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「大学生」と「就活生」のはざまで

1 はじめに

お久しぶりです。人間生活ゼミナールです。

私は、今年の春からとうとう大学4年生となってしまいます。いわゆる「22卒」の括りに入る学生です。つまり、今年度の私は、「大学生」でありながら、社会に出るために様々な準備をする「就活生」でもあるのです。

『別にそれがどうした?あと1年やって、卒論が書ければ卒業じゃん。』

これが通常の方々の考え方であると思います。しかし、私は、自分自身に2つの"相反する"属性が備わることへの違和感を感じつつ、大学卒業によって起こる様々な変化を受け入れられずにいます。



2 Fラン大学に進学した理由

私は、何度もしつこく書いていますが、出身高校は、地域屈指の進学校です。大学進学は当たり前という風潮であり、高校同期のほとんどが、大学卒業のその先、すなわち、一流企業に就職することを目指して、大学進学を決めていました。

そんな中私は、大学は勉強するところなんだから、ただ勉強がしたい、という単純な考えを抱いていました。就職のことはいったん置いておいて、自分が昔から勉強したいと思っていることを勉強しに大学に行こう、そんな気持ちで大学進学を決めました。

私以外の高校同期のほとんどは、一流大学に指定校推薦で入学しました。彼らの入学したところは、自分のやりたい分野が勉強できる学部ではない学部であったそうですが(法学部や経済学部に進学したいと言っていた人が文学部に進学したり、理工学部に進学したいと言っていた人が経営学部に進学したりといった具合です)、大学名というネームバリューを求めて入学しました。そして、大学では学業ではなく、インターンシップやサークル活動、アルバイト、留学、海外ボランティアといった、大学生らしい活動をしっかりとしていました。

私は、教員と対立していたおかげで、高校で学年で成績が上位15%に入っていたにも関わらず、また、志望大学の指定校推薦の応募要件を満たしていたにも関わらず、指定校推薦を得ることができませんでした。したがって、行きたい学部に絞って一般入試を受けたわけですが、行きたかった(同期が進学を決めていた一流)大学には落ちまくり、最下位志望であった、滑り止めの、現在通っているFラン大学にしか受かりませんでした。一時は浪人を考えましたが、Fラン大学とはいえ自分が行きたい学部に受かったこと、浪人したところで来年度、志望大学に受かるとは限らないということを踏まえて、現役で進学することを決めました。

すなわち、良い大学に進学することはできなかったものの、自分のやりたいことを勉強できる学部には進学できることになったのでした。私には、推薦が貰えなかったことや、良い大学に進学して自慢しまくっている同期に対する妬みや恨みもあって、"やりたいことをねじ曲げて、指定校推薦で良い大学に行くのは嫌だ"という考えがありました(これが後に大きな仇となります)。

結果として、私は高校同期とは全く正反対の人生を歩むことになりました。大学でサークル・部活に所属せず、インターンも留学もボランティアもせず、ただひたすらに大学の勉強と純粋に私的な趣味活動をしていました。友達も、ビジネスの知人も、恋人も、いません。



3 「大学卒業」の意味の重さ

私は、Fラン大学の大学生とはいえ、大学生活そのものは非常に充実していたと感じています。この3年間で、教員からの暴言、学生からの小学生レベルの嫌がらせ等々は多々ありましたが、それでも、"充実した時間を過ごすことができた"と胸をはって言えると思います。

そして、あっという間に大学四年生になる年の春になってしまいました。

まもなく「大学卒業」が迫ってきているのだと思うと、胸が張り裂けそうになります。それも、これまでの「卒業」とは意味が違うからです。

まず、大学の先には、基本的に「就職」しかないからです。幼稚園を卒園すれば小学校入学、小学校を卒業すれば中学校入学、中学校を卒業すれば高校入学、高校を卒業すれば大学入学・・・と、これまでは、ある教育機関を卒業した先には、またレベルの上がった教育機関があったのです。しかし、大学を卒業した先の教育機関は、ありません。研究機関としての大学院か、就職することのほぼ2択になってしまいます。この事実が、私が絶望感を感じる理由の1つです。

