アメリカのジョークがわかる人がいい。
アメリカのジョークなのか、英語のジョークなのか、とちょっと考えている。イギリスジョークってのも独特なので。
ムスコのアパートのトイレのドアに。
私はコレを見て、地団駄踏み膝を叩いて大笑いした。
ムスコは「いいだろう?」とニヤニヤ。
Force =フォース。
つまり。かのダースベーダーがトイレに座って踏ん張ってる図。
「踏ん張る」と「フォース」が掛けてある。
ところが。これを日本にいる友だちに送っても、まるで伝わらなかった。ハリウッド系の映画は見ないことを理由にあげてたけれど、それだけじゃないと思う。Star Wars はアメリカでは「一般常識のひとつ」と言っても大げさじゃない。
これはちょっと高度かもしれない。これを見てすぐに、どういう場面でフォースがどんな形で使われたかがわからないと笑えない。そして、家族に無理矢理スターウォーズを見せる、というトドメ。「無理矢理」と「フォース」を掛けている。
Star Wars ファンは、あれほど見事なシリーズはないと思っているから(私もそう思う)家族にもわかってもらいたい。絶対に自分と同じくらいにハマると信じて疑わない。友達には強制できないけれど、家族にはできる。そして、同時にそのバカバカしさに Star Wars ファン自身が笑う、というジョーク。
タイトルがまたいい。" Top 4 Force Powers" だからね。
これを書きながら、また笑ってるし、私。🤣🤣
じゃあ、これは?
日本にいる別の友達に。ほら、あの銀座の座屋でごちそうしてくれた彼。私が書く英語メールとか、少し英語が読めるからわかるかなと思って送ったら、やっぱりわからない。
「自分らしく」
「ありのままで」
ペンギンが列を作ってよちよち歩いている。個性がまるでないように見える中で一匹だけサメになりたいと鮫ヒレの帽子を被っている。ペンギンが鮫になりたいと願うのは、あり得ないレベルの野望である。他人と違うことを恐れずに「自分らしく」。
個人主義のアメリカでそんなジョーク?そんなのジョークになるの?って日本人は不思議に思うのだということを、友達の反応から気づかされた。
なるんですよ、なるんです。
ちょっと考えたのだけど、アメリカ全体としては様々な人がいるけれど、「人種グループ」の中での個人の主張、「宗教グループ」「主義グループ」の中で個人を主張すること、と言ったらわかるだろうか。
次のは、ちょっと高度かも。アラバマ州で、冷凍された受精卵が破損された事件。受精卵は赤ん坊と同じ生命があるから殺人罪という話になった。アメリカ中のリベラルが血相変えて悲鳴をあげたのは言うまでもない。
BBC のインタビューをうけた専門家が「大丈夫、皆さん落ち着いて。これでいいわけがない。ちゃんとなんとかなるから慌てないでいい」となだめるように言っていたが、その後でこのジョークを見た時、わたしは「ほんとだよ、そういうことだよ」と判決の凄ましいまでの頓珍漢さを再確認して大笑いに笑った。
英語が読める読めないの問題じゃなくて、私がいつも書いている、その背後にある文化への理解があるかないか。言語と文化は一体だということ。
春休みに子供たちが入れ替わりで一週間ずつ帰省したとき、二人は見た目も中身も私に似ているんだけど、似ているところが違うから、私とムスコ、私とムスメのコンビネーションはうまく機能するのに、3人だと不調和になると気づいた。
不調和の部分の話はまた今度書くけれど、何に笑えるとか何に苛立つとか何が煩わしいとか、こうすると便利とか、そういう生活の小さなところどころが私と子供たちは一致している。この「一致している」ということは、ちょっと生活の潤滑油みたいな感じで作用する。ひとり暮らしも自由で楽しいけれど、たまにこうやって私のミニチュアみたいな子供たちが帰ってきて一緒に過ごすのもいいもんだなぁとつくづく思った。
もちろん。
ジョークのセンスも私達3人はぴったり合っている。
ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。