報告開始します。日本一時帰国の土産話。
三週間の日本一時帰国を終えて、アメリカに戻ってきたのが、先週の金曜の夜。もち帰った諸事雑事、後処理作業をしながら、頭の中はずーっと(何から書こう….)。
そんな中、イシダテックのこやまさんがもう私の訪問を記事にしてしまった。
イシダテック訪問の一日は当然ひとつの記事にするのだけれど、まずは全体報告から。
今回の旅。一言でいえば。
最初から最後まで、こんなに楽しい旅行したの生まれて初めて!
面倒みなきゃいけない奴らはいないし、状況を説明したり通訳してあげなきゃいけない奴らもいない。それは何だとか、何が入ってるんだとか、それは食べられないとかいう奴らもいない。
自分のペースで動き、自分の好きなものを好きな時に食べる。
そして。
何がそんなに楽しかったのかといえば、人との出会い。
トップクラスの大学教授、一流の編集者との知的な会話。
これまでの私の人生に欠けていたのはまさにコレだった。子育ての20年間、メールだけでやり取りしていた人たちと初めて面会。話が尽きないまま、あっという間に三時間、という連続。一日中話していられそうと、東大卒の若き研究者とは、乞われるままに日を変えて3回も会った。
美味しい食事をしながらの知的な会話。充実した時間。
研究者達から渡されたお土産は、当然ながら彼らの著書。笑。
これから。子育てを無事終えた私は、世界中をただ観光旅行するのではなく、そういう会話を求めて日本各地を飛び回る。
今回は金沢。能登の七尾城まで車で案内してもらい、思わず唸るほど美味しいお鮨を食べた。
4年ぶりの日本。9年ぶりの東京だったから、どこへ行きたいとか何が食べたいとは言わず、会う相手にすべてを任せた結果、いろんな地域で価格いろいろな食事を楽しむことができた。
そもそも。アメリカから行けば、何食べても美味しいし。
日を変えて、Lawsonでもコーヒーと特製肉まんを。
両親と会ったのは4年ぶり。コロナ禍と酷暑の夏で外出がままならなかったから一気に老いたと母は言い、それを耳が遠くなり忘れがちになった88歳の父に見た。が、台風のように現れて、何かとケタケタと笑ってばかりだった私は、彼らに少なからずの刺激を与えた様子。
テキストや電話では通じなかった気持ちも伝わり、誤解もとけて、これからは毎年二回は帰ってくるからね、と。
そして。
私は、どこへ行っても暑かった!
省エネなのか、エアコンの効きが悪いのか。
30年前は探して乗った弱冷房車を、避けて乗車する有様。
「寒い?」と聞かれ、絶句して「暑くて死にそう」と答えた私。
「温かいお茶じゃなくて、氷入ったお水頂戴」と言った私。
太ったのは確かだけど、いくらなんでもオカシイ。
エネルギー満載なんだろうか、私って。
アメリカでは寒がりな私が、ようやく暑がりなムスメの気持ちがわかったよ。
ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。