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「なにもしない」という名前の会社を作った話。

Niksen(ニクセン)とは
なにもしないこと。
なにもしないことをすること。

ヒマを許さない社会。

人間は有史以来、何かを「する」ということを一生懸命考えてきた。
なにかを「する」おかげで人類はいろいろなことを発見し、発明し、解明し、寿命は延び、文明が栄えてきた。

だからこそ、社会においても「なにをしたか」が重要視され、
「なにもしなかった」ことが評価されることはない。
だから、みんな時間ができれば「何かすることはないか」とやることを探し、ヒマそうな人を見かければ「何かやることはないの?」と詰問するのだ。
ヒマを許さない社会に僕らは生きている。

ヒマの必要性。

アフリカで出会ったクマ。
2018年1月。私はアフリカに家族で移住。来る日も来る日もやることのない日々を送る中、アフリカの生地で「クマを作る」という仕事と運命的な出会いをした。その仕事は様々な出会いを経て、今なおアフリカと日本の地で続いているが、その話はまたいずれ。

クマを作る仕事というのは、生地選び、カット、縫製、ワタ詰め、組み上げといった作業で構成される。オーダーした人を想像しながら一体のテディベアを作り上げていくのだが、これらの作業が私の肌に実に良く合った。
社会人になって此の方、15年以上コンサルティングの仕事を続けてきて、仕事との相性は決して悪くないと思っていたものだが、そんなことが阿保らしく思うくらい、クマづくりは肌に合った。こんな仕事があったのか!という感動と衝撃に包まれながら毎日毎日クマを作り続けた。

衝撃的だったというのは、そのような自分の肌に合った仕事が、僕のこれまでの人生において、一度も登場したことがなかった。という点に尽きる。
世の大半の人がたどるであろう義務教育を終え、高校大学。社会人となって何度か転職を重ねてきたが、今まで「クマ」という仕事を考えたことはなかった。それが、アフリカに滞在したことによって突如として眼前に現れたのである。

これが衝撃でなくて何であろう。

なぜクマと出会えたのか。
では、如何にしてクマは突如として私の前に立ち現れてきたものだろう。
それまで趣味としてすら思いつきもしなかったクマが。
況してや仕事として。である。

そんなことを考えながら私はふと、ある出来事を思い出した。
大学1年生。社会学部オリエンテーション。
当時学部長だった渡辺雅男先生が壇上に上がり、我々新入生を見渡してこう言った。「君たちは、社会のレールにまんまと乗ってここまで来たんだ。」
何やってるんだ、お前ら。と言わんばかりの口調で放たれたその言葉に、当時大学生の私はそれなりに衝撃を受けたものであった。

そうか。マンマとのせられていたのだ。
恐らくは、「今までの人生とその末に立つ自分が描く程度の未来」に。
だから、クマが見えなかった。
生きているだけで私たちは、知らず様々なモノを抱えるようになる。
それは「物」であったり「人」であったり「気持ち」であったり「癖」であったり「考え方」であったり「社会」であったり、遂には「自分自身」であったりする。

質の悪いことに、そうやって知らず抱えてしまったモノ達は、主の関心を自分たちに向けたいがばかりに、他の様々なものから主の目を逸らせようとする。
例えばあなたがある人を好きになったとする。その「好き」という気持ちは、通常多少のことで揺らぐことはない。なにかおかしいな?と思うようなことがいくつか続いたとしても、「好き」という気持ちは走り続け、「嫌い」という気持ちからあなたの目を背けさせる。
お酒やたばこなどが分かりやすいかもしれない。
あなたが抱えてしまった「お酒」という「習慣」は突然やめようと思っても、なかなかやめることはできない。彼らはいつもあなたの目を「お酒」に戻そうとするし、お酒を飲まなくてもいいのかもしれないという気持ちからあなたの目を背けさせる。

これらの意図せず身についた様々な「習慣」が、僕らの動きやナニカを察知する力を奪い取っているのだ。少なくとも私の抱えてきた様々なモノ(考え方、学歴、周囲の人間関係などの「習慣」)が、私からクマを覆い隠してきたことは事実である。

そしてアフリカで。自分の考えや言葉が通用しないアフリカという世界で、あの永遠に続くかと思われたやるせない日々を過ごす中で。私は半ば強制的に「それまでの自分」と。「それまでの人生で抱えてきた「モノ」達」と決別せざるを得なかったのである。
そして、その時初めて私は、目が届かなかったことに目が届き、手を伸ばさなかったことに手を伸ばし、触れたものの質感を感じることができるようになり。

