こんな時代だけれど、こんな時代だからこそ考えたい #はたらくってなんだろう
【こんな時代だけれど…】
コロナ禍の中、誰もが胸の中にそれぞれのストレスや不安をため込みながら生きている。将来のことや明日のことさえも見えてこない人もいるだろう。ぐっと我慢する時なのかもしれないが、それがどれぐらい続くか見当がつかない。こんな状況の時でも、多くの人は生きていくために働かざるを得ない。先の見通しがつかないまま必死で働いている人もいれば、働く場を求めている真っ只中の人もいるだろう。こんな時代だけれど「はたらくってなんだろう?」と考えてみた。
【はじめてはたらいたとき】
初めて働いたのは学生時代のアルバイトである。初給料を手にした時、お金と一緒に自由を手に入れたと感じた。自分の時間と身体を使って得たお金を誰の許可も得ずに自分だけのために使える。今から思えばそれは決して多くはなかったけれど、それまで自分自身を覆っていた薄いモヤモヤとしたベールが一枚剥がれたような小さな衝撃があったのを、今でも鮮明に覚えている。働くということは、社会に参加するとか、誰かを幸せにするとか、義務であるとか、様々な角度から捉えられるだろうが、私にとって働くことは自由を手に入れることであった。
学校を卒業して親・保護者からの支援を受けずに生活していくためにはお金が必要であり、そのために働くことは必須である。世の中を見渡せば、働かないと言う選択肢を選べる人も一定数いるかもしれないが、そんなに多くはない。同じ働くのなら、専門性の高い業種についたり、自分の得意なことや好きなことを仕事にしたりできたら、幸せだと思う。
しかし、そう簡単にはいかないのが現実である。
人が自分の将来に夢をもつ瞬間や時期は、人それぞれだろう。小学生の頃からよく「将来の夢は?」と聞かれた。何も決まっていないのに答えなければならない時は、適当に相手が納得しそうな職業を答えたこともある。中学生の頃は、まだ働くと言うことは遠い先のことのように感じてはいたが、将来の自分に対するいくつかの夢が心の中にあった。夢の実現のために努力が必要であるかもしれないし、努力を続けるためには持続的な意思や自信を持ち続けることも重要だと、なんとなく気づき出していた。高校、あるいは大学と進むにつれて、夢を追い続ける者と現実的な夢に切り替えていく者とに分かれていく。夢を持てないという人もいるかもしれない。
【自分の夢と誰かの幸せと】
働くことが、自分の好きなことや得意なことと一致していたり関連したりしているのなら幸運なことである。ただし、自己満足で終わるのなら単なる趣味でしかないかもしれない。時には、好きでも得意でもないけれど偶然に巡り合った仕事を続けていくこともある。その仕事や役割を必要とする人がいるならば、続ける価値や意味がある。
人は、それぞれの人生の中で夢を実現したり、追いかけたり、諦めたり、心の片隅に留めたり、完全に忘れたりしながら、自分の人生を生きている。もし、自分の夢が自分のためだけではなく誰かを幸せにすることができるものであるなら、それを仕事にするという選択肢もある。幸せにできる人の数が多いときは、多くの人から期待されたり求められたりする。多くの人ではなく、ほんの少しの人を幸せにするということも大事なことであるだろう。あるいは、誰かを直接幸せにすることはできなくても、間接的に誰かの幸せに関わることもある。人を幸せにすることは簡単なことではないかもしれないが、人を幸せにしようと思えばチャンスはいくつもある。
世の中にはあらゆる仕事がある。知っている仕事より知らない仕事の方が多いかもしれない。時代が流れゆくの中、新しく生まれる仕事があり消えていく仕事がある。したことに対して直接感謝の言葉を伝えられたり目の前で喜んでいる姿が見える仕事もあれば、誰の目にも触れないうちに完結する仕事もある。いろいろな仕事を経験することによって、世の中や人を見る目は鍛えられ成長していくのかもしれない。
普段の生活の中で、私たちは多くの物や囲まれている。そのほとんどの物を自分で作ることができない。紙も鉛筆も机も靴も、醤油もチョコレートも、眼鏡も車も作ることができない。いや、がんばれば作れる物もあるかもしれないが、膨大な時間がかかってしまうだろう。物だけではなく、様々なサービスにも同じことが言える。私がどこかで働いて、誰かがどこかで働いて、その成果を交換しながら生きている。誰かがどこかで働いているからこそ受けられる恩恵が世の中にはたくさんある。
【はたらきつづけると…】
初めて働いた時に自由を手に入れたと思ったが、ある時全く逆の思いを抱いた。働くことは自由を手放すことではないか。はじめて手にしたお金は自由を与えてくれたが、それは誰かから保護されることからの自立であった。しかし、働きに対して幾らかの報酬を与えてくれる人や会社や組織との関係は自由ではない。義務や責任が伴う。組織や会社に属さなくても、報酬が支払われるのならばやはり義務や責任を伴う。自由なはずの自分の時間は働くことによって減っていく。
誰の一日も必ず24時間と決まっている。この限られた時間をどう使うのか。誰かのためだけに使うのは限りなく不可能に近い。特別の事情がある時以外はやめておいた方がいい。時間を自分のためだけに使うのは、時には必要な場合もあり決して悪いことではない。私が理想としたいのは、自分のために時間を使い誰かのためにも時間を使うこと。限りある自分の時間を自分のために使い、誰かのためにも使う。働くとは、自分を幸せにすることであり、誰かを幸せにすることでもあると思う。
【こんな時代だからこそ】
どんな時代でも誰かがやらなければならない仕事がある。今も、助けを求めている人がいたり、必要とされる仕事がある。自分の得意なことや好きなことを仕事にしようと探し続けている人もいるかもしれないが、誰かが求めていることや社会が必要としていることの中から仕事を見つけていくことも大事なことだと思う。
将来のことや明日のことさえも見えてこない不安定な時代ではあるが、こんな時代だからこそ「はたらくってなんだろう?」と考えてみたい。誰のために何のためにどんな仕事をするのか。答えは人の数だけあるのかもしれないが、どんな時代であっても誰もが、自分が幸せであり人も幸せである世の中で生きていきたいと願う。その願いを実現するために、人は働くのではないだろうか。
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