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東北 - 3.11東日本大震災から7年(後編)

前編はこちらです。


お時間、関心がある方は、前編に基礎情報等を多めに盛り込んでいる関係もありますので、前編からご一読頂くことをお勧めいたします。


岩手県 陸前高田市】人口約2.4万名(当時)、死者行方不明者1700名以上


陸前高田市は他の被災地域と比較して、7年経った現在でも、津波の爪あと、恐ろしさを感じやすい場所が残されています。


また、ご存知の方も多いと思いますが、陸前高田は奇跡の一本松で知られた場所です。一本松については残念ながら津波を受けての塩害により、2012/5に枯死が確認されましたが、保存処理がなされ、現在も「震災遺構」(前編をご参照ください)となっています。

この場所は何度訪れても感慨深い場所です。今回往訪時も30分くらいはそこにボーっとたたずみ、思索にふけっておりました。


一本松に限らず、被災地訪問時に1点添えることがあるとすれば、「そこで何があったか、どういう場所か」という想像力は個人で働かせて頂きたいと願っています。悲しむ、同情して下さいと言っている訳では決してありません。


最近、震災遺構として保存が決まっている「奇跡の一本松」を背後に、ピースサインで写真を撮る観光客を見かけた。観光施設のように扱われた気がした。

「家族を亡くした遺族の気持ちを思うと……」と複雑な気持ちになり、不意に涙がこみあげてきた。

出典:毎日新聞


奇跡の「1本」松ということは、昔何本あったのでしょうか?



答えは約7万本です。上記の写真の赤囲みが高田松原です。

出典:岩手県


こちらが震災後の様子です。写真を見てお分かりの通り、海岸から見渡す限り、はるか遠くまで「平坦な地」が続きます。ここに市街地があったため、そのほぼ全域が飲み込まれました。津波による浸水の面積は、13平方キロメートル≒東京都豊島区とほぼ同じ面積ということです。


この平地の広さ(+陸前高田も「防潮堤神話」あり。詳細は前編の世界最強田老防潮堤参照。)が「山への避難」行動を制限し、皮肉にも「避難所への避難」につながりました。「皮肉にも」と言ったのは、次の理由です。


市民体育館は海岸から1キロ離れた市中心部に位置する。市防災計画で1次避難所に指定され、住民からは「体育館の2階に避難すればまず大丈夫」と言われていた。佐々木さんは「避難所にたどり着いた人まで命を落とすとは信じられない」とうつむく。

(中略)陸前高田市では、1次避難所68カ所のうち半数以上の35カ所で浸水。市民体育館のほかに県立高田病院、高田小、気仙小などの避難所でも避難した人たちが多数亡くなった

出典:河北新報


「避難所で亡くなる」というのはあまりに酷ですが、厳しい現実でもあります。前編にも書いたように、過去のルールや成功体験にとらわれず、自分の頭で考え感じて行動する


大切なので繰り返します。津波の際の理想的な避難場所は、①「水辺から離れており、かつ、水位が高くなっても、さらに高いところに避難できる山や丘等」とされています。


一方、常にこれが正しいとも限りません。地震発生後から津波発生までの時間はまちまちであるため、山や丘に避難する途中で津波に飲み込まれる可能性もあります。絶対的な正解はここになく、各人が①まで行ける時間的余裕があるか判断し、ないと判断すれば、近くの頑丈でより高いものを目指すことになります。


なお、陸前高田の悲劇が象徴するのは、これまで述べてきた津波の浸水面積、海から陸までの到達距離に加えて、津波の高さも同様であります。


ガソリンスタンドの看板の横に目印があります。


拡大画像。津波水位15.1m。ちなみに、このガソリンスタンドは海岸から500m離れています。

本記事によると、この看板も移転に伴い2018夏には撤去の可能性があるとのこと。震災遺構ではないものの、このように津波の恐怖を象徴する構造物はどんどん少なくなっております


前編に記載した通り、このような象徴も後代や他地域の方の教訓のために残す意見と、震災を思い出したくないため、解体を希望する被災者や住民の意見とのジレンマを常に有します。


