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【コラム】ポケカ記事の歴史[ポケカアドベントカレンダー 25日目]

この度、いちょーさんの「ポケカアドベントカレンダー(以降、ポケカAC
)」という企画の一環で記事を一本執筆させていただくことになりました。
なにものかと申します。

この企画には僕を含めて25人のポケモンカードファンが参加していて、既に皆様記事を公開されています。
今この時代、ポケモンカードのことを書きたいという人がこんなにも沢山いるという事実に、僕は軽く感動しています。
ポケモンカードの歴史はオンラインメディアの歴史と共にあり、今でこそ世に満ちているポケカ記事もその黎明期においては今よりもずっと数が少なく、人々は情報に飢えていたのです。
今回は、そんなポケカ記事の歴史のお話をしようと思います。

ポケカアドベントカレンダーとは

クリスマスまでの日数を数えるために使う「アドベントカレンダー」の形式で、ポケモンカードに関する記事を1日に1件ずつ投稿していくオムニバス形式の企画です。
詳しくは、主催のいちょーさんの記事をお読みください。

自己紹介

改めまして、なにものかと申します。
ポケモンカードが発売された1996年からポケモンカードに親しんでおり、インターネット上では2000年から「なにものか」として情報収集・発信に取り組んでいます。
その傍ら、自宅には国会図書館より充実したポケモンカード関連書籍コレクションを構築しています。
僭越ながら、誰よりも長くポケカ記事を読み書きし続けてきたという自負があります。
ちなみに、単にずっと遊んでいるだけで強くもないし偉くもないです。
みんななかよくしてねー。

本稿の概要

本稿では、ポケカ記事というコンテンツを掲載する上で主流となったメディアをカテゴリ別で時系列に沿ってピックアップし、時期毎の大まかな傾向や特徴について述べていきます。
ここでの「ポケカ記事」の定義は「ポケモンカードに関する事実に基づいて記された文章」とします。
また、公式情報として発信されたもの、データとしての意味合いが強いもの、特にTwitter等のSNSに投稿された比較的短文のものは軽く触れるに留めます。

ポケカ記事の歴史

書籍(1990年代後半)

まずはアナログメディアの話からしましょう。
ポケモンカードが発売された1996年当時、日本におけるインターネットの世帯普及率は僅か3.3%という数字でした。
(参考:図録▽パソコンとインターネットの普及率の推移
そんな時代なので、かつてのメディアの主流はやはり紙
第一次ポケモンカードブームが盛り上がりを見せる中、関連書籍が次々と出版されます。

ちなみに、当時ポケモンカードを発売していた株式会社メディアファクトリーは、株式会社リクルートの出版事業部門が分離・独立の後社名変更を経て成立した会社です。
(参考:株式会社メディアファクトリーの株式譲渡に関するお知らせ
しかし、このポケモンカード書籍ブームにおいては、メディアファクトリーよりもむしろその他の出版社が存在感を放っていました。
その多くは、ビデオゲームの攻略本を多数出版している会社でした。
かの有名な『ポケットモンスターを遊びつくす本』を発行した株式会社キルタイムコミュニケーションから『ポケットモンスターカードゲームのいちばんわかりやすい本』が。
強いポケモンの育て方』の株式会社ティーツー出版から『ポケモンカード必勝大作戦』が。
こういったポケモンカード攻略本とも言うべき書籍が1997年に集中して出版されました。

これらの専門書群ですが、内容としては基本的な遊び方やルールに関するQ&A等のノウハウ等の初心者向けの内容をはじめ、上級者向けにはデッキ作りの考え方やデッキリスト等、現在では公式メディアがカバーしているようなカテゴリの情報が多かったです。
補足資料として、カードリストも定番でした。

ポケモンカード公式ホームページ(公式サイト)が開設されたのは1997年3月ですが、この時代の公式サイトには先述のようなユーザー向けの情報は少なく、更新ペースも緩慢で、そもそものインターネットの普及率の問題もあったため、こういった書籍への需要はかなり高かったものと思われます。

ライターを担った人物達の中には、やがてTCG業界の重要人物となった人々の名前もあります。
後にブシロード製カードゲーム等の開発で知られる「有限会社遊宝洞」の代表取締役となった廣木克哉さん。
『金色のガッシュベル!! THE CARD BATTLE』の開発等で知られる中村誠さん。
情報発信のハードルが高かったポケモンカード黎明期のポケカ記事は、彼らのような熱意と才能のある人物によって生み出されていたのです。

1997年に出版されたポケモンカード専門書

ちなみに、こういった商業誌の他に同人誌(ミニコミ誌)という手段もあるはずですが、ポケモンカードに関してそういうものがあったかどうかについては、残念ながら殆ど把握できていません。
辛うじて知っているのは2013年以降サークル「レインボージャム」より発行された「旧裏面クロニクル」のみです。
(参考:夏コミ!ニコ生!ポケセン15周年記念!