私は、幼・小・中・高を卒業するにあたり、「辛い」「寂しい」「卒業したくない」と感じることはありませんでした。確かに、長年通った土地を離れるつらさはありましたが、それ以上に、次のステージで、より高いレベルの勉強ができることに対するワクワクが大きかったです。高校では、中学よりも深く広く勉強することができることへの喜び、大学では、高校とは違って、自分の好きな学問をトコトン、そして自由に勉強できることへの期待がありました。大学を卒業した先に、そのようなワクワク感がないことが悲しくてたまりません。

確かに、就職して社会に出ることにも、大きな意義があります。それは、社会に貢献することはもちろん、一人の人間として精進することができる、人として成長することができるということです。このように考えれば、社会そのものも「教育機関」として捉えることができると思います。しかし、社会は、学問を探究したり、研究をしたりする場ではないのです。


次に、社会人になったら、研究を続けるもクソもないからです。私は、両親のすねをかじりまくっているゴミ人間ではありますが、両親がいかに苦労して私を育ててきてくれていたかということは、よく理解しているつもりです。社会で働き、稼ぐということは、そう簡単なことではないということは、身に染みて感じています。だからこそ、社会に出たら、働きながらプライベートで好きな勉強を続ける、なんて甘ったれたことはできないのです。

まして、コロナの影響で、Fラン大学に来る求人内容は、比較的劣悪なものとなっており、雇用が劣化してきています。現に私も民間企業を対象とした就活をしていますが、『完全週休2日(土日)』『月の残業時間が20時間以内』といった条件の会社には、なかなか出会えません。週休1日(日)や月に8日休日があるといった会社では、体力的に、やりたい学問を続けるということは不可能であると思われます(もちろん気合いがあればなんとかなる、と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、私は比較的体が弱いので、それは難しいでしょう)。

大学を卒業してもなお、勉強・研究を続けたいと考えている私にとっては、言い過ぎかもしれませんが、大学卒業=就職=人生終了というように感じてしまいます。

さらに、就職をしたら、大学で勉強してきた内容から離れなければならないということへの寂しさを感じるからです。大学生の多くの方が、大学4年間をかけて追求した、慣れ親しんだ学問への愛着を持っているはずです。私もそうです。また、私は、独学で学んだ言語、自主的に読んでまとめた教養分野に対する強い愛着を持っています。社会に出たら、仕事に忙殺されて、大学4年間で親しんできた勉強のことなんて、すっかり忘れることでしょう。それが辛くてたまりません。もちろん、専攻してきた分野の職業に就けば良い、とも思いましたが、「Fラン大学の学生」には、それは難しいことです。

このように、大学を「卒業」することには、高校までの「卒業」とは全く違う意味があると思われます。



4 大学院進学の非現実性

ここまで読んでくださった方であれば、『ならば、大学院に進学すればいいじゃないか』とお思いになるかもしれません。しかし、それも、「私」には難しいことであるのです。その理由を挙げてみます。

①費用が高すぎること。これまで学費を親に負担してもらっていましたが、これ以上の学費の負担をお願いすることには、さすがに罪悪感を感じます。だからといって、自分で稼いで支払うということも難しいです。社会で少し働いてお金を貯めてから・・・とも思いましたが、そもそも正社員で働ける口が見つからないので、修士課程2年分の学費を貯めるのに、何十年とかかると思われます。また、奨学金を借りることも考えましたが、将来返せる見込みがないことを考えると、怖くて手を出すことができません。


②付属の大学院に指導をお願いできる教員がいないため、内部進学ができないこと。本来であれば(学外に公表している書面上は)、私が専攻したい分野の指導ができる教員がいて、その教員による研究指導の内容も(シラバス上)は、私が専攻したい内容にぴったり合っていました。このことを踏まえて、私は、昨年、大学4年生の年に、内部進学はしないにしても、その先生に、先生の大学院の授業を聴講させていただくことを勧められたので、そのことをお願いしていました。しかし、先日、内部進学を確定的に希望している学生が、その先生の大学院の授業を聴講したいと願い出たことをきっかけに、シラバスの内容はそのままに、実際の授業の内容を変えてしまうことになりました。それは、その学生のレベル・専攻に合わせたものでした。私は、その変更後の内容では、自分の専攻したいことが勉強できないこととなってしまいました。そこで、その教員になんとかシラバス通りの授業・指導をしてもらえないか掛け合ったところ、当該学生に合わせた内容にせざるを得ないこと(当該学生のレベルを考慮すると・・・)、大学院では私が望む専攻内容の勉強はできないということ、ゆえに、大学院での授業を聴講したいならば、その変更を承諾せざるを得ない、さもなければ、受講は不可能ということを伝えられてしまいました。付属の大学院に、他に私の専攻内容と合う(もしくは被る)教員はいないので、聴講すらできない状態なのだから、内部進学を諦めざるを得なくなってしまいました(正直、教員が、自身が決めて書いたシラバス通りの授業をやらないで、シラバス通りの授業の実施を要求する学生を締め出すとは、変な話ですね・・・。というか、その学生と教員との関係性を疑ってしまいました)。