津波の恐怖を物語る建物がもう一つ現在も残されています。5階建てのアパートです。


拡大画像がこちらですが、津波到達高は14.5m。そして見てお分かりの通り、5階にはかろうじて窓とベランダが残っています。すなわち、4階以下は全て津波に押し流されたということです。


各地の津波の高さと遡上高(津波が内陸に遡り、どこまで津波高がかさ上げされ、到達したか)は以下がイメージしやすいです。

出典:津波の被害 OPINION 3.11


一方で、体系的なデータに乏しく、そもそも「実態」が分かり切っていないケースもありますので、数字の信頼性、正確性は割り引いてください。


「実態」が分からないというのは、このサイトの注意書きを読むと理由が分かります。


「※注 津波により岸壁の水中や陸上部に設置された検潮所や巨大津波計が破壊されたため、津波の高さは推定値」

計測所や計測器をも破壊するほどのものだったのです。


3.11の後、メディア等の情報で、「想定外」というキーワードが様々に飛び交いました。被災地現地にくると、「想定外」なんて言葉は何の意味も慰めにもならない結果論、言い訳どころか、虚しさまで感じてしまいます。


悲観論では決してありませんが、自然災害、人災を含め、世の中には「想定外」ばかりかもしれません。常に気を張るという意でもありませんが、そういった心持があると、個人的には「当たり前、何でもない日常の有難み。平和の幸せ」を感じる機会が多くなります。


以上までが被災地を往訪した時の御話、所感です。


私は運命論者なので、今回も被災地往訪以後、様々なご縁を感じました。


紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている

妻が偶然、参加した研修プログラム(@イギリスのフィンドホーン。世界最古のエコビレッジ)で著者(佐々涼子氏)と知り合い、そのご縁からサイン入り本を私も拝読。

ノンフィクションの力強さ、3.11の知られていない事実と前向きな動き。本でこれほど胸を締め付けられ、熱くなり、涙が止まらなくなった経験はいつぶりでしょうか。そして、この「本」を読むこと自体にも「紙」という観点から深く関わる御話なので、本を読める有難さも噛み締めました。個人的に心からおススメです。


結果的に知ったのですが、ノンフィクション界のベストセラーの一つとして有名なようで、ドラマ化もされていたみたいです。


②オランダ人アーティストの絵

アートは私の下手な説明よりも画像をご覧ください。


現在働くオランダの企業では、アートをマネジメントする専門部署があり、キュレーターも在籍。社内には購入した作品が多く展示されています。


フィランソロピーという側面にとどまらず、オークションでの売買を行い、出た収益は、若手アーティストに再投資するというアートのエコシステムも出来上がっております。日本との関連では、北野武さんを描いた作品や、アラーキー(荒木 経惟さん)の作品が過去にはあったりします。


話を3.11に戻すと、社内展示の作品に関し、アーティスト自身が開設するアートツアーのイベントに参加。そしてこの絵と出会いました。


アーティストの解説によると、この絵は3.11に大きく影響を受けて作成した絵とのこと。少しずつ重なり合いながら、混沌を生み出す様子は、確かに私の中で想起する津波に襲われた街並みとも重なりました。


正直なところ、この絵には独特な雰囲気、恐怖を元から感じていたのですが、アートの表現力の力強さ、メッセージをまざまざと見せつけられたような気がしますし、ここで3.11とオランダがつながるとは「想定外」でした。


なお、3.11に関する、オランダを含む諸外国の支援は、日本にいた時はメディアの限定的な情報を通じて表面的に知るにとどまっていました。


改めて調べる中で、こういった諸外国(本リンクはヨーロッパ)の支援は知るだけで各国の公式・非公式の対応に感謝の念が自然と込み上げるし、友和や他国への関心にもつながるものと感じました。


