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知らなかったものに気づいたり好きになったときは、あたらしい自分に出会うとき

〜クイーン、そして ザ・クロマニヨンズ 〜

【出会うことは決まっていたのかもしれない】
いつもと同じものに囲まれていると安心感がある。この安心感を犠牲にして、いつもと違うものに挑戦したら、あたらしい世界が見えたりあたらしい自分に出会えたりする。これまで音楽を聴く時にロックという選択肢がなかったが、ちょっとしたきっかけで「クイーン」や「ザ・クロマニヨンズ」に出会い、あたらしい自分に出会うことができた。

数年前、友人が「最近観た映画の中で『ボヘミアン・ラプソディ』が一番良かった」と話していた。その言葉が心に残っていて、ふと映画館に立ち寄り『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。クイーンのこともフレディ・マーキュリーのこともほとんど知らない。ロックはどちらかと言えば苦手なジャンルだった。

映画は、♪Can anybody find me somebody to love?  僕に見つけて、誰か、愛せる人を…♪ (『Somebody to love』)という歌で始まる。グループ結成の前後から1985年7月13日に行われたチャリティコンサート「ライブエイド」までのストーリーが音楽と共に描かれていく。音楽もストーリーも心に響き、何よりもクイーンというバンドに魅かれた。

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もともと外国の歌は苦手だった。言葉の意味が伝わらないと思っていた。しかし、映画から流れてくる歌から、言葉以上の何かが伝わってきた。そのあと、珍しく何度も映画館に足を運んだ。歌詞の意味を調べたりクイーンの情報を集めたりして、知らなかったことをたくさん知った。膨大な情報の中のほんの僅かではあるが。

初めて聞く曲が多かった。コマーシャルか何かで耳にしたことのある曲もあった。ずいぶん昔の曲なのに色あせてはいない。どの曲からも、自分が自分であり続けたいという願い、誰からも何からも自由でありたいという強い思いが伝わってきた
わかりやすい曲もあれば単純には解釈できない歌詞もあった。ステージ上のパフォーマンスや衣装から、自分の信じる価値に正直に生きようとする繊細でちょっとクレージーな人間の姿が見えた。パフォーマンスを生で観たいと思ったが、ボーカルのフレディー・マーキュリーは今はこの世にはいない。

【会いたくなったら会いにいく】
そんなことを考えていた頃、2020年1月クイーンがアダム・ランバード(シンガーソングライター)と来日するという、幸運なニュースがあった。何とかチケットが手に入り、コンサートにいくことができた。フレディ・マーキュリーはいないけれど、ギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーがいる。そして、フレディ・マーキュリーをリスペクトしながら歌う若きアダム・ランバードの歌声は、奇跡的な迫力で会場全体を魅了した。

この一連の出来事によって、私の好きな音楽のジャンルは大きく広がった。2020年は私にとっての「ロック元年」であり、あたらしい自分と出会った年である

そのあとは、ロックを中心に海外のいろいろな曲を聴いたり、ロック史の情報を集めて読んだりした。日本のロックも聴いてみたくなった。日本のロックバンドもその魅力的な曲も、想像を遥かに上回るほどの多さだった。その中で、たまたまこのバンドのこの歌詞に出会った。

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【出会えてよかった】
「いつか どこか わからないけど
 何かを好きになるかも知れない
 その時まで空っぽでいいよ」

ザ・クロマニヨンズの楽曲「生きる」の中の一節である。この曲は2018年8月29日にザ・クロマニヨンズのレーベル「HAPPY SONG RECORDS」からリリースされた。

ボーカルである甲本ヒロトの歌を聞いていて、ふと教師をしていた頃を思い出した。やりがいがあり毎日が楽しかった。教えたいことがたくさんあり、子どもたちは可愛くてよく話を聞いてくれた。教師の仕事を離れるとき、これまで自分が歩んできた過去を肯定も否定もせず前に進んでいきたいと思っていたが、

「いつか どこか わからないけど
 何かを好きになるかも知れない
 その時まで空っぽでいいよ」

この歌詞を聴いた時、そんなことを一度も子どもたちに言えなかったなと心の中が少しだけざわついた。夢とか、希望とか、頑張るとか、… たくさん励ましてきたつもりだけれど、「(何かを好きになる)その時まで空っぽでいいよ」なんて言えなかった。この言葉は、未来に対してまだ何も見つからない者を優しく包み込む。たぶん、今なら言える。

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昔の歌番組で「リンダリンダ」を歌うザ・ブルーハーツ時代の甲本ヒロトは何となく覚えている。歌詞の意味や不思議に見えた動きや仕草に、当時は共感も理解もしないまま歌は流れていった。私の心の中のある部分は、その頃きっと空っぽだったのかも知れない。

「生きる」を歌うザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトは「リンダリンダ」を歌っていた頃と同じ目をしているように感じた。鋭いけれども澄んでいてどこか居心地の悪そうな目。その目を見て思い出した。同じ目をした子どもが確かに私のクラスにいた。その頃は、愛すべきその子どもたちの胸の奥にあった、説明できない困惑やエネルギーにまでは想像力が働いていなかったような気がする。あるいは、親や学校や社会への反抗は、反抗のための反抗だけではなく本当の自分でありたいという願いだったのかもと、今思う。

「過去を振り返らず前を向いて」と思っていたけど、歩いてきた道を少しだけ振り返った。時には振り返るのも悪くない。

【ザ・クロマニヨンズに会いに行く】
音楽に限らず世界は知らないもので満ちている。いつもと違う思考回路に辿り着けたのはきっといつもと違うものと出会えたから。時には、いつもと違う選択をし、苦手なものや人が進めてくれるものにも目を向けて自分の世界を広げていきたい。まずは、今も活動中のザ・クロマニヨンズに会いに、ライブに行こうと思う。


#あたらしい自分へ

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