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ブログ6:幼稚園の頃のはなし

noteの記事でよく見かけるのは自分語りだと思う。いや、私が記事のタグに「エッセイ」を入れているからかもしれないが。ノートと言うくらいだし、発信よりかは自分の考えを文章化してまとめるために使っている人が多いのかもしれない。発信のためのツールに名前をつけるとすればスライドとかになるのだろうか。

そんなわけで、いっちょ私も語ってみるか!と思い考えてみた。めちゃくちゃ長生きした祖母の家の猫よりも年上になった今なら、それなりに語ることはあるだろう。自分語りというより思い出語りになるかもしれない。

私の中にある1番古い記憶は、母に抱っこをされて床を転がって遊んでいた時のものだ。これはビデオを見た時の記憶かもしれない。3歳くらいだった気がする。この頃の自分の考えについては全く覚えていない。ともかく、私の記憶のはじまりは3歳くらいだということになる。

3、4歳くらいから、私はひらがなを読みはじめた。両親が幼児向けの絵本を買ったり読み聞かせてくれたりしたからだろう。
親を真似て新聞を読んだりもした。文字もどきも書いていたようだ。鏡文字を書いていたと母が言っていた。
この頃の絵本にはちょっと悲しいエピソードがあり、この記憶だけはかなり強烈に残っている。
厚紙のミッフィーちゃん事件だ(私が勝手にそう呼んでいる)。
両親が私に与えてくれた絵本の中には、厚紙(紙がたくさん貼り合わされた、1ページ2ミリくらいの厚さの紙)の絵本があった。私はその貼り合わせてある紙を剥がしてしまった。そして、ものを大切にしないとは何事だ、とものすごく怒られた。
ここだけ読むと、子供が本を破って親が怒っただけの話なのだが、子供ながらに理由があってしたことなのだ。
端の方から剥がして中身を確認するタイプのハガキを、みなさんはご存知だと思う。水道料金のハガキとか、自動車のダイレクトメールとか。ああいう葉書は、当たり前だが貼り合わされているので厚くなっている。私は、絵本もそうなっていると考えたのだ。
ミッフィーちゃんの絵本は、書いてある文字は少なく、あまり読み応えがなかった。もしかしたらこの紙の間にもページがあって、剥がせば読めるかもしれない。私は、厚紙を剥がした。全部剥がして、中は全部ただの厚紙だとわかった。一度剥がしただけの厚紙はまだ少し厚みがあった。だから、もう一度剥がしてみた。そうして、10ページくらいの絵本が30ページくらいになってようやく、この絵本は剥がしても何も書いていないことがわかった。
親に見つかった時、私は理由を説明することが出来なかった。ゴミ袋に入れられたミッフィーちゃんと目が合って、私はまた涙が止まらなくなった。

そんなこんなで、幼稚園に入ったのは4歳の時だった気がする。色々な幼稚園を見学したが、ホールが二階建てだったのが気に入って入園を決めた。幼稚園なんてどれも殆ど同じだから、インパクトがあったのだろう。キリスト教系の幼稚園で、礼拝とかがあった。かなりざっくりしていたが。
幼稚園に入ってから工作や絵を描く機会が増えて、私は創作活動が好きになった。毎日のように絵を描いて、子供ながらに絵にストーリーをつけていた。多くの子供の例に漏れず、ディズニー作品やジブリ作品をよく観ていたので、ストーリーは自然とファンタジックなものになったが、同時期に洋画や戦隊ヒーローものも観ていたので、ファンタジックだがやたら戦いが起きて人が死ぬ話が出来上がっていた。人に話すタイプの子供じゃなくてよかった……。
ただ、断片的には人に伝えていたようで、紙をセロテープで貼り合わせた絵本を作っては「死にました」とオチをつけていた。

今でこそ絵ばかり描いている私だが、幼稚園の頃は紙粘土や油粘土を使った立体作品をよく作っていた記憶がある。どれも作品は残っていないが、母や幼稚園の先生の話だと「とにかく他の子とは違う作品を作っていた」という。他の子がお手本通りに作る中で、一人だけ題材の中で最大限個性を尖らせていた。
例えば、折り紙で「花」を作りましょう。というお題が出たとして、お手本はチューリップだったとする。他の子がチューリップを作る中で、私だけ向日葵を作っていたのでめちゃくちゃ目立っていた。という感じだ。
当然、それを見た母は心配したそうだ。「うちの子だけ間違って違うものを作ったんですか」と先生に尋ねた。すると「いいえ、この課題はお花ならなんでも良かったんです。ただ、他の子はみんな、お手本のチューリップを作ったんです」と言われて、ようやく安心して、そして笑ったと言っていた。
このエピソードは、今でも少し誇らしい。
と、同時に、今後の人生で生きづらさの原因となる、負けず嫌いと高プライドはこの頃からか……と何とも言えない気持ちにも少しなる。絶対に他人と同じ事をしたくないし、自分が1番良いものを作りたいという気持ちは、少し形は変わったが今も持ち続けている。

さて、初めて映画館で映画を見たのは5歳の時だった。これは確信を持って言える。初めて観たのは『千と千尋の神隠し』だと覚えているからだ。
親にとってこれは挑戦だったらしい。なぜなら、先に観に行った子供の親は口々に、子供が怖がって途中で出てきた、途中で飽きて出てきた。と言い、最後まで観ることのできた家庭がなかったのだ。
そんなことはつゆ知らず、私は無邪気に観たいとねだり、親もダメ元で映画館へ行く事を決めた。
その時まで映画というのは家のテレビでビデオテープを使って観るものだった私は、話に聞く映画館というのは大きなテレビのあるところだと思っていた。なので、シアターに入ると座席がたくさん並んでいて、つるっとした壁が前面にあり、「はて、テレビがないぞ」と思った。その日は母と私以外に一人もお客がおらず完全に貸切だったので、私がテレビを探している横で、母は私が泣いても安心だと胸を撫で下ろしていたそうだ。
席に座って程なくしてブザーが鳴った。上映開始の合図である。
そこで母がひとこと、「ここはこれから暗くなるよ」と言った。え!暗くなる?!知らない場所なのに?!幼い私は大混乱である。本当に暗くなるまでしきりに出ようと訴えた記憶がある。母は少し面白がって笑っていた気がする。
結果として、私はエンドロールまで映画を観て出てきた。千尋の両親が豚になるシーンも、ハクが千尋におにぎりをあげるシーンも、カオナシが暴れるシーンも全部観た。興奮して前のめりになったところはあったそうだが、声を出すこともなく静かに観ていたそうだ。
この時、自分が何を感じたのか、正直あまり覚えていない。映画そのものはビデオを買ってもらったのでこの後何度も観たし、本も買ってもらったので、その時の気持ちで印象が上書きされてしまっているのだと思う。
しかし、なんか楽しかったな。くらいの思い出はある。そして、私は今でも映画が好きだ。
両親の挑戦は成功だったと言えるだろう。

小学校や中学校の時に「子供の頃は〜」と言っては「まだ子供でしょ」と笑われたものだ。
大きくなるにつれ、私は「子供の頃は」と言わなくなった。色々と経験するにつれ、自分がまだまだ子供だということを自覚していった。
「子供の頃は」と言うと、「まだ子供でしょ」と笑う私の声がする。

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