③高い学費を払ってまで、他大学の大学院に進学することは難しいということ。国立大学の大学院ならまだしも、私立大学の大学院の学費は非常に高いです。ちなみに、私の通っているFラン大学の付属の大学院の学費は、設備や環境が悪いためか、他の私立大学院よりも比較的安くなっており、まだ希望がありましたが・・・。したがって、学費面から他の私立大学の大学院は不可、指導教員がいないから内部進学も不可、ということになります。また、国立大学の大学院という道もありますが、私が専攻したい研究科の定員は少なく、例年倍率が非常に高くなっています。また、外部の大学からの入学者はほぼゼロです。ゆえに、受験して進学することも、非現実的です。

以上より、私は、行ける大学院もなければ、払えるお金もない、という状態にあるのです(やはりFラン大学に通っている以上は、学問の道は拓けない、ということを実感しました)。


④修士課程の、その先、がないこと。これも先述した、大学卒業の、その先、がないことと同様です。上手く修士課程を修了できた場合、その先には、博士課程への進学か、就職かしかありません。就活の際には、恐らく、私のような学部がFラン卒の人間は、たとえ有名私立大学の大学院の修士課程を修了したところで、『所詮、学歴ロンダリングじゃん』と言われ、(学部)学歴フィルターにより弾かれることでしょう。また、大学教員のポストも減ってきており、高学歴ワーキングプアが問題となっている現状を踏まえれば、私が大学教員になることは非常に非常に(あえて2回書きました)難しいことでしょう。ゆえに、博士課程へ進学することは、私にとっては人生破綻の道、とも言えるかもしれません。それならば、修士課程へも進まず、ここ、学部で学問探究を打切りにする方が吉かもしれません(恐らく、修士終了後は、今よりも強く、「もっと研究したい」だとか「学問への愛着が強い」という状態になると予想されます)。



5 まだ「大学生」でいたいけれども

大学院進学を諦めるならば、残りの1年間を、これまで以上に充実させたいものです。そこで、卒論執筆に一生懸命取り組むことで、少しでも研究の楽しさやつらさを味わいたいと思います。

そう、残り1年間を全て卒論・研究にかけて・・・と、思っていました。しかし、院進しないからこそ、研究・勉強を打切りにするからこそ、就活をしなければなりません。というか、せざるを得ません。心優しい方は、『まずは急がなくても、新卒で無理矢理就職せずに、少しアルバイトして進路を考えてから、就活をすればいいじゃない』と声を掛けてくださるかもしれません。私も、派遣・契約社員となって、細々と研究を続ける未来を想像しました。しかし、大学の就職相談窓口の方に、就職浪人をすることや新卒で派遣・契約社員になることを相談したところ、『それじゃあ、どこも転職できないよ。ファーストキャリアが正社員じゃなければ、どの会社も「この子、就活どうしちゃったんだ?」って思うよ。』と言われてしまいました。私も同様に感じます。日本は終身雇用は崩れ始めてはいますが、新卒一括採用は依然として行われていますし、コロナ禍であれ、ほとんどの学生が正社員として就職するという事実は、変わりません。その中で、多くの人が歩むルートから外れてしまった人に対しては、厳しい視線が向けられても仕方ないと思います。

