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喫煙者、或いは愛煙家

ショートショート 1860文字

 トイレから出ると台に向かう気はすっかり失せていた。一応店内を回ってみたがやはり食指が動かずにそのまま出口へと向かった。半年程前に自分は軽度ながらも紛れもないパチンコ依存症なのだと自覚して以来熱が少しずつ冷めてしまい、最近はいよいよ打つのが億劫になってきた。仕方がないので車をパチンコ屋の駐車場に止めたまま近くの公園に向かう。細い道ではあるが小学校が近いためか綺麗に整備され、両脇に等間隔でハナミズキの木が白い花を咲かせている。カバンを車に置いてこればよかったと思う。カバンの中は今日の商談の為に準備した資料でいっぱいだった。自信があった案件だけに今回の失敗は堪えた。なんとか来週もう一度会ってもらえるように頼み込んだが今日はもうなにもする気がせずにパチンコに逃げたのだったがそれすらも意欲が湧いてこない。買い物帰りらしい主婦と並んで信号待ちをしているとすぐ横のマンションの入り口の暗がりで、ポストにチラシをつっこんでいる男が見えた。何気なくその様子を見ていると男がこっちを睨み返してきたので慌てて目を逸らす。信号を渡りながら、睨み返してきたと思ったということは俺も睨んでいたのだなと気づく。確かにああいった広告は俺のマンションのポストにも日に日に量を増しており心良くは思っていないので意図せずともその気持ちが顔に出てしまったのかもしれない。或いはあの男の後ろめたさが俺の顔を歪めたのではないか。自分でも嫌気が差す仕事だがこれでおまんま食ってんだ、かーちゃんガキども養うんだ、仕方がないだろうという後ろ向きな積極性という自家撞着的な感情がありもしない他人からの非難の目線を作り出し一人それに睨み返すという転移行動に俺は巻き込まれただけかもしれないなどと考えていると公園についた。
 公園は小学校の横にあってかなり広い。この時間は就学前の子と母親には遅く、小学生たちにはまだ早いらしくいつも閑散としており最近お気に入りの公園なのだが、曲線を組み合わせた色とりどりのプラスチックの遊具たちはペンキの剥げた、或いは錆びた鉄でできた直角の遊具で遊び育った俺にはどこか物足りない。ベンチに座って煙草に火をつけようとしてライターを車に置いてきてしまったことに気づく。重いだけで煙草の火ひとつつけられない役立たずのカバンを恨めしく思いながらどこか喫茶店にでも行こうかと考えながらも心身の疲れからか、或いは万事におけるやる気の欠如からか動く気力が湧かないままに体をベンチに預けつづけていた。会社のことを考えた。先輩のことを考えた。人は良いが要領が悪いのでなかなか出世しないでいる先輩にも迷惑がかかると思うと申し訳なくなった。一番上の子がこの春から大学に行くそうだ。ということは俺の年の頃にはもう中学くらいのガキがいてその下にさらに二人もいたわけだ。すごいなあと素直に感心しているとさっきの配達員がやってきて隣のベンチで煙草をふかし始めた。背に腹は変えられない。依存症を自覚しても煙草はやめられないし喫煙者ではなくむしろ愛煙家であると誇りすら抱いている俺はしかし恐る恐る男に火を貸してくれと頼む。男は快くライターを貸してくれた。ターボはあまり好きではないがと思いながら火をつけ終わり癖でポケットにしまいそうになったライターを慌てて返す。声がでるか心配だったがなんとかありがとうございますと発音できた。俺が半分も吸わないうちに男は吸い殻を携帯灰皿に入れて立ち上がった。お先にと愛想を言って大量のチラシが入ったカバンを持って小走りに駆け出していった。なんだいい奴じゃないかと反省をする。そして反省をしたと思ったということは無意識に俺はあの男のことをいけ好かない奴だと決めつけていたのだろうか、或いはあの男の初対面の俺に対する鼻につく謙虚さ、腰巾着や金魚の糞を連想させる下卑た笑顔などから推測されるあの男の自信のなさや卑屈さが相対的に俺を優位な立場へと自然と押し上げてあの男の負け犬根性の染みついたヒエラルキーの中に無自覚の内に巻き込まれていたのだろうか、などと考えているともう吸い終わりが近い。ライターがないのだしこの煙草の火でもう一本吸わなければと煙草を取り出そうとするとその手の甲に蟻がくっついているのに気づき、その逃げ惑う蟻に執拗に煙草の煙をあてていると悶えたようなそぶりをして落ちていった。満足して火をつなごうとすると煙草の火はもうほとんど消えかけており、何とか二本目に火を灯そうとしたが端が少し黒ずんだだけで善意の火は完全に消えてしまった。

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