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罪の声 感想

ネタバレしかない

小栗旬と星野源が出ているというだけで観に行った。
これが間違いだった。イケメンの顔を拝みにいく〜、という軽い気持ちで観てはいけない代物だった。


あらすじは以下(リンクの貼り方分からなかった)



一言で言うなら、
エゴイズムが生み出した事件
だと感じた。

府警・県警同士の管轄争い
マスメディアのスクープ争い
関係者だと思われたくない故に口を閉ざし続けていた証人
彼らのエゴが真実追求を阻み、事件を未解決にしてしまった。


そして
犯行のために自らの子供や肉親の声を脅迫テープに使った犯人たち

「アシがつかないように」

そのためだけに罪のない子供たちは犯罪に巻き込まれ、人生を狂わされた。





多くのエゴイストが登場する中、その中でも突出した人物がいた。


曽根達雄である。

彼は犯行の立案者であり星野源演じる俊也の声を使用した張本人である。
達雄は学生時代から左翼の過激派に傾倒していた。活動が鎮圧された後は日本を離れ静かに暮らしていたが、
警察に恨みを持つ男から「警察や企業に一発、ガツンと言わせたい」と言われた時に、彼は

       “奮い立った”。

達雄は、社会を憎み、日本社会を変えようとしていた昭和の革命家の自分を思い出した。
そして犯罪によって日本社会に挑戦状をなげつけたのだ。
阿久津(小栗旬)に事件について話すように詰め寄られたときも、達雄は自分に誇りを持っているように、悠然と口を開いた。
カネのために味方を裏切った他のメンバーを蔑視しながら、自らの緻密な計画を語っていた。
さながら、戦争を生き抜いた英雄がその功績を他者に伝える様であった。


達雄は思想家であり、革命家であった。


しかし、彼は「思想」という錦の御旗をかかげる自分に酔うだけの男であった。
虐げられ、不条理を味わい社会を変えたいと願ったはずの達雄は、自分も同じように、罪なき子供の人生を狂わせた。



声を使われた子供は3人いた。

1人は俊也。彼は自分が犯罪に加担してしまっていたこと、妻子に迷惑をかけてしまうことの圧迫感に苛まれた。
そして、犯行グループメンバーの子供であった、望と惣一郎。彼らは事件に関与していたヤクザに口封じのため捕らえられ、飼い殺しにされていた。
望は逃げようとしたところを殺された。惣一郎は放火を犯してなんとか逃走するも、夜逃げ同然で全く教育を受けてこなかったためになかなか職につくことができなかった。やっとの思いで働き口が見つかったと思いきや、視力が低下し、仕事を続けられずに解雇された。惣一郎は35年間、事件に関わってしまったこと、生きるためとはいえ放火をしてしまったこと、母を置いて逃げてしまったことを悔い、孤独で地を這う様な人生を送ってきた。

彼らの辛酸を舐める人生を、阿久津は達雄に話した。

達雄は誇り高い功績だと思っていたことが、自らが最も忌み嫌う“不条理”を生み出していたことにようやく気づいた。
それまで背筋を伸ばし毅然とした態度をとっていた達雄は、口をあんぐりと開け、焦点が定まらない様子で呆然と立ち尽くした。

それが作中での最後の達雄のシーンである。



達雄は作中で『化石』と表現されている。阿久津は彼に対し「あなたは1984年のままでいる」と言っていた。

スペイン語の名言で以下の様な言葉がある。
La revolución es algo que se lleva en el alma, no en la boca para vivir de ella.(革命は魂に宿るものであり、口に宿るのではない)

達雄は革命を口で唱えていくうちに、胸に宿していた思想を失っていた。彼はもはや思想家でも革命家でもなかった。最後のほうけた様はまさしく抜け殻となった『化石』であった。






『罪の声』のタイトルに何が表されているのだろう。
達雄は思想をかさにきて犯罪を“正義”だと合法化していた。公訴時効を迎え、その達雄やメンバー、それに加担した者たちが裁かれることはない。
そんな彼らはまさしく犯罪を犯した罪人である。

一方、脅迫文を読まされ犯行に利用された3人の子供たちは“罪なき”人だ。にもかかわらず、彼らは罪の意識に苛まれ続けた。責務を負った。


この映画は第二次世界大戦終結後のポーランドを舞台としている。主人公であるドイツ人の少年たちはポーランドでひたすら地雷の撤去を行っている。
彼らはドイツの悪行の尻拭いとして文字通り命を賭して地雷を掘り起こさなければならない。
この罪なき少年たちは、ヒトラーたち大人の遺失物である罪を背負っているのだ。




私はこの『ヒトラーの忘れもの』と『罪の声』に近しいものがあると考える。


なぜ実行犯が責任を取らないのか。
なぜ残された者たちが責任を取らなければならないのか。
加害者遺族や加害者の家族に責任転嫁をさせる世の中は果たして善なのか。勧善懲悪と言えるのか。


そんな訴えが込められていると感じた。




なぜ残された子供たちが苦しまなければならないのか。
思想というのがそんなに立派なのか。形骸化してもなおそれは価値があるのか。
意義とは何か。
何が悪で、何が正義なのか。




『罪の声』はこの疑問を投げかけている。
未解決事件の真実追求のためではなく、罪なき責任者の「声」にフォーカスをあてて、彼らの深淵からの叫びに耳を澄ませている。


はぁ。言いたいことかけた。

またすぐみたい
とりま本は買う