そしてクマと出会った。

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誰にでもクマがいる。
多くの人々が、より肌に合う仕事、人、趣味、気持ち、考え方、自分自身があることを知らないままに日々過ごしている。これは、現在の日本社会の構造を考えれば当然のことであろう。
冒頭で述べた通り、今の社会は常に走り続けることを求める。早く、遠く、長く走る人は評価される一方、足を止めている人はさぼっていると見做される。故に、人々は一生懸命に走る。休みなく。

彼らの視界にクマは入らない。

もちろん、クマなんか知らなくても幸せに生きることができるという人もいるだろう。幸せか否かという問題はまた別の場所に議論を譲るが、いずれにせよ、現状より肌に合うかもしれないナニカに出会える機会が、知らず失われているというのが残念なであることに異論はあるまい。
そして、そのナニカに出会うためには、今のあなたの周りにある様々なモノやキモチと決別することが必要なのである。

ヒマ➡クマ
ところで、身の周りの全てを断っている「究極の状態」とは一体どういう状態なのだろうか。
想像してみるといい。朝から晩まで何もしない。誰かと話すこともなく、どこかに出かけることもない。生理的な現象はあるとしても、それ以外の行動や思考は一切ない。寝るでもない。寝ないでもない。
そう。その「究極の状態」を人は「ヒマ」と呼ぶ。
ヒマこそがクマをもたらす。

「ヒマ」から「ニクセン」へ

「暇」も本来はネガティブな言葉ではない

「学校」(School)の語源は「ヒマ」(schole)
英語の"school"のもとはラテン語の"schola"で、更にはギリシャ語の"σχολή" [skʰolɛ̌ː スコレー]だと言われている。このギリシャ語の意味は「しないでいること、(あることから)解放されてること」。

すなわち。そう。「ヒマ、余暇」である。

古代ギリシャの一般市民は、人を雇って基本的な労働を任せ、それによってできた暇な時間を、自由な思索や討論にあてたのである。
彼らにとって「暇」こそが、自分が自分であるために必要な考え方を確立する最も大切な時間であった。
古代ギリシャの人々は、ものごとの本質をとらえ、問題解決に生かそうとする学問としての哲学を、「暇」な時間から生みだしたのである。

違う言い方をすれば、存分な思索を行い自己を成長・変化させるためには、周囲の流れを断ち切った時間「ヒマ」を作ることが必要なのである。

テスラやアルキメデスだけではない。イーロンマスクやビルゲイツも。
アルキメデスが入浴中にアルキメデスの法則を思いつき、二コラ・テスラが散歩中に回転磁界の原理を思いついたことは有名だ。

彼らの例を出すまでもなく、それまでに夜も寝ずに考え続けても答えが出なかったことが、ふとした休憩や、思考を止めた瞬間に思いつく。といった話は枚挙に暇がない。近年でも、イーロン・マスクやビル・ゲイツといった人々が独創力を発揮するために大切にしていることは「ナニモシナイこと」なのである。(参考:https://forbesjapan.com/articles/detail/29240

「することがない」ではない。「しない」。それが「ニクセン」。
すなわち本来の「ヒマ」とは、「なにかをする」ことのアンチテーゼとしての「ヒマ」、受動的な「することがない」という意味ではなく、もっと能動的な「しない」。より創造的な機会としての「ヒマ」であった。

そしてそれこそ我々がniksenと呼ぶものである。

Niksen(ニクセン)とは
そして、我々はNiksen。という言葉に出会った。オランダ語で「ナニモシナイ」という意味の言葉である。かつてはネガティブな響きの言葉であったようだが、近年はポジティブな意味合いの言葉として世界中で注目されているという。

日本では「ヒマ」という意味合いの言葉でポジティブな響きを持つ言葉がなかったため、社名としてこの言葉を採用した。
(詳しくは第1回目の投稿を参照のこと。)

今求められるNiksen(ニクセン)

VUCAと呼ばれる激動の時代、到来。

企業も個人も変化しないと生き残れない世界が目の前に。
これまでも社会は幾度となく変化はしてきたのだが、その変化は線形的な変化。言い換えると先が見える変化であった。先が見える未来に対し、企業や個人はビジョンを設定し、そこに向かって進んでいけばよかった。
ところがVUCAの時代になると、このアプローチは通用しない。
未来はどうなるかわからず、一度大きな変化が起こると、過去の自分の一切が通用しなくなる。

