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【010】『キミにきめた!』が許されるなら「ごんぎつね」は喋っている。そうであれ。

『ごんぎつね』、皆さん義務教育で通ってますよね?私は小学生低学年くらいかな?国語の授業で読んだ思い出です。
今日はタイトルの通り、ごんぎつねの"ごん"は喋っていると主張したい。

本題始める前に、念の為『ごんぎつね』のあらすじ貼っときます。

イタズラ好きの悪狐"ごん"が、母を失い孤独になった"兵十"という男に、山菜をお供えをするようになる。何やかんやあって最後、"兵十"は家に入ってきた"ごん"を、イタズラしにきたんだと勘違いして撃ち殺してしまう。その時始めて山菜の届け主を知るというバッドエンドで、物語の幕を閉じる。

正直何を伝えたかったのか、メッセージ性的なものは一切理解出来ていない。

「一度罪を犯した悪人(ごん)は簡単に赦される訳にはいかないよね」的な?

「善意って中々相手に伝わらないよね」かなぁ‥‥‥。

うーん始めて読んでから数十年経つのに未だにわからんな!

まぁ今回話したいのはそこじゃないんだ。

とにかく、この『ごんぎつね』を巡って昔、
以下のテーマでディベート授業が開催されたんだ。

「"ごん"は喋れるor喋れない論争」

私は「喋れる派」だった。幼い頃からカートゥーンネットワークに入り浸ってたので、動物が喋るのは当たり前だったからだ。トゥイーティー、リトルフット、クリフォード‥‥‥‥擬人化していない動物を挙げるだけでも無限に出てくる。逆に喋らない動物といったら無口なうさぎとスヌーピー、グルミットぐらいか?知ってる人がどれだけいるか分らんけど、トムジェリも人語喋れるんだぜ?テレビシリーズでもたまーに喋っているけど『トムとジェリーの大冒険』になると二匹が普通に人間と会話しだすので、是非見てみてほしい。

まぁそれらがあくまでフィクションなのは、子供ながら理解していた。理解した上で「"ごん"はフィクションの動物だから喋れてもおかしくない」という考えだった。
ここまではっきりと言語化出来ていた訳ではなかったが、しっかりと信念を持った上で「喋っている派」に属した事だけは覚えている。

その後どういった議論をしたのかが記憶からすっぽり抜けているのだが、
授業の最後、答え合わせがあった。

先生「"ごん"は喋っていません。心の声が書かれているだけです。」


納得行かなかった。いや今でも行っていない。
狐である"ごん"に、兵十を哀れむ情があったり、人間の言葉を理解しているといった非現実的な描写がありながら、何故狐が喋っているという解釈は許容されないのか。もしかして、作者が解説とかではっきり明言してるのかなぁ?「"ごん"は喋ってません!」と。仮に公式の答え合わせが無いならどう解釈したって自由だよね?

なんで今更この話をしたのかというと、
先日『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』を見たのよね。そこのとあるシーンで、動物が喋る"エモさ"を再確認し、「"ごん"は喋る狐であって欲しい、否そうあるべきだ」と、強い意志を持った次第です。

ここからは『キミきめ!』のネタバレ注意。

本作は、アニポケ第一シリーズのリメイク映画だ。物語としては、サトシとピカチュウの出会いから始まり、TVシリーズの人気エピソードを映画向けに再構築された作り(+オリジナル要素アリ。カスミやタケシも出てこないし)。

細いあらすじは省略するが、物語終盤、サトシとピカチュウがポケモンの大群に襲われ窮地になる。サトシはピカチュウだけでも守ろうと、モンスターボールに入る様お願いするも、ピカチュウはそれを拒否。結局大群からの猛攻を直に受けてしまう。まんま1話のセルフオマージュよ。キズだらけで倒れる2人。そこで彼らがこんなやり取りをする。


サトシ「何で‥ボールに入ってくれないんだ‥‥」

ピカチュウ「いつも‥‥いつも一緒に居たいから」


そう!ピカチュウが喋るのよ。サトシにも、観客にもはっきりと聞こえるように。恐らく、本当に喋っていた訳ではない気はする。あくまでサトシとピカチュウの心が通じ合った結果、何を考えているかが分かっただけで。正直泣いてしまった。

こんな展開見せられたら考えることはみんな一緒だよね。「フィクションの動物は喋れてもいいじゃん!その方がドラマチックなんだから」と。
人間と動物の絆・友情自体、人間のエゴなんだから、これくらい夢見させてよ。

ここで『ごんぎつね』に話を戻し、"ごん"が喋れる前提で、再度物語を考察してみたい。

改めて振り返るが、"ごん"は喋れる。兵十の言葉も分かる。つまり2人は会話が出来る。にも関わらず、2人は作中で言葉を交わすことがなかった。
理由は勿論、"ごん"にある。死ぬ間際、兵十母が食べるはずだった鰻を奪い取ってしまったのだ。兵十への罪悪感で顔向けできるはずがない。結果、山菜をこっそり家に置いていくといった、独りよがりな贖罪を続け、その意図を知る由もない兵十に撃ち殺されてしまう。始めから自分の真意を兵十に打ち明けたうえで罪を償っていれば、こんな悲劇は起こらなかったかも知れないのに。

どうでしょう?"ごん"が喋れない前提だと「元から相容れない関係だったよね」で終わってしまうのに対し、喋れる前提であれば「分かり合える可能性があったのにそれが叶わなかった」という悲劇になって、ドラマとしてより深みが出ているとは思いませんか?まぁ仮に会話が出来たとして、兵十が許してくれるかは別の話だろうけど、そこにも考察の余地があると私は考えています。

まぁこれはあくまで私の二次創作なので、
どう受け取るかはお任せします。
ただ「"ごん"は喋れる」。
この主張だけ通させてくれれば、それで満足です。

‥‥‥‥と、もう"ごん"が喋れるのが正解みたいな論調で話を終わらせる気満々でしたが、
この記事を書いている途中で『キミきめ!』の評価を調べた結果、信念が揺らいでしまった。
そもそもピカチュウが喋る件、意外と賛否分かれてるのね。じゃあピカチュウ喋るの否定派にこの記事は響かんやん‥‥‥‥。

まぁこの記事を読んで「"ごん"は喋れる派/喋れない派」にそれぞれ属する人が居てもいいと思います。そこで改めて、どっちが正解か議論してくれたら熱いですね。少年時代に先送りにしてしまった答えを、令和の今こそ見つけましょうや。

余談。
見出しのピカごん、せっかく描いたのにキャンパスサイズミスって
変に寄って上げざるを得なかった・・・。

ので!元のサイズ貼らせてください。

我ながら可愛く描けたな!


あと『キミきめ!』のリンクも一応貼っておきます。
アマプラ民は無料だし、尺も短いのでサクッと見れるよ。
中盤までダイジェスト感強くて、体感長く感じるのだけは注意!


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