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当時24歳で入った会社がブラック企業だった話①

いきなりセンセーショナルな見出しですみません。もう15年も前になりますが、当時2年間過ごした会社でのことを書き記したいと思います。まずはサラッと職歴から…笑

新卒最初の職場は市の臨時職員

市立図書館への配属でした。22歳になったばかりの私は、児童書コーナー担当で、お話会の運営や図書館だよりの作成など、充実した2年間を過ごしました。臨時職員でありながらボーナスも出て、職員旅行にも破格の参加費で参加したりと、すごく楽しくて良い時代だったなぁと今でも懐かしく思います。当時お世話になった上司とは、今でも交流があり、年賀状で近況報告などする仲です。

職業訓練へ

2年の期間を終えたあと、次は県の臨時職員へ…と流れていく人が多い中、次は一般企業で働きたかった私は、職業訓練校に3,4か月ほど在籍しました。
その中でオフィスソフトの資格を取得し、いよいよ転職に向けて活動を始めます。

転職活動、そして決まった会社


最初は正社員で探していました。しかしなかなか見つからず…そんな時、職業訓練でお世話になっていた会社からとある企業のお仕事を紹介されました。職業訓練をしてくれていた会社は、IT業界でも老舗であり、系列会社も多数あります。いわば内部での引き合わせみたいなもので、とある系列会社の営業アシスタントとして採用が決まりました。ただ、派遣社員という制約はありましたが、未経験で採用して頂けるのはありがたい、とはりきっていたことを覚えています。

いざ就業。しかし…

事業所内は、ほとんど年上の男性が多く(SEさんなど技術職や営業さん等)、女性は私を含めて4名だけでした。ありがたいことに皆さんに可愛がって頂けて順調な滑り出しと思えたのですが、アシスタントとしてついた営業さん(仮にHさんとします)との出会いで激変します。

Hさんは近隣エリアでも大口案件をバンバン捕まえてくる人で、上の覚えはめでたい人でしたが、性格に難ありでした。

・自分の気に入らないことがあると怒鳴る・キレる・暴言を吐く。

・自分の要求が通らなければ、仕入れ先の女性社員さんが電話口で号泣するくらいに詰める。

・アシスタントである私への暴言&職場内で自分の思い通りにならない人への暴言。

これらを2年間浴び続けました。これ、私個人への攻撃であればもっと早くに対策を考えたかもしれませんが、全方向に向けての攻撃であったこと、上司ですらHさんの暴走を抑え込むことが出来ず、黙殺されていたことが悪い方向へと作用したと思っています。

そして当時、私はずっとこんな風に考えていました。

出来ない私が悪いんだ。もっと頑張らないといけない。この会社で頑張れない人間が、どこの会社に行ったって通用するわけがない。

怖い位にそう思い込んでいました。

上記のパワハラに加えて、毎月の超過残業。本当に少ない月で30時間、酷い時は100時間なんてザラに超えていました。0時回っても仕事して、家帰って朝は5時に起きて早めに職場に行くこともままありました。お昼ご飯を食べる時間もなくて、20時過ぎにようやくお昼を食べることもしばしば。休日出勤もあります。残業し過ぎて、タイムカードを切らずに働いて欲しいとまで言われ、さすがにそれは出来ないので(する義理もない)守り抜きたかったですが、何度かタイムカードを切ったあとにも残って働いていたことがありました。

休みの日もヘトヘトで何も出来なくて、土曜日は平日の疲れを癒す為に家で過ごす、日曜日は今週の為に力を蓄える為に家で過ごす、という感じでした。その間で、やらなきゃいけないことを携帯電話のメールに打ち込み、月曜の始業開始前に自分に届くように設定したりと、異常以外のなにものでもないですね…

異常な環境だと気付けなかったのは、IT業界全体の闇みたいなところもあるし、私自身、疲れ切って思考が停止していたせいだと思いました。

とうとう折れる

そして働き始めて2年が来ようかという春先に、自分の様子がおかしいことに気付きました。

電話を取ると、動悸が激しい。声と手が震える。理由も分からず涙が止まらない。

さすがに自分の様子がおかしいと思い、その日は18時過ぎに帰宅しました。毎日深夜帰宅する娘が、異様に早く帰ったことに母が驚いていたことを覚えています。

なにかあったの?と聞かれた時に、どう答えていいのか分からなくて、「気持ちが……」(辛いって言いたかったけど言えなかった)と言った後、号泣してしまいました。

自分のために心療内科へ

当時、まだ2009年くらい。今よりももっとメンタル疾患や鬱に対してネガティブなイメージが多かった頃だと思いますが、自分のおかしい状況を解明すべく、翌日心療内科を受診します。

細かいことは省きますが、診察で泣いてしまったことは覚えています。

先生の下した判断としては、「うつ一歩手前の状況」ということでした。このまま働き続けたら、本当にうつになるよ、と言われました。必要なら診断書は書くから、とにかく今は休むように…とも言われました。

が、何を思ったのか「まだやらなきゃいけない仕事が沢山残っていて」と言いました。完璧に判断力なくしています。そんな私に、先生が言った言葉は今も覚えています。

寒い所にいて風邪をひきました。で、そのまま寒いところにいて風邪は治りますか?そういうことですよ。

その言葉をもってしても、どうしても会社を辞める決断に至れない私でした。


(続く)