隣の芝生は青い


私は自分の右目にコンプレックスを抱いている。
太田母斑という病気をご存知だろうか。皮膚や眼球が青黒くなるのだ。
私の場合は生後1年頃に顔の右半分がまるでフルボッコに殴られたアザのように青黒くなった。その頃の写真は我ながら痛々しい。
当時レーザー技術による治療が主流だったため(今もたぶんそう)、早速親は私にレーザー治療を施してくれた。赤ちゃんだった私はレーザーが痛くて痛くてギャン泣きしていたらしい。術後の包帯替えや経過をみるための入院時は、母がつきっきりで看病してくれた。母よ、ありがとう。
おかげで顔のアザはすっかり消えてくれた。
だが、右目だけはに対しレーザーによって視力を失うことになるため治療されなかった。そのため大学生の今現在でも、右目は青い。
  え、オッドアイってこと?いいじゃん。
いやいや、違う。私の場合、色がついているのは黒目じゃなく、白目なのだ。
私自身せめて黒目が青ければ…と何度思ったことか。しかし残念、鏡の前には白目が青い私。

右目が人と違う私にとって、この目がコンプレックスになったのは小学生の頃。
私の小学校は6年間クラス替えがないので、自発的に行動しなければ他クラスの生徒と絡む機会はほぼない。しかし、給食などの時は別だ。
給食を食べるため食堂ホールに向かっているとき、他のクラスの人からよく言われた。
        青ドロップが来た。
正直いまこうして文章を打ち込んでいる今はウザさしかない。青ドロップ?はぁ?お菓子か何かのことですか??あ、私のことですか。でもそれであなたに迷惑かけましたカーン?
しかし当時の純粋な私の心にはサバイバルナイフか?ってくらいぐさっと刺さった。
  私の目って変なのかな。
学校から帰ると、母にそう尋ねた。すると母はごめんなさい、と謝ってきた。その姿は私より辛そうで、ほんとに申し訳ないことを言ったと思った。

そんなこんなでどでかいコンプレックスが形成され、私はもっとブスになってもいいから普通の目が欲しい!と切望するようになった。
もとから顔のつくり自体に自信がないなら、ちょっと悪くなっても変わらんやろ。むしろ普通の目だったらメイクとかで改善できるしその方が良くね?と真剣に思っている。だって白目部分を隠すものってないじゃん。

そして、先日私史に残るサバイバルナイフ刺傷事件その2が起きた。
小さい頃からお世話になっている美容院で髪を切ってもらっているとき、
  おでこは出さないの?
と聞かれた。なんでですか、と聞き返すと、その方が大人っぽく見えるからと言われた。実年齢より若くみられる私にとって大人っぽさは求めてやまないものだ。しかし、おでこをだすつまり前髪をなくすことは、右目をあらわにすることを意味する。自粛期間で髪が伸びてしまって前髪が消えてしまったときはしょうがなかったが、できることなら髪で右目を永遠に隠していて欲しい。
そんなことを考えて返答に迷っていると、店員さんが続けてこんなことを言ってきた。

  あ、もしかして目のこと気にしてる?大学生なんだからそんなこともう良いでしょ?

このことばで私の中のコンプレックスバロメーターはMAXに達した。もう今すぐにでもこの目を消したい。あー、レーザーで焼きてえ。
だいたいなんで大学生だから気にしないんだ。本来これぐらいの年齢って一番見た目を気にする時期じゃないか?というかなぜあなたにそんなことを言われないといけない?
この一件が本記事を書くきっかけになったわけだが、今思い返しても、?????
クエスチョンマークが脳内を占める。  

えー、そういうわけで、今現在私はコンプレックスに敏感なわけである。

さて
大学生の現在、友達の話によると彼ら彼女らはさまざまなコンプレックスを抱えている。
ニキビ、鼻筋、一重、顔の大きさ、歯並び、足の長さ、背の高さ、髪質などなど。見た目以外で言えば、親の仕事、自分の能力、経済力、人間力、学歴、住む場所とか。あげればキリがない。
がんばれば変わるものもあれば、絶対に変えられないものもある。
Life is unfair, isn’t it? -Scar from the Lion King
黒い鬣をもつライオンさんのことばが脳裏によぎる。
人生は不公平だ。
なぜ自分だけこんなマイナスを持って生まれてしまったのか。隣のあの人はあんなに素晴らしい〇〇なのに。コンプレックスのテンプレ的セリフだろう。
そしてタチが悪いことは、隣のあの人も他のコンプレックスを抱えていることだ。

隣の芝生は青い。