VUCA時代で生き残るために
企業も個人も、これまでの線形的な成長の追随ではない。「変容」「変態」とも言えるパラダイムシフトを求められる。そして、パラダイムシフトを起こすためには過去の自分との決別。
Niksen(ニクセン)が必要なのである。

Niksen合同会社の立ち上げ
日本人は「ヒマ」になることが大変ヘタクソだ。「日本人は」という物言いをすることもする人も元来好まないのだが、これだけは言える。日本人は「ヒマ」になることがヘタクソである。ヘタというより、やり方を知らないのである。
時間が余れば「何かすることはないか。」とオロオロし、ヒマそうにしている人を見れば「何かしてはどうか?」と口を出す。
これが、高度成長時代から連綿と続いた、巨大化し続ける「走り続ける」組織において、勤務時間と勤務期間のみで評価され続けた結果だと推察するのは浅薄であろうか。

「できない」ということは簡単だ。しかし、それでは本当にこの国は遺跡のようになってしまう。

国も人も、これからの世界で生き残っていくためには「ヒマ」を。
もっと「ヒマ」が社会に認められるようにしなければならない。
そしてすべての人が。企業が戦略的に「ヒマ」となることで、よりドラスティックな変化をしていかなければならない。たぶん。

しかし今はまだ、企業も人も、手助けが必要であろう。
ヒマの本質に気づいた私たちこそが、その手助けをするべきなのではないか。たぶん。

そのような想いから、Niksen合同会社は設立された。

Niksen合同会社

ということで、ふわりと設立されましたNiksen合同会社。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします!!!

設立趣旨
「世界に「ヒマ」を。」

スローガン
「いまヒマしてるんだからジャマするな」「ヒマのためのヒマ」

創立メンバー
だいひょーKEN、アキラ研究員、ユリサンの3人。

だいひょーは「やめる」のが得意なニクセンの申し子。
おもしろそうなのでけんまりとして売り出そうと画策中。でもネタはない

アキラ研究員は原っぱ大学ガクチョとしても名を馳せる傍ら、日々ニクセン研究に勤しむ。原っぱ大学は親ニクセン子ニクセンの場だと僕は思っているので、アキラ研究員はニクセンの場づくりのプロでもあるのだ。すごい。

ユリサンはニクセンのマネージャー。「キチンと」という概念をもたらした。ナニカと距離をとるニクセンに憧れながらもつい流れに巻き込まれてしまうニクセンの求道者。未クセン

事業内容
決めてないのです。アキラ研究員の報告にもあったが、いつでも研究中。
なにしろ私たちはニクセン。いち早い事業化など目指してはならぬ。焦らない。慌てない。「事業ニクセン」を存分に楽しむこともニクセン合同会社の大切なミッションである。
そんな中から(だからこそ?)生まれてきたいくつかの「タネ」をご紹介。

「ナニモシナイ研修」みんなで集まってナニモシナイ。とりあえず面白そうなので(!?)近々ローンチ予定。
「Niksen日記」Niksenしている日々の記録を自分で見返して悦に入るための日記。
「Niksenゲーム」とりあえずなんかやめてみようぜ。っていうゲーム。

Niksen研究所
どこまでがヒマなの?ヒマってなに?ヒマになったらどうするの?
それを研究するのがNiksen研究所。
アキラ研究員が日々研究に勤しんでいるぞ!
今取り組んでいる研究テーマはこれだ!!

➡Niksenをするとどうなるのか
・息子怒らないNiksen:ユリサン
・どこかで3日間ナニモシナイ:アキラ
・毎日1時間ナニモシナイ:KEN

アンバサダー募集!
僕たちの趣旨に共感してくれたり、面白そうだなと思っていただけた方。
いらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください!
アンバサダーとして一緒にニクセンしてみましょう!!

最後に

今、世界中で起こっているCOVID-19問題。

お客さんが来なくて苦しんでいるお店の方。
仕事が軒並みキャンセルになって金策に走り回っている会社の方。
休校&外出自粛で困っているお父さん、お母さん。
外に出られなくてストレスをためている子供たち。
ゆめゆめ、焦ってはなりませぬ。
あなたが今。モヤモヤしているのは、普段通りの生活ができないことによるものです。
普段通りの生活は。あなたが望んで得てきたものだったのかもしれません。
しかしそれは、あなたが意識せずに得てきてしまった「習慣」だったのかもしれません。
折角。半ば強制的に「普段の生活を丸ごと投げ捨てる機会」が向こうからやってきたのです。
やりたいことなんか探さずに。思いっきりNIKSENしてください。
ヒマのためのヒマを!

Enjoy niksen! Do Nothing!!

KEN


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