおこぼれに与ってそれなりの同時視聴数をキープしていた。
アオは「最近はよく人生相談もらってるんだ~」なんて楽観的に構えていたが、私は気が気でなかった。

そんな11月の冷たい夜に、小さな命が潰れる音が、世界に響いた。それを聴いた人はたった数人だったけれど、これがはじまりだった。


地面を軽く揺らす音で目が覚めた。アオのスマホのバイブレーションだろうか。彼女は人気者だからたくさんのリプライが飛んでくる。だけど、あまりにうるさいから私が切ったはずだ。だったら何故。

発信源は私のスマホだった。SNSを開くと、大量のリプライが飛んできていた。こんな数字は初めて見た。
そのどれもが「アオさんのことってただの偶然ですよね」とか「なにか知ってたら何でも良いので教えてほしいです」だとか、アオが何かやらかしたことを示唆している。
中には私に向けて誹謗中傷を送る輩もいる。しばらくスクロールすると、リプライの中にネットニュースのURLを見つけた。

5人連続自殺 VTuberが自殺教唆か
11月13日未明、東京、山梨、三重、福岡にて5人が自殺した。
関連性は無いものとみられていたが、全員が事前に動画配信サービスにて同一の放送を視聴していたことが発覚し、インターネット上で話題になっている。当該の放送は非公開になっており、現在は視聴することができない。
警察は事実確認を急ぐ方針とのこと。

予想よりもよっぽどひどい事態に、私の寝起きの頭が凍りつくようだった。
どうやら自殺したうちの誰かがアオの歌配信を聴きながら入水自殺する配信をしたらしく、それが話題になって発覚したらしい。

そして、事態はそれだけに留まらなかった。私もグルだと勘違いした人たちが、私のリアルを特定しようとした。私の声と絵柄が同じ大学の人に似てるというタレコミから、すぐに朝慕ラケの正体が亀井明菜という大学生であることが発覚した。

すぐにアオに伝えに走った。いつもの防波堤で、アオに何をしたのか問い詰めた。アオは「いつもみたいにただ歌っただけだよ!私何もしてない!」と狼狽えた。

「しばらくは隠れてて。警察には私がうまく説明するから」

「うまくって、どうやって?」

「わからない……。どうしてこんな……」

彼女にあげたバキバキのスマホを持たせ、水に決して浸けないように言って、私はすぐ来た道を戻った。

家に戻って、寝付けない体を無理矢理横にして寝た。通知は切った。
眠りに落ちる前に、あの日調べたことの一文を思い出した。

古来より人魚の出現は凶兆とされてきた。人を歌で惑わし、遭難や難破、溺死に誘うとされている。




もうこれ以上悪いことは起きないと思っていた。
昨日の時点で私の家は特定され、私が夜中にアオに会いに行ったのを追いかけた人がいたらしい。そしてSNSには、私が人魚と話す様子が動画に収められていた。

世界初だろう。人魚の歌声を利用して人を殺した人間は。
きっとアオもSNSを見ている。私はもう、諦めてすべてを打ち明けてしまおうと思った。そして私は二度と彼女に会えなくなる。ああ素晴らしい最期だ。

白浪アオのページを開く。最新のアーカイブは消えていて、それは私がやったのだからわかりきっていた。アオは毎回気に入った曲を勝手に歌うから、アーカイブは著作権的に問題がある部分をカットするために一度非公開にしていた。

私はアオの配信をあまり見ない。彼女が配信するときは隣で聴いているし、数字で負けている劣等感もあって配信の際はできるだけ画面を見ないようにしていた。

すべての終わりに彼女の歌が聴きたかった。これまでの活動をなぞるように、アーカイブを流していく。チャットのリプレイが、当時のチャットを再現してくれる。最初の頃は私の配信の視聴者ばかりが集まっていて、回を重ねるにつれ見たことない名前がたくさん増えていった。

3ヶ月前の配信で、「仕事で毎日苦しいけどアオちゃんの歌でなんとか頑張ってる」というコメントに、軽々しいけど優しくエールを贈るアオの姿があった。これを皮切りに、毎回の配信で人生相談がいくつか届いていた。
そのどれもに、アオは正面から優しく受け止めて、弾けるようなテンションで明日への一歩を支えていた。

そうだった。私もそうだったんだ。

何も考えず、私は飛び込む。いつもそうしてきた。
朝慕ラケの配信をつける。タイトルは「白浪のあとはいつも輝いていた」。

「ねえ、私の話を聞いてほしい。全然まとまってないけど、お願いだから。
私ね、本当に毎日苦しかったんだ。ずっと虚無の中にいて、私は誰にもなれなくって。
でもそんなだから、求めちゃうんだよ。暗闇の中の光を。どうしようもなく輝きに魅入られるときがあるんだよ。私達みたいな死にたがりの人間は。
白浪アオが人を殺すんじゃないから!私達がみんな死にたくって死にたくって仕方なくて、ギリギリでアオに救われてただけだから!!」

明日を生きるのがつらかった。誰かになれる保証がないまま、歩き続けるのがつらかった。だけど私達は美しいものを聴いて、世界に絶望せずにいられた。白浪アオの足跡には、いくつもの苦しみを乗り越えた輝きがあった。

それだけ言って、私は配信を切った。ダラダラと長時間のゲーム配信を続けてきた私の配信で、最も短い配信だった。


白浪アオは、あれから現れることはなかった。私の前にも。
それでも、きっと。
彼女は私達の光であり続けるから、きっと私を見てくれてる。

私は配信開始の挨拶を作らなかったから、緩やかに配信が始まる。
アオみたいにはなれないけれど。
「あ、あー。あいうえお。……おっけーそれじゃ始めますか~」

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