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新成人たちへ 掌編840字

ショートショート 840文字

 舞台袖で原稿用紙に目をやる。このホールで新成人を相手にスピーチをするのは四度目だ。当時の私はどうだったかなどと思い出したくもない。まだ県会議員だった父の取り巻き達にもてはやされてのぼせ上がっていた。もっと言えば父の御威光の下で副市長にまでなった今となにも変わっていないと言えるかもしれない。道化と根回しは上手くなったがまさかそれを彼らに伝えるわけにもいかない。それでも私が彼らに伝えられることがなにかないだろうか、毎年いろいろ考えて、いつも長い小言が出来上がる。読み直すと諺や古事にすでにある簡潔な文句を擦り切れるほど引き延ばした恥ずかしい駄文になり、すぐに破り捨てるのが常であった。老人が疎まれる理由はここにあるのかもしれない。年をとればそれらしい人生論や講釈などいくらでも垂れることができる。しかしそれは若者にしてみれば、特に常に情報にさらされている今の若者からすればすでに’’知っている’’話にしかならないだろう。
 勉強がいかに大切か、そもそも勉強とはなにか。見分を広げるとは、世間を知るとはなにか。伝えたいことは増える一方だがそれを伝える術がない。そもそもそんな話は全て、彼らはすでに‘’知っている‘’。老いの悲哀はここに極まるのではないか。つまるところ自分の経験を、知識を、歴史を、誰かに聞いてもらいたくて仕方がないのだ。
 まだ還暦になったばかりの、それなりに人に話を聞いてもらえる立場にある私ですら青年たちに伝えたい事が堰を切ろうとしているのだから世の老人たちの無念の総量たるや甚大なものだろう。恥ずべきことではあるが、世間の片隅で若者の悪口を言うのくらい大目に見てやってもらいたい。それは行き場を失った良心のなれの果てなのだ。
 もう一度原稿用紙に目をやる。そこには、教科書どおりのくだらない謝辞が並んでいる。考え抜いた上でのくだらなさだと説明したい気持ちを抑え、舞台の上へ進み出る。願わくは、あいつはしっかり道化を演じていたと、一人でも理解してくれるものがおりますよう。

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