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生活保護を申請するまでの大まかな流れ

 ちょっとご無沙汰しちゃいました。
かわぐちです笑


前回は生活保護のことを書こうと思ったのにフライングして
ちょっとディープなこと書いちゃった。(๑˃̵ᴗ˂̵)てへ。
なので、何かの足しになるかなって思ってとにかく生活保護について
だけ淡々と書いていこう。


若くして、生活保護になったきっかけ

きっかけは単純。
自殺未遂をして、救急病院に運ばれたから。
病院ってすげぇのね。ただ単に病気を治すところやと思ってたけどね。
病院で働いてる人ってお医者さんと看護師さんだけじゃないのよ。

ソーシャルワーカーさんとか、社会保険福祉士さんとかね。
あ、その辺一緒か。あんま詳しくないんよその辺。

とりあえず各行政機関と繋がっとる。
いろいろ繋がっとる。
んでね、まぁね、「自殺未遂でこんな子が来ました〜。」
って連絡が行くの。と、同時に病院専属のソーシャルワーカさんだか
社会福祉士さんだかがお話に来るの。

もう5.6年も前になるから朧げなんだけどね、入院中にカウンセリングみたいな感じで、あなたの生活について教えてね。って
来歴って言うんか?病歴じゃないしなあ。

とにかくそう言うのをきかれて、「そうかそうか大変だったね。」って
「いまね、かわぐちさんはね、毛糸の紐がこんがらがって
ぐしゃしゃになっちゃっててね、先が見えない状態だからね
かわぐちさんの毛糸の先を一緒に見つけるお手伝いをしたいんだけど
いいかなぁ?」ってめちゃめちゃやさしいマダムが紹介してくれたのが


保健所の保健福祉士さん?
社会福祉士さん???
とりあえず、保健所のケースワーカーさん。
横文字って便利♡
その人と三者面談みたいなのをして今後の方針とかどうして行くかを
話し合ったね。この人にはめちゃめちゃお世話になって。

今めちゃくちゃにあいたい。こんなに元気になりました。
ありがとうって伝えたい。とにかく私は死んでから今まで
人にお世話になりっぱなしなの。

気づいたこと

いっぱいいっっぱい助けられてここまできた。
ここが人間の愚かなとこやなって思うのが、
「死ななきゃ助けてくれる人がいるってことに気づけなかった」
「死ななきゃ自分は助けられて生きてるってことに気づけんかった。」

これはほんと、失わなきゃ何もわからないってゆう
人間の性やと思うけど
いかに当たり前のことがすごく特別でありがたいかっていうことに
はやく気づけるかで今後の人生変わってくると思う。

当たり前なんてまじでこの世の中にいっっこもないよなって
死んではじめて気づいた。
有り難いことしかない。
ありがとうってほんとに大事な言葉やと思う。

体感してみんと人間って言ったって動物やねんから、
感じてみなわからんことやと思うし、いくら頭で理解してたって
腹に落ちてなかったら、机上の理論というか、綺麗事でしかないから

それを人に偉そうに講釈垂れる気はないけど、まじで意味わからんくても、ありがとうは言った方がいいと思う。
形だけでもええから。

今はありがとうのいえない大人が本当に多いですね。。。
私も大人の一人として残念に思う、


保健所との連携


保健所のケースワーカーさんと、
病院のケースワーカーさんとの面談の中で
次どうしていくかの予定を組んで


  1. 病院に行って、心のケアをする

  2. カウンセリングを受けて、心のケアをする

  3. 上記に専念するために、生活保護を受ける


これで行きます。いいですね?って今後の方針が半ば強制的に
決まっていったけど、生活保護は嫌です。って断った。

だけれども、やっぱりプロには敵わない。
淡々とマダムたちに詰められた。わたしの主張なんてね
根拠もなく整合性も取れていないちゃらんぽらんな言い草だったから
もう、ぼこぼこどかどかやられたよ。

あなたのその状態で、どうやって治療に専念するの?
あなたが今回そうなったのは、経済的な問題もあるでしょう。
私たちがなぜ存在してるかあなたわかってる?
同じ過ちを2度とあなたに繰り返させないために、こんなことが
2度と起こらないように私たちがいるのよ。

経済的な安定もない状態でまた日常生活に戻ったとして
仕事を探すのにストレスいっぱいかかるわよ?
仕事が見つかってお給料をもらえて一安心じゃないのよ。
見つかったら見つかったでまたいろんな問題が出てくるのよ。

そこで問題が起きたとして、
精神的にままならない状態のあなたがどう対処できるっていうの?
そこで折れたら、またおんなじことをするの?
実家も頼れないんでしょう?帰るところないんでしょ?
だったら、そんなわがままいってないで私たちのゆうことをきいて
国に頼りましょう、甘えましょう。

あなた勘違いしてるけど、生活保護はセーフティーネットなのよ?
国の制度としてちゃんと認められているもので、国民一人ひとりの権利なの。今そんな状態のあなたが使わないで誰が使うの?
今必要な人が目の前にいるのに、使わせないで放置させろってゆうの?

わたしたちに、仕事を放棄しろって言ってるの?

