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ワタシの視線

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1994年にアメリカ上陸。アメリカに住む日本人としての私が感じたこと、思うこと。
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記事一覧

ホテルの洗濯機事件。

東京のあるビジネスホテルに連泊したときのこと。 そのホテルにはランドリー(洗濯機と乾燥機)が、私の泊まっている階の上下階に一台ずつあった。10泊したうち、二回少量の洗濯をした。洗濯機は30分で200円、乾燥機は30分で100円。もちろん続けて乾燥機を回せる。 一回目は問題なかった。洗濯機も乾燥機も空いていて、洗濯して携帯のタイマー設定して30分後にとりにいき、乾燥機に移してまた30分後に切れる前に取りに行った。 問題は2回目である。下階の洗濯機も乾燥機も使用中だったから

社内飲み会の世代間ギャップ。そして、SNSからの偏ったアプローチ。

この記事。書いてるうちにどんどん思考が広がっていって、最後はガザ紛争まで到達。散文のようになってしまいましたが。 もうそんなに目新しくない現象らしいけど、スゴイやりとりを見た。 私と同じ世代で、大手証券会社に勤めていた友人に聞いてみた。 わたしの返事。 週に4日しゃぶしゃぶにつきあわされたこともあった3年間とは。そういう経験をして、同じことを部下に仕返しみたいにしないところが、彼の良さ。そういうのを a bigger person っていうのである。そうやって悪い慣習

郵便局でのできごと。これもまた他人との会話。

数週間前に郵便局に行った時、なんか見覚えのある年配の男性が窓口で私の対応をした。 Do I know you? I remember you somewhere. と言わなくてもいいことを口にする。なにせ家の外に出るのが週に一度あるかないかの毎日を送っているので、会話に飢えている。 隣町の郵便局にいなかった? Nope. That's Jerry. I've been here for 30 years. 彼の兄弟とかじゃなくて? Nope Really?! Y

クラシック音楽にまつわるエピソード。

小さい頃、ピアノを習っていた。練習するのが嫌で、母の嫌味と脅しに耐えて練習していたから、ピアノをやめたときにはホッとした。それなのに、クラシックというと私の耳はピアノの音を探す。その透き通る音は耳から胸の奥へと染み動く。 大学時代の彼 O君はクラシックが好きで、よくチャイコフスキーを聴いていた。30年前にアメリカ上陸してマンハッタンで暮らした独身時代。リンカーンセンターにせっせと通い、NYフィルを聴きにいき Met オペラも鑑賞した。日本人が認識するような「一般教養文化的な

アメリカのジョークがわかる人がいい。

アメリカのジョークなのか、英語のジョークなのか、とちょっと考えている。イギリスジョークってのも独特なので。 ムスコのアパートのトイレのドアに。 私はコレを見て、地団駄踏み膝を叩いて大笑いした。 ムスコは「いいだろう?」とニヤニヤ。 Force =フォース。 つまり。かのダースベーダーがトイレに座って踏ん張ってる図。 「踏ん張る」と「フォース」が掛けてある。 ところが。これを日本にいる友だちに送っても、まるで伝わらなかった。ハリウッド系の映画は見ないことを理由にあげて

続・秘密主義の友達。五年後の会話

ある日曜の朝。 Farmer's Market で、私の名前を呼ぶ声がした。ムスメが泳いでいたYMCAのチームがある街だから、知り合いに出くわしても不思議はない。振り返ると、あの「秘密主義の友達」がいた。 ムスコが大学受験の準備を始めた頃から距離を置いたから、何年ぶりだろう。5年か。2021年9月の記事には「数ヶ月前にまた連絡があった」とあるが、そのときにどんなやりとりをしたのだろう。それすら憶えていない。 いい年をして、聞こえないふりをするとか邪険にするような私ではない

日本に一時帰国した私がアメリカに帰国。

子供たちのいるアメリカに帰国した私は、彼らの母艦である。 さて。 運転免許証を Real ID に切り替えるアポのため、MVC (Motor Vehicle Commission) に出かけた。 予約していったのに、それぞれのステップで待たされ待たされ、結局終わったのが一時間後、というのはアメリカならでは。 そして。 身元と住所確認に必要書類は結構面倒なルールに基づいて複数用意しなければいけないのだけれど、MVCのウェブサイトは懇切丁寧に Interactive に手伝