コロナの影響で派遣や契約社員は雇い止めになっている(もちろん、正社員が安泰、というわけでもない)現状を鑑みれば、就活に焦りが出てきます。しかし、研究(卒論)と、就活とでは、ベクトルの向きが真逆であると感じているがために、いまいち就活に本腰を入れることができません。研究は、学問であり、物事の本質を捉えて、それを繋げたり、形を変えて当てはめたり、いくつか複数のものを集めて類型化したりし、それを論文という、ある種の作品にまとめ上げる作業であると感じています。それに対して就活は、学問ではなく、まずは会社や業界を調べた上で、自分が会社にどれほど貢献できるかどうかを見つけ、相手に伝え、相手から採用・不採用という形で評価をもらう、現実的な作業であると感じています。両者は多少似通っていると感じるものの、やはり前者は、「自分」を通して内的に見つめるものであるのに対し、後者は、「他人」を通して外的に評価されるものであるという違いがあると思います。(以上は、あくまで個人的な意見です)

ただでさえ、地域屈指の進学校からFラン大学に進学して、世間的に「恥ずかしい」のに、就職浪人までしたら・・・と思うと、気持ちがどんよりと沈んでしまいます。大学院進学という脇道がないからこそ、余計に自分の、自分に対するプレッシャーが大きく、就活という「臭い物」に蓋をしたがるのかもしれません。しかも、研究をしつつ就活もするという二刀流が上手くいくのであれば問題がないわけですが、それができないからこそ、もどかしさを感じるのです。

また、私自身、ビジネスというものに全く興味がありません。小さい頃から、ビジネスのビの字にも触れたことがなければ、「働く」ということについて、労働者の立場から真剣に考えたこともなく、いつも客観的に物事を傍観し、分析しているだけでした。これではダメだと思いつつも、まだ就職までn年あるからいったん忘れよう、と思ってしまったことが間違いだったと思います。さらに、アルバイトという社会経験を積まずに、いきなり就職しようとするからこそ、就活が上手くいかないのかもしれません。

こんな人間が、世間体を気にしまくるために、大学生をしつつ、就活生もしているというお話でした。研究を名目にして、ただ働きたくないだけだろうというご意見は、ご遠慮申し上げます。



6 「人と違う」ということ

大学院に進学したいけれども躊躇する、ビジネスに興味ないけれども就活する・・・これらは、ある種、日本人学生の「既定路線」のようなものにとらわれているからこその悩みなのだと思います。

私自身、そんなものにとらわれずに、生きればいいだろうと思っています。しかし、人はいつかは社会に出ざるを得ませんし、また、社会に出る以上は、社会全体がもつ「価値観」に当てはまるような人間へと、自分を変形させなければなりません。だからこそ、「新卒で正社員」という、社会全体の不動の価値観に、まずは合わせる必要があろうかと思います(本当に苦しいことですが・・・)。


小さい頃、私は、「人と違う」ということがアイデンティティでした。みんなと違う発想、みんなと違う趣味趣向、みんなと違う価値観・・・小学生、中学生のときは、周りが『そんな考えもあるんだね。』と、それを受け入れてくれたり、それを興味深く聴いてくれたりしていました。しかし、高校生になってからは、周りは人と違う私を受け入れてくれるということはなく、私は『それ、おかしいよ』と言われるばかりで、生徒の共同体から省かれてしまいました。そして、大学に入っても、同級生の学生とは馬が合わず、否定され続けるのも嫌だからと、ひとりぼっちになりました。この頃から、「人と違う」ということが、ハンディキャップであると感じるようになりました。就活の場面でも、企業からあからさまに差別をされたり、不利益な扱いを受けることが多くなってきました。

ちなみに、大学の先生方は、自明のことではありますが、非常に優秀なので、こんな私にも話を合わせてくださいます。同級生と話をするよりも、色んな先生とお話する方が楽しいと感じた大学生活でした。

今私は、一般的な大学生とは違う場所に立っていると思います。「人と違う」ということを大事にし続けたがゆえの現実であるとは分かっていながらも、こうも「人と違う」ということが人生に不利に働き、社会での居場所がなくなる原因となるとは思いもしませんでした。



7 おわりに

「大学生」と「就活生」のはざまで、この社会は生きづらいということ、子供時代は貴重であり、二度とは戻ってこないということを実感するのでありました。そして、就職のその先に続く、永遠のように見えて有限である人生に、何を見いだすことができるのかを深く考えさせられるのでありました。

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