的なことをもっとオブラートに包んだ柔らかい言い方で淡々と
言われてたけど、わたしにはこう聞こえてて
ぐうねも出ないほどにせいろんすぎて心に言葉が突き刺さってた。

わたしも若かったし子どもやったからあれやねんけど、
大人の女の人って強いなって思った瞬間やった。

あんなことを言われてしまうとね、首を縦に振るしかないじゃん。
しぶしぶしーぶしぶ、「……..はい。受けます。」って
蚊の鳴くような声でいったけど内心
「どん底や。落ちるとこまで落ちたな。」って思ってた。

わかってくれてありがとう、よく決めたね。えらいね!
って褒めてくれたけどぜんぜんうれしくなかった。

死にぞこなって、病院の人に迷惑かけるわ
必死に生きようとしてる人と、生かそうとしてる人に混じって
死にきれなかったやつが、生かそうとしてる人の仕事増やして
無駄な労力使わせてるわ、って余計に惨めな気持ちになってた。

その上、生活保護で社会のお荷物にまで成り下がるんかわたしわ。
死に損ないにはぴったりな末路やな。って
すうううううううううううううごい卑下というか
捻くれてたというか、入院中のベットの上で、すっごい死にたかった。

あれこそほんとの罰やなって思った、
あんなに惨めな気持ちになったのはあれがはじめてやったよ。

んで、退院後は保健所で保健所のケースワーカーさんと
また色々面談して、心理士さんを紹介してもらって
カウンセリングが始まって、

その次は、ケースワーカーさんが何件か病院を探してくれて
一緒に付き添ってくれて病院を決めたし

市役所の生活福祉課にも一緒に来てくれて、保護の申請も手伝ってくれた。


申請の大まかな流れ

病んでたっていうのと、もう5−6年も前だから、うろ覚えっってゆうか
ほっとんど覚えてないから大まかしかかけないんだけど、
あと保健所が間に入ってくれている場合ね。

だから丸腰で申請に行く人の場合とはちょっと異なると思うけどね。


  • 保健所からあらかじめ市役所に連絡してくれていて、生活福祉課の課長さんと、ケースワーカーさんと生保のケースワーカーさんで4者面談

  • 現状を聞かれて、用紙に今所持してる分の資産を全て記入。たしかね、今財布に入ってる現金も全部書かされる。
    ブランドものの調査とか、車とか、金目のもの全部
    銀行の口座とかも全部書かされる。


それから、わたしその時通信で高校に通ってたのね。
21歳の時に卒業したんだけど、確かそん時20歳であと1年で卒業だったんだけど
生活保護になるには、学生してちゃダメなのね。
(未成年者とかは関係ないよ。)
だから学校も休学してくださいって言われててんけど、
保健所のケースワーカーさんが説得してくれて、
例外的に認められたんよ。。。。。。。。

まじで、ケースワーカーさんグッジョブやったし、
具体的な会話は忘れてしまったけど矛盾をついてて
向こうのおじさんたちはぐうの音も出ませんって顔してて

本当にかっこよかった。みうらさんあの時はまじでありがとうm(_ _)m
わたしはこんなに元気になりました。本当にありがとう。

  • 生保のケースワーカーさんと、保健所のケースワーカーさんで家庭訪問。これは、生活状況を見るための家庭訪問。金目のものチェックと家賃とか、なんか隠してる資産はないかとかのチェック。

今も住んでる家賃38,000円のアパートはね、畳で砂壁だから
ああこれはお金ないねって判断されて無事生活保護の申請おりました✨
今も住んでるけど、今はオシャンな家具とかいっぱいあるから
たぶん今の状況では申請降りないだろうなって思うぐらい豊かになったよありがとう♡

  • 申請降りてもそれで終わりじゃなくて定期的な家庭訪問と収入申告書なるものを書かされます。毎月ね、

死ぬほどめんどかったあああああああああ。
誰かに飼われるってこうゆうことなんやろうなっておもてた。
今はほんとに自由になりました。
フリイイイイイイイダアアアアアム⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎

ちなみに自殺未遂して申請に来ることになったからなんでそうなったのかとか根掘り葉掘り聞かれてまじでトラウマやった。
経済的な支援してくれるひとがいないかの確認のために聞かれるんやけど、親との関係最っ悪やったから自殺未遂してんのになんで聞くねん
前もってゆうたやろ!って
ケースワーカーさんが怒ってくれたけど、まじでツラかったので
丸腰ではいかんほうがいいからもし病んでてとか精神的につらくて
生活保護受ける場合はまずご近所の保健所に行って相談してみてからやとスムーズに行くと思うから

相談窓口とか活用してみて♪♪♪


みたいな感じで生活保護生活が始まりまして、
3ー4年間お世話になりました。
ほんまに嫌なことから幸せなことまでいっっっろいろあって
本当に大変な怒涛の4年間でした。
どん底やった。でも這い上がれたっていう自信になった。

詳しくはここ読んで欲しいけど、

まじ

自己肯定感アゲ⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎


ちなみに生活保護なのに働いてはいけないっていうのは大きな嘘です。
誤解誤解
むしろ働けや!って言われる。
健康的で心身ともに問題なくて、普通に生活できるだけのお金があるのに保護ってゆうのは降りないけど

ここで精一杯です....!
ってゆうギリギリ限界のところまでは
てめえで稼ぎやがれ!たりねぇ分を補填してやんよ!って感じなので

わたしは働いていました。
週2とかでw
それもまた書くね。

とりあえずこの辺でばいばい

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