個人サイト(1990年代後半)

1995年末にWindows95が発売され、それまで学校や企業等が主な利用者層だったインターネット上に一般の人々が初心者として流入し始めたのが1996年夏頃からと言われています。
(参考:教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 - 本
その中にどのくらいポケカ記事相当のものがあったかは、今となっては定かではありません。

当時のポケモンカードに関する言及は、1996年頃からの個人ウェブサイトブームの先駆けとして多く見られた個人のライフログのようなものの中に見られました。
その例として、関西を中心にで活動されていた「ほったさん」ご一家のお父様によって1998年から2006年までの出来事が記録されている『ポケカな親子の日常生活』は、現存する個人サイトとして貴重な資料です。

また、ポケモンに特化したファンサイトも、特に1997年4月のアニメ『ポケットモンスター』放送後から目立って増えてゆきました。
ポケモンファンの歴史を研究されているかけるさんの『翔のページ』では当時のポケモンファンサイトの様子を知ることができます。

第一次ポケモンカードブームがピークを迎えた1998年頃には、ポケモンカードにスポットライトを当てたファンサイトもちらほら現れていました。
ポケモンカードのイベントスタッフとしても活動されていた吉田亨さんの『民営ヨシダジム』辺りはYahoo!カテゴリにも登録されていた有名サイトで、ポケモンカードに関する言及が多かったと記憶しています。

これらの個人サイトでは、所謂ウェブ日記の一環として新商品の購入記録やイベントの参加記録等が投稿されていました。
初心者向けの基本的な遊びかたを始めとした、書籍で見られたような内容のテキストコンテンツを揃えているサイトもありました。

一方、こういったポケカ記事に相当する情報は1990年代後半の時点では現在と比較するとかなり少なかったということを強調しておきたいです。
そもそもポケモンカードのメインターゲットは飽くまでも子供達であり、現在のチャンピオンズリーグに相当する公式大会への参加権が与えられるのもこの当時は中学生まででした。
情報の発信についても、逐一htmlファイルを編集してFTPでアップロードするというそこそこのITリテラシーが必要でした。
このように、ポケモンカードのメインユーザーとインターネットのメインユーザーの間に年齢層の乖離があったのです。
当時はまだまだ従量課金制の通信方式が主流だったというのもネックでした。
(参考:令和の若者は知らない「インターネット回線高速化の歴史」
余談ですが、僕が中学生だった頃、おばあちゃんの家にパソコンが置いてあって、そこから繋がっているインターネット回線が従量課金制であることを知らずにポケモンカード関連のサイトを漁りまくって通信料がどえらいことになってめちゃくちゃ怒られたことがあります。

個人サイト(2000年代前半)

2000年代に入ると、ポケモンカードと個人サイトを取り巻く状況に少し変化が見られます。
2001年はブロードバンド元年とも言われる年で、定額制の通信方式が定着してインターネットの普及率が大きく向上しました。
また、2001年からは待望のマスターリーグが開設され、高校生以上のプレイヤーも公式トーナメントへの門戸が開放されました。
こういった要因もあり、ITリテラシーの壁を自力で乗り越えられる青年層による情報の発信が始まったのです。

所謂「攻略記事」のようなものが目立ち始めたのはこの時期からで、戦略・戦術という視点での情報が大きく充実しました。
当時は「ポケカ記事」という表現は一般的ではなく、「コラム」や「考察」といったキーワードで示されていました。
これまでの個人サイトでも見られたイベントレポートやデッキ解説などのありふれた記事も、トーナメント志向の色が強まりました。
新しい拡張パックに登場したカードの使い方の可能性を探る「新弾レビュー」のような記事も人気でした。
また、お世辞にも子供向けとは言えなかった「マジック:ザ・ギャザリング」の知識を持つプレイヤーもちらほら現れ、そちらからのノウハウの流入も進みました。

