見出し画像

怖がりの主張「コップ半分の水」の問いが苦手


コップに半分水が入っていた時あなたはどう捉えますか?

この問いがニガテだ。

大抵

「半分しかない」
「半分もある」
後者のように捉えると満足度が高いですね。
今ある状況をどのように捉えるのか。
ポジティブに変換していきましょう!

と続く。

(実は続きの回答があったら申し訳ない。)


もちろんこの変換が人によっては推進力を増すポイントかもしれない。

考え方にも合う合わないがあってその人の性質に合ったものを取り入れていくのが大切だと思う。


ただ私は
いやいや「半分しかない」と思ってもいいやん
と思う。


その人はもっと欲しかったってことでしょう?

喉が渇いてたのかもしれない。
だれかと分けたかったのかもしれない。

「しかない」というからには
「もっとあったはず」「もっとあってほしかった」
という〈期待〉〈願望〉をもっていたということ。

状況によって捉え方なんて変わる。

日が照っていたら日傘が欲しいし
雨が降ったら雨傘が欲しい。


状況を把握しておく。自分の重きを置いていることを掴んでおく。
それさえできればなにを思っても(思うだけなら)いいと思う。

捉え方はいわば直感。と環境

その直感を変換しようなんて自分の感覚を否定してしまってるじゃん。悲しい。


大切なのは「半分しかない」と捉えるに至った背景だと思う

「半分しかない」という直感を否定して、また似たような状況になった時また自分の直感を否定する。


コップに水が半分入っているのは変わらない事実であり、現象でしかない。

「え〜半分しかないじゃん」
変わらない(操作できない)直感。

半分しかないと思った自分の背景を掘り下げない限り
本質的な対応策なんて出てこないんじゃないかとも思う。

「あれ、私もっとあって欲しかったんだ」

「喉が乾いてたからだ」

「じゃあもうちょっとお水を持ってこよう」

この流れなら自分の感情を否定せず理解して
解決しているから無闇に
「なんでこんだけしかないんだよ!」なんて怒れたりもしない。

どこにも負の感情が浮かんでない。

自分を含め、否定する必要なんてないんだ。

(周りの人も自分自身すらも“敵”になるのが怖がりの主張。)


「本当はもっとあって欲しかったのに…
   いやいやそんなこと思っちゃいけない。」

「こんなにあるんだから!」

「満足しなきゃ満足しなきゃ。。」

喉はかわいたまま。

いつかは

「どうしよう。半分もあったはずなのに満足しきれない。」

となるかもしれない。
どこか悲観的。

これは自分の「もっとこうしたかった」
という大切な大切な素直な心を無視してしまってる。

期待や願望はとても大切な自分の想いだと思うのです。


こんな話を先日電話で話したんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?