青い作業着。グレイの作業着の遠い思い出。#notethon

イシダテックの青い作業着。 私の中でイシダテックはブルーって決まってるみたいなところがある。会社のロゴはグリーンなのだけど、社員の皆さんが並んで写ってる写真から鮮明に私にとびこんでくるあの青い作業着のブルー。 そのイメージは、私の意識のどこかに残っていた。 友達を飛行場に送ってきた帰りの車の中で、作業着を着た祖父の姿がふっとよみがえった。グレイの作業着。 祖父母の家の敷地には工場があって、祖父は帯状になった大きなノコギリを磨くというかノコギリの刃を精製するような仕事をして

アメリカで最期を迎えた日本人のおばあちゃん。

以前書いた、前に住んでいた家のお向かいさんだったおばあちゃんが先日息をひきとった。今年7月に90歳の誕生日を迎えた季江さん。 せっかく日本に帰ったのに半年ももたずに、アメリカに戻ってきた。友達夫婦のところで数ヶ月お世話になったあとに、老人施設に入所した。一人暮らしになった彼女に、私はふと思いついて絵葉書を送り始めた。(上の写真) 私は若い頃から美術館に行ったら最後に気に入った絵の絵葉書を買うとか、旅行先で写真をとると同時に絵葉書を買う趣味があった。当時はもったいなくてそれ

いっきに再開された、隣のパキスタン人家族からのおすそ分け攻撃。

お隣にパキスタン人家族が住んでいることは、前に書いた。 まず。引っ越しを Zulfi がいろいろ手伝ってくれたお礼に、私が夕食に招待した。イスラム教徒で Halal にのっとってるから、豚肉だけじゃなくていろいろと食べられないものがある。確か、鮭フレークご飯の他、Halal 処理した鶏肉をもらってかぼちゃのそぼろ煮、ナスの焼きびたしとかかなり和風な何皿かを作ったけれど、小学生の息子二人も一緒に、喜んで全部食べてくれてびっくりした。 次に。あちらから招待された。骨付きの肉は

地域密着型地元企業への就職。#notethon

私は地方都市から東京の大学に進み、東京で就職し、数年後にアメリカに転勤になり、そのままアメリカ東海岸で30年近く暮らしている。 そんな私がイシダテックに出会い、魅了されてしまい、この度 Note-A-Thon参加に名乗りをあげてしまったわけで。 この記事を皮切りに「イシダテック応援記事」を三本書いた。Trilogy!! 私とイシダテックには何の接点もない。二人の子供が日本で就職するなんてことはまず有り得ないし、そもそも私が日本でこの人生を終えるのかすら怪しい。子供たちに

どうしよう。日本に帰った時。どうしよう。

日本への一時帰国が確定したとき、あの社会で間違いなく私は浮くだろうと気づき、一気に構えてしまって気が重くなってきた。 同じようにアメリカに何十年も住む日本人の友人二人(元同僚)と最近マンハッタンで会った時、皆口を揃えて、 親に「化粧しろ」と言われ 「そんな格好で外出しないでくれ」と言われ 「声が大きすぎる」と言われる、と一致した。 ゴミ捨てに行くのに、flip-flop (ビーチサンダル)をはこうとしたら注意された、とか。 タンクトップとショーツで皇居の周りをランニング

2001.9.11 8:14 Tue あの日のわたし。

あの日。あの日の朝。 一週間前なら WTC のオフィスにいたはずの私は、自宅にいた。 ムスコが1月に生まれ、産休のあと職場復帰したものの、週に数日は在宅勤務をしていた。最初は月曜は在宅、火曜は出社していたけれど、どうも週の初めはオフィス勤務のほうがいいと判断し、まさにあの週から月曜は出社に切り替えた、その翌日だった。 赤ん坊のムスコがいては仕事にならないからデイケアに預けていた。駐車場に戻ろうとエレベーターの前で待っていると、数人がわさわさと騒いでいたが、なんのことか分か

人生の岐路、運命の波。決断する、翻弄される。

人生にはいくつかの岐路があり、決断を迫られる。目の前にある二つの道のどちらを選ぶか。選んだ道を進みながらも、そこに運命の波が押し寄せる。翻弄される。選ばなかった道を振り返った時、そこにも運命の波の跡がある。 ちょっと前に、友人の一人が私の離婚を知り、相談してきた。彼女は日本人で、夫はレバノン系カナダ人。19歳と17歳の子供二人。彼は周囲から「神」と崇められるほどの優秀な仕事人。最近会社を売って semi retired ライフに入った。 彼は帰宅すると玄関先でコートを床に