サークル「マウントフジジム」等で活動していたblackさんによる『FLAT ZONE』は、そういった当時のポケモンカード攻略サイトの特異点のような存在です。
例として挙げられているカードが古いことを除けば、今もなお実用に堪え得る内容で、この時代にこの完成度の記事が書かれていたことに驚きを禁じ得ません。
blackさんの記事でも言及されていますが、この時期は「メタゲーム」や「シナジー」といったMtG由来の概念はポケモンカードコミュニティにとっては比較的新しく、そこかしこの記事で「メタゲームとは何か」「シナジーとは何か」という解説がなされていました。

ところで、この時代のポケモンカード個人サイトが、時を同じくして流行していたインターネット上の文化から受けていた影響にも軽く触れておきたいところです。
1999年に開設されたかの有名な『2ちゃんねる』を中心に流行していた「ネットスラング」と呼ばれる独特の言い回しや「アスキーアート」即ち絵文字、2001年に開設されたテキストサイト『侍魂』で有名になった「フォント弄り」と呼ばれるhtmlタグを利用してテキストに視覚的なインパクトを付加する手法などが、当時広く流行していたのです。

サークル「九州漢連盟」所属のぷくびぃ~さんが運営していた『ともだちのわHYPER』は、先述の当時のインターネット文化の影響を強く受けたポケカ記事が残っている個人サイトの一つです。
当時のポケモンカード個人サイトではこういった筆致・デザインの記事が散見されました。
また、イベントレポートの内容についても、トーナメントそのものだけではなくその前後も含めた交流の様子が掘り下げられ、面白おかしく描写されていたというのもこの時代の特徴です。
この時代のイベントレポートのボリュームの大きさの背景としては、現在のようにモバイルネットワークが発達していなかったので、夜にまとめて記事を書くというスタイルが一般的だったこと、今と比べるとイベントの数が少なかったため一件のイベントレポートに時間をかけることができたこと等が考えられます。

やや余談ですが、テキストサイト界隈においては、2004年から毎年夏に『NIKKI SONIC』というオンラインイベントが開催されていました。
予め決められたスケジュールに沿って1時間おきに様々なライターのテキストが公開され、一斉にそれを読んで楽しむというイベントです。
かの有名な音楽イベント『SUMMER SONIC』に着想を得ていることが推察されます。
ポケカACのポケカ抜き短時間バージョンという捉え方もできます。
面白いことはみんなやってみたくなるものなんですね。
(参考:テキストサイトの歴史

ブログ(2000年代前半)

個人サイトが盛り上がりを見せる2000年前半、次のブーム「ブログ」がやってきます。
ブラウザでログインしてテキストを入力して投稿ボタンをクリックするだけ、というITリテラシーから解き放たれた手軽さによってポケカ記事の書き手が急激に増加しました。

これ以降10年程、ポケモンカードコミュニティにおけるブログサービスは「Diarynote」がほぼ一強と言ってよい普及率を誇りました。
「リンク」や「ひみつ日記」というDiarynoteの機能を活用し、ポケカ記事を介したコミュニケーションの輪が広がっていったのです。
Diarynoteについて詳しくは、過去に「【コラム】ポケモンカードにとってのDiarynoteとは一体何だったのか」という記事にまとめていますので、是非ご一読ください。

記事の内容としては、個人サイト時代から引き続いて日記や攻略記事が中心となりましたが、とにかく書き手が増加したことによってバリエーションが出てきたというのが一つのポイントかと思います。

特に、2000年代後半から親子で活動するプレイヤーの記録が増加し、親子プレイヤーという特定のプレイヤー層をターゲットにする記事が現れたのは興味深い動きでした。
その点で、個人的にはしんいちパパさんの『しんいちパパの徒然日記』やmaskippaさんの『maskippaの日記』が粒揃いで好きでした。

また、日本代表が初めて招待されたWCS2004以降、海外からの情報も増加しました。
サークル「SIP」で活動していたうきにんさんの『あまごい』は機械翻訳が未発達だった時期から人力での翻訳記事が多数投稿されており、その方面では白眉とも言える存在です。

メディアサイト(2010年代後半)

第二次ポケモンカードブームが起こった2018年前後、これまで主流であった個人の記録ではなく情報源としての価値打ち出すことを強く意識したメディアサイトがいくつか登場します。

この第二次ポケモンカードブームは2018年7月の「GXスタートデッキ」から始まったとする見方が世間では定着しており、僕もそのように認識しています。
しかし、第二次ポケモンカードブームの胎動とでも呼ぶべき動きが2010年代後半から見られたことを見過ごす訳にはいかないでしょう。