オランダの具体的な支援はこちらの過去ポストをご参考ください。


また、7年目もオランダで3.11イベントは各種あります、ありました。


1つ目はオランダに留学する日本人学生中村くんの主催。彼は2014年に1年休学して、東北(宮城県・岩手県それぞれ半年ずつ)に住んで、ボランティア活動をしていたとのこと。若者の行動力に感銘を受けました。「若者」という辺り、自分の着実なおっさん化を肌で感じます。


投稿本日に参加してきましたが、被災者の方から「今日が(2011.)3.10だったら、あなたはどうしますか?」という問いを投げかけられましたが、即答できず。。。。真摯に考えていきます。


2つ目は3.11当日なので、オランダで参加してきます。


もし、本ノートを読んでいらっしゃる被災者の方がいらっしゃいましたら、世界からもまだまだ応援しております!ということをご共有申し上げます。


教訓の体系化、国内他地域や世界に向けた情報発信も着実に進んでおります。


女川中同窓生が作成した「女川いのちの教科書」。完成記事は河北新報にて。


岩手県陸前高田市の旧友から被災状況を聞き書きした英語版「Tsunami(津波)」


また、防災、BOSAI「世界防災フォーラム/防災ダボス会議@仙台」でも、日本から世界に向けて発信された世界に誇れる概念です。少し噛み砕いて分かりやすいのは、forbesの記事です。


3.11その後の、各種国内での災害もそうですが、日本は世界で最も自然災害のリスクが高い国の1つです。裏返せば、このトップクラスの自然災害とリスクに対応してきた日本の知恵が国内他地域や世界で役立たないはずがありません


また7年経った東日本大震災に関して、メディア側も含め、情報を生産、発信、共有するような自分も含めた立場には、3.11の捉え方につき、良くも悪くも責任の一端があるなと実感します。


風化防止、現在・将来世代への教訓伝承、他地域への展開等の観点から、私は過去事実のまとめ、体系化や厳しい現実(復興の遅れ)等に焦点を当てがちです。


一方で、生産水準、供給側も震災前に復調しており、3.11というある種ブランディングに頼らない「観光」、新しい社会実証実験、イノベーションの動きという、前向きで、攻めの姿勢も具体化しているので、そういった点も焦点を当てる必要を感じました。


次に3.11でノートを書くときにはその観点も踏まえたいと思います。


一方、東北離任後も毎年被災地を往訪&ニュースや知人等から情報を可能な限りアップデートしつつも、自分では限界を感じます。


現場の情報、被災地で既に具体化しつつある最近の前向き、夢のある動きをもっともっと知る必要があるなとも思ってますので、皆様からも勉強できるのも楽しみにしております。是非、ご意見、情報共有くださいませー。


3.11以外にも様々な自然災害が国内外各地でありますので、3.11を一つの契機にそういった他地域の復興や全体的な観点にも目を向けられるようにありたいと思う今日この頃です。


また、今年もヤフーの3.11支援企画がピカ一です。


ヤフーの3.11被災地支援企画は毎年の継続定期性(今年も3.11検索ごとに10円寄付)含めて感動ものです。支援団体もカタリバ、チャンスフォーチルドレン、TEDIC等、私が震災後、復興関連で赴任した際には既に精力的に活動していた団体で、現在も被災地支援を継続している本丸ばかりです。


本サイトにある、データで見る震災復興のいまについても、現在の状況を知る上で非常に体系的網羅的です。


羽生選手のチャリティ(スケート靴)も盛り上がってます。
現在650万円超。これだけオリンピック、国民栄誉賞含めてホットで、3.11自身にも関連を持つ羽生選手の一品なので、まだまだ青天井な予感ですね。


関心ある皆様で被災地支援盛り上がっていきましょう。7年経って、「よそ者」でも出来ることはまだまだ本当にたくさんあります。関心のある皆様で被災地支援盛り上げていきましょう。


前編、後編含めて私の投稿はシェア等ご自由にどうぞ。


コメント等はレターポットでもお待ちしております、または上記ヤフー含めて、直接被災地をご支援くださいませ。


お読み頂き、本当に有難うございました。

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