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京都に鴨川があることに救われている

私は大学4年間を京都で過ごした。

話の流れでそれを知った人からは、ほぼ100%「最高ですねえ!」と返ってくる(つい「良いやろ~」と内心ニコニコしてしまう、たぶん顔に出ている)。

京都は言うまでもなく、歴史・文化・四季折々の行事など強力なコンテンツに溢れている。それらに気軽に触れることができるのも、京都で学生生活を送る魅力だろう。

しかし、私にとって最大の魅力は「鴨川があること」だった。

鴨川は京都市内を南北に流れる河川だ。
夏の川床や等間隔に並ぶカップルを思い浮かべる人もいるかもしれない。

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私の学生時代の主な生活圏は、「出町柳」から「三条」までの南北約2キロ。
出町柳のすぐ西には鴨川と高野川が合流する「鴨川デルタ」という三角州があり、そこから鴨川沿いを一直線に30分も歩けば繁華街の三条に着く。

生活圏のど真ん中を鴨川が流れていた。

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▲鴨川デルタ(通称「デルタ」)

鴨川抜きに学生生活を語ることはできない。

4月、デルタ周辺で行われる新歓コンパに参加することから京都での大学生活がはじまる。
鴨川沿いの桜並木の下はブルーシートで埋め尽くされ、あちこちから大学生の賑やかな声が聞こえてくる(今年は無かっただろうけど…)。

夏になると、京都の酷暑が落ち着く夕方頃からデルタで飲みはじめる。コンビニやリカマン(正式名称は「リカーマウンテン」、東京の「カクヤス」的な酒屋だ)で各々飲み物を調達して、真夜中までダラダラと話す。

時に鴨川に足をつけて涼んだり花火をしたりしつつ、デルタで夜明けを迎えることもしばしばだった。

友達が下宿から持ってきたアコギで小・中学生の時に流行ったJPOPを弾いてくれ、みんなで大熱唱したこともあった。
デルタの砂利部分に座り続けてお尻が痛くなって近くの下鴨神社へ散歩に行くも、あまりの暗さに恐怖で引き返したこともあった。

繁華街である三条や四条で飲んだあと、二次会の案が色々と出るが(カラオケ、ラウワン、誰かの家で宅飲みなど)いまいち決め手に欠け、幹事の「とりあえず鴨川いこか」の一言で結局鴨川で飲み続けた回数は数えきれない。

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鴨川沿いの芝生に寝転んで「好きな下着の色」というアホでゲスい話や「メンヘラの定義とは?」などの空論で盛り上がり、3回生頃になると自分の専攻分野や将来の話を熱く語り合うようになった。

秋・冬は冷えるので鴨川でたむろすることはさすがに少ないが、繁華街での飲み会後に酔い覚ましに川沿いをぞろぞろ歩いて帰るのが常だった。
あまり話したことのない人と、その帰り道のお喋りがきっかけで仲良くなることもしばしばだった。

そんな調子で鴨川は「お金がかからず、時間も周りも気にしなくて良い居酒屋兼カフェ」だったものだから、東京で学生生活を送った知人の話を聞いたときは驚いた。

「飲み会後に話し足りないときはカラオケによく行ったなあ。歌いたいわけじゃないの。バーやカフェだと隣の席と近くて落ち着かないけど、カラオケなら酔ったテンションで話しても大丈夫だし。」

不思議なことに、鴨川では恥ずかしい話でも鬱屈とした心情でもなんでも話せてしまう。
そして、鴨川で吐露した後はなんとも清々しい気持ちになるのだ。

卒業して立派なアラサーとなった今でも、年に2回は学生時代の友人と予定をあわせて京都を訪れては、鴨川でのエモい思い出を増やし続けている。

あるときは夕暮れのデルタで友人から幸せな報告を聞いた。思い出の場所で嬉しいニュースを聞けたことも、約10年前から変わらず親しくいることも、どちらも本当に嬉しかった。

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学生時代には縁のなかった川床でコース料理を楽しんだ日も、二軒目に小洒落たバーに行くなんて選択肢はなく、スミノフと金麦を片手に鴨川に直行し三条河原でしゃべり明かす。

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私の離婚の一部始終を知る友人が、丸太町の橋の上から水面を眺めて「鴨川が綺麗と思えるうちは大丈夫や」と呟いたこともあった。危うく泣きかけた。

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快晴の鴨川で友人から「仕事がしんどい」と聞いた日もあった。寺町通りで買ったおいしいパンと「小川珈琲」のアイスコーヒーを手に、目の前を悠々と横切るサギや流されているのか泳いでいるのかわからないカモを眺めているうち、「ま〜〜〜どうしようもなくなったら仕事辞めて京都に帰ってくればいっか!」と友人はいつの間にか吹っ切れていた。

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(鴨川にはカモ・サギ・トンビなどの動物もたくさんいる)

何でも話せてしまう雰囲気で、終電や閉店時間を気にせず喋り尽くせる鴨川があったからこそ深まった友人関係が絶対にある。

鴨川抜きには語れない思い出や友人に、今日まで支えられてきたと思う。
東京で働く今でも、鴨川を訪れるたびに自分の余裕の無さを自覚したり何も考えずぼーっとしたり、とにかくこの川に救われているのだ。

誰にもそういう「救われる場所」があると思うが、京都の大学に通った私にとっては鴨川だった。

東京でもそういう場所を見つけたいなあと思いつつ、内心「あれは学生時代の特権だった」と気づいている自分もいる。

鴨川が生涯にわたって拠り所であることは、きっと間違いない事実だろう。

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