ポケモンカードは2016年に20周年を迎え、『ポケットモンスターカードゲーム 拡張パック 20th Anniversary』等のリバイバル商品等、20周年記念キャンペーンが打ち出されました。
(参考:ポケモンカードゲーム20周年特別サイト
これを受け、今や大人になってしまったかつてのポケモンカード少年・少女達が続々と最前線に復帰し始め、じわじわとポケモンカードのプレイヤー人口が増加の兆しを見せ始めます。
そうしてパーソナルメディアとしてのブログやSNSが賑わいを見せる傍らで、いくつかのメディアサイトが登場します。

ポケカメモ」は、ポケモンサークル「ポケモンだいすきクラブ早稲田支部」のOBとしても知られるししゃもさんによって2016年に開設された、この時期のポケモンカードメディアサイトの先駆けとなる存在です。
デッキレシピの解説や環境考察等これまでにも見られたようなカテゴリの記事も総じてクオリティが高く、長いキャリアで培われた豊富なコネクションを活かした有名選手へのインタビュー等の新たな取り組みも見られました。

こういったメディアサイトの流行は、2018年の第二次ポケカブームを皮切りに益々勢い付いてゆきます。
最早過疎ゲームではなくなったポケモンカードの世界に、キュレーションサイト即ち「まとめサイト」が突如現れ乱立する事態となりました。

ポケカ速報まとめブログ」は、2018年8に月開設され、ブームの波に乗って登場したまとめサイトの中では最も動きが早く、かつ長期に渡って運営されている例です。
こういった個人の色をほぼ完全に消しているタイプのメディアは、ポケモンカード全体の歴史からするとかなり目新しい存在です。

(12/26追記)

次いで2019年、トレーディングカード企業によるポケモンカードプレイヤーを対象としたプロプレイヤー制度が動き始めました。
既に世間一般ではeスポーツが盛り上がりを見せており、カードゲームでもMtG等の他のタイトルでは既に一般化していましたが、これがようやくポケモンカードのところまで降りてきたというか、ポケモンカードがそこまで上り詰めたというか、とにかくそんな感じのことになったのです。
これに伴い、プロプレイヤーによるポケカ記事が世に送り出されるようになります。

「CardrushPros」は2019年に、ポケモンカードプレイヤーに対するプロプレイヤー認定制度と、自社メディアである「カードラッシュメディア」へプロプレイヤーの記事掲載する活動を開始しました。
今回のポケカACにも参加されているあむさんもそちらの所属で、まさその経緯についての記事を書かれていますので是非お読みいただければと。
(参考:ポケカで生きてきたし、多分これからも生きていく。【ポケカAdvent Calendar 18日目】

また、「たいあたりジム」はポケカ界のオモコロとでも呼ぶべき、娯楽性の強い特異なメディアサイトとして是非紹介しておきたいところ。
たいあたりジムにあるようなサブカルチャー的なテイストの記事が受け入れられるような土壌が出来上がったのは、メインカルチャーとしてのトーナメントシーンの盛り上がりが一定の度合いに到達して裾野が広がったからでもあると僕は考えています。

個人メディア(2010年代後半)

第二次ポケモンカードブーム以降の個人メディアは「マイクロブログ」と呼ばれるTwitterが主流となっておりあり、ブログや個人サイトを通じた個人のポケカ記事投稿は実は一時期少し落ち着いてきていました。
そんな中でポケカ記事の流通量が再び増加するきっかけとなったのが、本稿の投稿先でもある「note」の存在です。

noteは、公式アカウントの記事においては「文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォーム」と紹介されており、実はテキスト以外の投稿にも対応しています。
(参考:noteの特徴、使い方、機能紹介
ポケモンカードファンの間では専らテキストの投稿に使われており、役割としては旧来のブログに近い存在です。
本稿では単に「個人メディア」とします。

