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片思いの相手に寄生する系のラブコメ

 僕の高校の校舎の裏は県内でも有数の庭園になっていて、春になるとそこの並木道で咲いた桜から、暖かい桃色の風が窓に向けて運ばれてくる。夏が迫っていることへの期待感に気分が次第に高まっていくのを感じながら、窓際で若葉の匂いに当たっているのは気持ちよく、国語の授業で何の役に立つのか分からなかった古語や熟語が、不意に実質的な意味を帯び始めるのに軽い驚きを覚えたりする。昼休みの窓際の時間は、受験期に抱いていたきらびやかさが次第に褪せつつある学校生活において、充足感を感じられる数少ない時間だったので、箔崎さんに呼びかけられているのにも気づかなかった。
 密かに、だが強く叶ってほしいと思っていたことがいざ実現しつつある時、その状態を心がうまく処理しきれず、身近な物事に没頭することで、むしろその実現から体を遠ざけてしまうことは往々にしてあることだ。箔崎さんと放課後屋上で会うことを約束した時も、多分そういう法則が働いていたのだと思う。
 コンクリートの剥き出しになった階段を上り、屋上に出ると若葉の匂いはいよいよ強くなる。桜の花びらはこの高度にもちらほら流れてくるようで、裏と表を入れ替えながら青空を勢いよく遊泳していく様子から、今箔崎さんと僕の二人がいる場所にどれほどの量の気流が雪崩れ込み、うねっているかが分かる。
 ふと、その乱流の中から自分は箔崎さんが次に口にする言葉を聞き取ることができるのだろうかという、些細な心配事が首をもたげる。  
 それをたしなめるように、箔崎さんの唇がそっと動き始める。

 恋は盲目とはよくいわれる。
 さっきの法則を想い出そう。願望が叶う段になるとその行動から逃げてしまうことは周知の通りだけど、そうでない場合、事情は逆になることもまた事実だ。というか、後者のケースがもっぱらだ。願望の実現が遠いと思っていればいるほど、それは輝いて見え、その輝きが、行動を起こす原動力になったりする。そして、その輝きは、往々にして考慮すべき他の部分を覆い隠してしまう。
 箔崎さんが、第三分類群指定超危険生体乙型亜種だということは知っていた。
 知ってはいた。しかし、何かを知っていることとそれを行動に反映させることの間には、雲泥の差がある。第三分類群指定超危険生体乙型亜種というと、登録種が多様過ぎて破綻寸前の特定危険生体リストの上位百番に例年入るくらいにはヤバいが、通常時の見た目が人類とそう変わらないので慣れてくれば結構交流が成り立ってしまう。そういう陥穽に僕は嵌ってしまっていたようだ。
 極限環境生存用幹細胞適合型寄生個体である僕だが、彼女の体内で意識を再起動させるまでには、二日を要した。
 捕食された当時の記録を一人称視点で再生してみる。
 箔崎さんの唇がそっと開く。そこまではいい。口の幅がやや左右に広がった気がする。まあ、大した違和感はない。口だったものが顔の下部を横切る亀裂となる。ちょっと何が起こっているのか分からない。鋭利な歯列に囲まれた摂食器官が視界を包み込んでいく。悲鳴を上げようとした時には悲鳴を上げるはずの声帯はとっくに噛み砕かれた後だった。
 今思えば馬鹿みたいだが、最低でも他の人に手紙を渡すよう依頼されるくらいのものだと思っていた。僕が受け取ったのは、言葉や手紙ではなく、牙だった。

【続く】

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