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ジブリ版「君たちはどう生きるか」を読み解く④

 宮﨑駿監督作品として公開以降レビュー評価が綺麗に二分され、様々な解釈がされている本作。様々なメタファーやシンボルが輻輳しており、一つの要素に仮託されている意味からどれを選ぶかによって印象が変わるためか、自分の考えと全く同じことを書いている記事は見つけられなかった。もちろん、宮﨑駿自身が全てを語らない以上、解釈も全て想像でしかない。本稿では、そのような自分なりの印象や考察について書き残そうと思う。既に書いた3本の記事と併せて、今回の感想記事でやっと最後となる。(パート3はこちら。)

 なお本稿は性質上、映画「君たちはどう生きるか」のネタバレとなる。映画館へ足を運ぶ可能性があるのなら、本稿を読む前に作品を観てほしい。まっさらな状態でしか感じ取れないことの中に、貴方独自の価値があるはずだ。


映画「君たちはどう生きるか」の感想として

 結局、この記事を書くまでに三度シアターへ足を運び、サウンドトラックとパンフレットも購入してしまった。三度以上シアターに足を運んだのは「サマーウォーズ」以来だ。すっかり宮﨑駿の作品に当てられてしまった。

 作中に散りばめられた様々なサブプロットや過去ジブリ作品のセルフオマージュに目を惹かれたものの、最も自分の心を揺らしたのはやはり、ナツコの物語だった。受け入れなければならないシステム的な世界、逃避したい気持ちを抑えて生きているのは大なり小なり大人であれば皆同じで、彼女が救われたことがとても良かったと思う。「良い子を産むんだよ」という台詞がヒミの口から出ることが、「開けた穴は開けた人間が埋めなければ意味が無い」というアオサギの台詞を回収していると同時に、上の世界ではどれだけ願っても会えない故人からの直接の赦しである点も美しかった。

 また、世間では否定的な声として宮﨑駿が分かり易さを投げたかのような意見も見られたが、作中の大人たちは常に眞人の事を気にかけており、ストーリー進行の形としても常に子供に対してはポジティブな意図が伺えた。この点において、宮﨑駿は一貫していると感じた。過去のジブリ作品の中で最も印象に残っていたのが「もののけ姫」である自分からしても、今作は画の力としてイマジネーションの最大火力の部分では見劣りしてしまう部分も確かにあった。しかし、トータルバランスに対して表現者として密度を高める手腕に関しては、過去観て来た作品の中で最も評価が高くなる作品だと感じている。エンタメ至上主義の立場から靴を履き替えることが出来るか、それが最も大きな評価の分かれ道だと思う(パンフレットはちょっと情報量が少なすぎて割高だったな、という点には同意するが)。

 自分は、一度目の観賞では、宮崎駿がバックトゥザフューチャーして不思議の国のアリスとなるシン・ヱヴァンゲリヲン的物語だと感じた。二度目の観賞では、様々な立場に囚われた個人たちが其々の生き方を捉え直す生の物語を感じた。三度目の観賞では、宮﨑駿の子供達に対する愛情や、現実と虚構の世界構造的転回に対する遊び心を感じた。また、其々の観賞の後には作品に思いを馳せ、新しい解釈を探ることも楽しかった。自分、時代、世界とフィクションの繋がりを行き来して、精神的な旅をした。これにより二つ前の記事で述べた通り、本作品がキュビズム的であることをシアターに足を運ぶ度に強く実感出来た。

 おそらくDVDが発売されれば買ってまた観ることになるだろう。本作におけるまだ気付いていない何かを読み解ける可能性の在り様はアートのそれに近く、視聴時点での自分にしか感じ取れない部分も多いであろうことを確信しているからだ。何時か本作を観賞した誰かと、その何時かの時点でのコンテキストを持って再び語り合うことが出来れば嬉しいと思う。ネット上では宮﨑駿の次回作があるのではないか、という想像も流れているようだが、そういう意味で個人的には長編アニメ作品としては遺作であって欲しいとも思う。

関係性の美学によれば、作品の美的・芸術的価値は、〔物それ自体のうちにあるというよりも〕特定の人間関係を生み出す特別な社会的文脈を作り出すことこそにある。

フィルムアート社,ミゲル・シカール,プレイ・マターズ

まだ残る疑問

 最後に、いずれDVDが発売された時の備忘録として、未だに自分の中で解釈が揺れている部分について書いて終わりにしようと思う。

【ワレヲ學ブ者ハ死ス】
善だと思って取り組んでいても、それは美しく呪われた夢である。
そのようにインタビューに答えた宮崎駿からすれば、今あるものを真似るな、その先を創造しろ、ということなのか。あるいはジブリの真似で終わるなというだけのことなのか。

【漁師キリコの戻った世界】
漁師キリコはヒミと同じ扉で現実へと戻ったが、作中の「俺はずっとここに居る」という発言から、本来の時代はもっと前の扉なのではないか。久子の神隠しの話にキリコの名前は出てこなかった。あの時点で中年女性だったとして、眞人と出会う時代にあそこまで老婆になるものなのか。彼女だけが、無自覚なタイムトラベラーになっているのではないか。


 およそひと月弱に渡り映画「君たちはどう生きるか」について記事を投稿してきたが、記事を読んでくれた方、スキを押してくれた方、共に同じ作品を楽しませて頂いたことにまず感謝申し上げたい。上映開始から1ヶ月が経過し、じわじわと感想を語り合える人口が増えているのは好ましい限りだ。本作に限らず、また何か書きたくなったらしれっと書くと思うので、その際にはまたお付き合い頂けると幸いだ。

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