ポケモンカードコミュニティの間でnoteが広まる大きな契機となったのが、2018年にチーム桃屋のでんでんさんによって投稿された「徹底解説!レックウザクワガノンデッキ!(有料)」という、記事の後半部分の閲読に料金が設定された、いわゆる有料ポケカ記事です。
(※これの前に「ポケカをする安倍総理bot」というなりすましパロディアカウントからデッキレシピ付き有料記事が投稿されるということがありましたが、目に見える影響はなかったと認識しているのでここでは無視します。)
ゲーム攻略ノウハウを記した有料記事は他のゲームのコミュニティではある程度一般化していましたが、これがポケモンカードの世界に持ち込まれたことである種の化学反応が発生し、それなりの賛否両論が巻き起こりました。
情報の有料化によって競争が生まれよりよい情報が流通してポケモンカード全体が発展するとか、情報の有料化によって情報格差が生まれポケモンカード全体が衰退するとか、ポケモンカードのノウハウは個人の努力の結果なので対価を得るのは正当であるとか、ポケモンカードというタイトルを利用して利益を得るのは不当であるとか、なんやかんや言われました。
インターネット論争にはありがちなことですが、結局それによって世論がどちらかに傾くということはなく、ただ有料ポケカ記事だけがそこに残りました。
雨降って地固まったのか、これ以降有料記事は増えていき、ついでに無料の記事も増えていき、あらゆるポケカ記事をとりあえずnoteに投稿する文化が形成されました。

自分の体感では、2000年代前半のブログブーム以来のポケカ記事の増加の波を感じました。
noteは元来クリエイターの支援を主眼に置いて開発されたサービスのようですが、ポケモンカードファンの巣窟になるとはよもや開発担当の方も想像されていなかったことでしょう。
大note時代の始まりです。

noteのポケカ記事では、当初こそデッキレシピや環境考察等の有料攻略記事が目立ったものの、従来のブログや個人サイト同様のイベントレポートなどの日常の記録の手軽な投稿先としても活用されました。
ブログ時代に一世を風靡したDiarynoteが2022年3月に新規投稿の受付を終了して以降は、そちらで発生した難民の受け入れ先ともなりました。

ところで、古くからのイベントオーガナイザーであるCHANGさんのnoteでは「【相談】もしよかったらのお話【12月】」として、自らが運営するイベントへの金銭的支援が呼び掛けられています。
恐らくこういうのが本来想定されていたnoteの使われ方に近いのではないかなと思います。

2020年頃からは、ポケモンカードの二次流通価格がこれまでのペースから考えると異常な高騰を見せ始め、ポケモンカードの売買によって金銭的利益を得ようとする「ポケカ投資家」が登場し、「ポケカ高騰予想」というカテゴリの記事が流行するようにもなりました。
ポケモンカードの市場流通価格を予想して、売買の差額によって利益を得ようというものです。
これもまた激しく賛否両論を巻き起こしましたが、やはりこれもまた何かが起こることもなく、ただポケカ高騰予想記事だけが残りました。

現状ポケカ記事におけるトピックのTier1は「攻略」「記録」、ついでTier2が「投資」と言ったところでしょうか。
もちろんTier3以降、「その他」は山ほどあります。
入門用商品の紹介や、イベント参加時の注意事項等の、ベテランプレイヤーから初心者向けアドバイス
2015年のイベントオーガナイザー制度以降に活発になった、イベントオーガナイザーにとるイベント運営のノウハウ共有
2017年の公認ジャッジ制度以降議論されるようになった、複雑なルールや裁定の共有
等々。

まとめ

とまあこんな具合で、かつては細々と存在していたポケカ記事も今や多種多様のものが世の中に溢れ返っているのです。
玉石混交、大いに結構。

ポケモンカードのユーザー規模については今後益々拡大していく可能性があり、そうであれば今後のトレンドに沿って益々多様なポケカ記事が世に出てくることでしょう。
一方、対戦や収集を中心として楽しむようにデザインされているポケモンカードの普遍的な性質が変わらない以上、ポケカ記事の基本的なトピック自体はこれからも大きくは変わらないのではないかなと思っています。
そして、ポケカ記事というコンテンツの媒体即ちメディアに関しては時代の流れで新たなものが次々と現れており、noteと有料記事のように今後のメディアの特性によってはまた新たな展開が生まれる可能性もあります。
いずれもひたすら楽しみです。

そして、ここで改めてポケカACのご紹介をさせていただきます。
これはもう、20年程前の僕にとっては想像もつかなかった光景です。
ポケカACの企画によって生まれた珠玉の25件の記事、クリスマスツリーのオーナメントのように実に多様性に富んでいます。
ここまで僕の記事をお読みいただいた方なら、このひとつひとつがクリスマスツリーのオーナメントのように一層輝いて見えてくるはずです。
今一度、クリスマスツリーのオーナメントを手に取って眺めるようにじっくりお読みいただいてみてはいかがでしょうか。
クリスマスツリーのオーナメントのように(執拗)。

ポケカ記事の益々の充実とポケカACの継続を祈って、ここらで筆を置くこととさせていただきます。
お疲れ様でスター(流行挨拶)。

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