見出し画像

ゴールデンボンバーと母と私

この動画から、鬼龍院さんとゴールデンボンバーにどハマりしている私だが、5年前の全国ツアー「歌広金爆やめるってよ」に実は 参戦した事がある。

しかし、このライブの事を私はほとんど覚えていない。時間が経ってしまったからという理由ではない。私は母とこのライブに参戦したのだが、

母が楽しんでくれているか?この事しか頭に無かったのだ。

◼️ゴールデンボンバーとの出会い

多分、2012年頃。濃い化粧のお兄さん達が「女々しくて女々しくて!!」と歌って踊っているらしい。何で知ったかも覚えていない、特にそれ以上の事も知らない、知ろうともせず終了…

◼️えっ??母が??

「ゴールデンボンバーって知ってる?女々しくて以外にも良い曲たくさんあるんだよ」

母から突然そんな言葉が飛び出し、私は仰天した

私はゴールデンボンバーを、騒いでいるチャラめの兄ちゃん達、くらいにしか思っていなかったから…(あぁすみません…彼らの事を全然知らなかったんです)

私から見た母は、真面目人間。テレビのバラエティなどは基本見ない。家族の誰かが見ていたとしても、  「くだらない」と口にする姿を何度か見てきた。私が高校卒業後は専門学校に行きたいと話した時も、「国公立大学以外の金は出せない」とハッキリ言われた。とにかく、彼女なりのルールがあるようだ。

そんな母から「ゴールデンボンバー」というワードが出てきただけでビックリなのに、女々しくて以外の曲を聴いているだと!?私はひっくり返りそうなのをグッと堪え、冷静を装い、母の話をウンウンと聞いたのである。

◼️私のこと。そして母との関係

私は子どもの頃は内気で、人の顔色も気になってしまうタイプだった。嫌われたくない存在である母の顔色には、特に気を張っていたと思う。しかし母との関係は、母はどう思っていたかは分からないが、全く良好でなかった。特に中学から大学卒業までは、まともに口をきくことすら無くなった。母に話しかけても無視をされる。私自身、自分の気持ちを出さない癖のある子どもだったかもしれないが、母もまた、いわゆる「毒親」というものに当たるのだろう。当時の私は、それに気が付く事は無かった。でも、やはり辛いので、感情を持たないようにしていた。この事が、私の想像以上に自分の人生に影響を及ぼしてしまうとは。

(大学卒業間近、再び母と話せるようになった。現在は丁度良い関係になれたと思う。このあたりの話については、またどこかで詳しく書けたら書きたい。需要は無くても。笑)

◼️言われなくても、母のために・・・

さぁ大変。母の口から「ゴールデンボンバー」が出たその日から私は彼らについて調べまくった。      すべては母と会話をする為。

これは、あれだ。クラスの好きな子が、聴いているというバントがあるという情報を入手したならば、必死になってそのバントについて調べるだろう。そしてみっちりと下調べが済んだら、さり気なくその好きな子に「そういえばあのバント俺も聴くんだよ、この曲良いよねぇ。こんな裏話あるのも知ってる?」と話しかけて、趣味の話を使って好きな子に近づこうとする…そんな状況に似ている。笑

そんな例えはさておき、そこで初めてエアーバントという事や鬼龍院翔さんが作詞作曲など一人で手掛けているという事を知った。とりあえず大まかな事は調べ終わり、考えた。母が喜んでくれる事は何か?

そうだ!彼らのライブに連れて行ってあげよう!!私の頭の中は、母との10年近い空白の時間を埋めたい、仲良くなりたい、その一心だった。携帯電話を持たない母の代わりにファンクラブに入り、当時受付中だったライブにすぐさま申し込んだ。              それが「歌広、金爆やめるってよ」だったのだ。

その後も3年程、ファンクラブに入り続けた。母とは離れて暮らしていたので、会報などは全て母の所へ届くが、私もそれなりにゴールデンボンバーが好きにはなっていた。しかし、それは母ありき。私が結婚するのを機に、母が「もういいよ」と言ってきたので、そうか…と、あっさりとファンクラブの更新を止めてしまった。(当時の私の胸ぐらを掴んで言いたい…ファンクラブを更新するんだ!!何も考えず金を振り込むんだ!!数年後あんたは鬼龍院翔という人物にどハマりするのだから!!と。多分、信じてもらえないけど。笑)

◼️私に起きた異変

結婚して間もなく、子どもを授かり無事に出産した。思い描いた幸せそのもの……では無かった。辛い。子育てが辛過ぎる。私が自分を守る為に必死に押し殺してきた感情というものを、子ども達はいとも簡単に表現し爆発させている。そんな無邪気な子どもに対し芽生えた恐怖感…イライラ…とにかく、心に余裕が無い。どうやら、人の(特に母の)顔色を伺い、自分の感情に蓋をして生きてきた事のツケが自分に返ってきたようだ。私は我が子に自分を投影し、わがままを言うと母に嫌われるのではないか、という恐怖を、勝手に抱いているのだ。大人になってもなお、母の存在は、私にとって大きく心を動かす(良い意味でも、悪い意味でも)存在らしい。子育てを通じて、自分を生きづらくしているものに気がつく人は多いようだが、私もそんな一人だった。

しかし、それは同時に、自分の生き方を見つめ直すチャンスだとも思う。私は、この機会に自分自身を生き直したい、と思った。

とは言えやはりそう簡単にはいかない。子どもが幼稚園に行っている間に家事など済ませ、気分転換をし、帰ってくるまでに自分の心に余裕を作ることで、何とか子どもと過ごすことができていた。           とにかく精一杯な毎日だった。

◼️そんな中やってきたコロナ

子どもと離れている時間があってこそ自分を保ち踏ん張る事ができていたが、コロナの影響によって、ギリギリだった私の心のバランスはいとも簡単に崩れた。子ども達と家に居る時間が増え、精神的に限界だった。

◼️懐かしい姿

私はとにかく、癒しを求めていたのだと思う。YouTubeでその類の動画を検索していると、目に入ったサムネイル。自然の風景の片隅にちょこんと座っている、金髪猫背の男性。えっ?これって鬼龍院さん??私は驚きながらも、その川のせせらぎ動画を見始めた。この人、何してるんだろ…?寒そうだし…。一言も喋らないの?1時間も?でも、なんだろう、不思議と見入ってしまう。  これはきっと、犬や猫などの動画を見て癒される事と同じ現象が起きていたのだと思う。         (鬼龍院さんごめん。。でも、本当に癒された。感謝)

◼️今度は自分のために

自分自身を生き直す。

これを決意した時点で、人生は動いていくと思う。私は今まで蔑ろにしてきた自分の感情に向き合う事にした。日常の小さなことから、迷う時はどちらの方が好きか、を大事にする。自分を大事にすることが、周りの人も大事にできる事に繋がる気がする。

感情に蓋をしていると、悲しさや辛さを感じにくくなれるが、同時に、嬉しい事や好きな事への心の感動も鈍ってしまう。実際に私は、過去に自分が何が好きだったか何に興味があったかなどが、思い出せない状態だった。

鬼龍院さんの動画に出会えた事は、私の心の中で埋もれかけていた”好き”という感情の芯に、ふわっと火が灯った瞬間だったのかもしれない。それはユラユラと静かに、でも力強く、私の心を優しく照らしてくれている。

私は、再びファンクラブに入った。         CDを購入し、鬼龍院さんの歌を聴いた。       初めて行ったライブ「歌広、金爆やめるってよ」のDVDも購入しようと思っている。

もう、母の為じゃない

自分のために。